遠藤大輝
記事一覧
#23 写真は嘘をつかない。
2024年6月3日〜9日
自分は本当の気持ちを伝えきれないことがよくある。
コミュニケーションをとることが苦手ではないのだけれど、大切なことほど言葉を飲み込んでしまう。
写真は「真実を写す」とよく言われるけど、普段そういうことはほとんど気にしていない。でも、過去に撮ってきた写真を見てみると、写真は嘘をつかないなと思う。
写真の中に存在している僕たちの日々は間違いない現実としてあったものだから。
#22 道半ば、なんだか湿っぽい。
2024年5月27日〜6月2日
一週間ごとに日々を振り返り、こうして文章を書き始めると、
あまり書くことないなと思ってしまう週もある。
もちろんいろんな出来事が起きているので、何も気にしなければ書くことはたくさんある。
でも、一日一日というのは、何かに向かっている道半ばなので、うまくいった日があったとしても、結局は反省や悔しさに包まれた一週間として振り返ってしまう。
「なにくそ」という気持ち
#21 ここで腐ってはダメだと思ったけど、まだ実ってもいなかった。
2024年5月20日〜26日
なかなかうまくいかないことばかりだなと、つくづく思う。
不貞腐れてしまいたくなることもある。
でも、よくよく考えてみれば、腐るほど実っているものもなかった。
かろうじて根はある。根は腐らせてはならない。
写真を撮っていればそれだけで幸せと言いたいところだけど、誰かに届かなければ写真家として生きていけない。
もっとたくさんの人に写真を届けられるように頑張ります。
#20 写真は身体表現
2024年5月13日〜19日
先週、捻挫をした。
どうやら自分は身体の調子が悪くなると写真を撮る回数が少なくなるようだ。
今週はとびっきり写真の数が少なかった。
つくづく写真は身体表現なのだと思った。
もちろん身体が思うように動かなくても写真は撮れる。
でも、自分にとって身体が動くことはかなり重要であることに気がついた。
テーピングに巻かれた足の一枚くらい撮っておいてもいいんじゃないかと一
#19 写真の量と質
2024年5月6日〜12日
なにごとも、その道を極めていく過程で、「量と質」どちらをとるのかという問題に直面するのだが、写真においてはどうだろうか。
先日、写真における「量と質」について質問をされて上手い答えを出すことができなかった。ほとんど適当に答えてしまったので、何と言ったのかすら覚えていない。
このnoteに関わって言えば、量についても質についても考えていない。
強いて言えば、量は撮って
#18 いつか写真で分かり合えたら
2024年4月29日〜5月5日
どうしても言葉では伝えられないことがある。
そうした内なるものを写真で伝えることができたらと常々思っているが、ほとんど叶うことはない。でも、考えて見れば、そんなことができたら写真を撮ることをやめてしまうかもしれない。
もしかしたら、写真でなにかができるかも、という一縷の可能性を信じているから今日も写真を撮ることができている。
いつか僕の写真で分かり合える日が来ます
#17 さようなら、またあした。
2024年4月22日〜28日
日々の出来事を写真にそっと閉じ込めて
楽しかった日、嬉しかった日、苦しかった日、悲しかった日に一言
「さようなら」
そしてまた新しい日がやってくる。
#16 写真に救われた日
2024年4月15日〜21日
先日、32歳になった。
これまでいくつかの仕事を経験しながら、「写真家」というあってないような肩書きをぶら下げて生きる日々だが、写真を仕事にしている時間が最も長くなっていることに気づいた。
これまでやってきたどの仕事も、いつか辞める時があると思いながらやってきたが、もう写真以外で生きていくことは考えられなくなってしまったから人生は不思議だ。
#15 すべて思い出になってくれよ
2024年4月8日〜14日
つくづく上手くいかないことの方が多いなと思う
過去の経験から、その時々の成功や失敗のすべてを思い出として語れるような人生を送ってきているけれど、やはり上手くいかないことはできるだけ経験したくはない。
側から見れば、そんな風に見えない写真でも、自分にとっては悔しさが詰まった写真がある。
ここに並ぶ写真のすべてが思い出として振り返ることができるように、また今週も写真を