そろそろ犬が嫌いだった人の話をしよう。
今考えるとあれは一体なんだったのか。
嫌いというのとも少し違うような気もするが、
恐怖というのでもないような気もする。
随分昔のことなのでだいぶ記憶も曖昧なのだが、
とにかく犬から一定の距離を置きたくなる病気のようなものだとあの時は捉えていたような気がする。
物心つく頃から小学校4年生くらいまでだったろうか。
とにかく、犬を見ると体が自分の意思とは無関係に拒絶反応を示す。
幼児のか弱い意識でできることと言えば、
緊急避難の場所を探すくらいのことだ。
もちろんその前に無意識に逃げているし、
泣き叫んでいる。
犬が追いかけてこようとこまいと関係ない。こちらに気付いていようといまいと関係ない。
犬が視界に入ったらもう、その場から逃げなければ。一瞬たりとも遅れてはいけない。
そして、これは自分でも非常に不思議で未だに謎なのだが、犬種も関係ない。
大きさや性格の獰猛さなども全く関係ない。こちらが「犬という種類の動物である」と認識したら最後、身体は無条件に反応している。
家族で出かけた先の公園で歩いた散歩道のそば、きっと日曜の昼下がりに家族で散歩するために作られたような散歩道的な散歩道の側には当然池があるものだ。ハスも咲いていよう。そんなある晴れた日の公園の池に、少年僕は飛び込んだ。
僕の目は、4つ足で呑気に歩くあの動物をしっかりと捉えていたのだ。そう、犬を。距離は離れている。多分20mくらいは離れていたのじゃなかろうか。
しかし、僕らの間に距離など関係ない。距離は障害にはならないのだ。僕の気持ちは距離などたやすく越え、僕自身を走らせる。
逃げなければ!
家族がいるのもとっくに忘れ、僕は走った。方向など分からない。声も聞こえない。
ただただ走った。
そして落ちた。
散歩道の脇にありそうな、ハスが咲いていそうな、日曜日のちょっと大きめの公園の真ん中にありそうな池に、ドボンとダイブした。
水面へと連なって浮かぼうとする泡が見える。はっきりと。
僕の口から出ているのだ。
少し緑がかった水を通して、水面にキラキラと太陽が輝いているのも見える。
僕は記憶の中ではゆっくりと、しかし確実に池の底へと沈んでいった。
誰かがその時僕の体を池から引き上げてくれた。
誰だったのか、実は全く覚えていない。家族の誰かではないような気がする。
びしょびしょに濡れて、訳もわからず、どうしたの?と聞かれても「犬がいたんだ!」と答えるこの少年のことをあの時みな頭がおかしいと思ったことだろう。
あの時あの場所にいたのは、一匹のかわいいポメラニアンだったのだから。