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横転すると変態する「転校生」

大林宣彦監督の「転校生」の話の前に―――。

そう言えば、「君の名は。」観た直後に、わたしは誰かに無性にアレを語りたいと思いながら、核心からずれた他のことを語っていたばかりに、アレを語りそびれていた。語りそびれて忘れかけていた。あの日、わたしが語りたかったことを今日は自ら解き明かしたい。。。

「君の名は。」で横転する三葉

「君の名は。」で主人公の三葉と瀧は人格が入れ替わるわけだが、映画の後半に目を見張る、こういうシーンがあった。

【三葉は言わば “時をかけてしまった少女“ である。彼女はこの地に彗星が落下することを知っている。町役場の皆に知らせて避難させるため、彼女はひたすら懸命に走り出す。既に彗星が割れかけている。諦めかけた三葉は坂道で躓いて倒れ、身体は転がってゆく】

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スクリーンを見ながら唸った。

“ うわあ~、ここで転がるのか! 倒れるだけでなくて転がるのは、なんで? いや待て、あっ! ここは絶対ヒロインは転がらなくてはいけないんだ! だってこれは、新しい転校生の話なんだから ”

【三葉は転がり落ちた後に、愛する瀧の名前を思い出せなくなり諦めそうになり、忘れないように掌に名前を書いてもらったことを思い出して掌を見つめる】

このドラマの見どころのひとつは【あの日、人格が入れ替わったことを、当の本人が覚えていられるのか否か】だと思う。ヒロインは坂道で身体を地面にぶつけて自ら転がっていくことで、記憶が曖昧になり「入れ替え自体」が危うく消え失せそうになるのだ。だから「三葉の坂道コロコロ」はお伽話のオンオフとも言える重要なシーンだ、と私は思いたい。

さて。大林監督追悼である。「転校生」1982版を観たいと思った。大林監督の作品の中でとりわけこの「転校生」が好きだから、というわけではない。どちらかというと「さびしんぼう」とか「異人たちとの夏」とか「あした」なんかが自分は好きだ。では、なぜ「転校生」なのか。それは「君の名は。」を観て以来、男女人格入れ替えがどこかで気になっているからだ。

「転校生1982」のあらすじは以下である。

【ある日、斉藤一夫のクラスに転校生の一美がやってくる。一夫と一美は、学校の帰り道に弾みで一緒に石段を転げ落ちる。それがきっかけになって二人の心は相手の体に宿ることになる。一夫の体に一美の心が、一美の体に一夫の心が入りこんでしまう。そしてふたりは……】

この映画を20代に観たとき、この「石段転げ落ちシーン」が妙に印象に残った。なにせ、思春期で成長期の肉体を持つ若い男女が、異性の体を手に入れてしまう(=変態してしまう)のだ。そんな災難のような幸運のようなことつまり若い男女にとっては一大事!が起きてしまうためには、それなりにふたりの肉体に同時に大変なことが降りかからなければ成立しない。納得できない。もちろん理屈を飛び越えたSF設定ではあるものの、やはり各々の肉体が異常な衝撃を受けないと入れ替ったりはしないだろう。入れ替えの説得力を持たせるために、映画としてどんなシーン絵が必要なのだろうか、と監督は思案したはずなのだ。

横転する映画

大林監督が出した結論は、ふたりが抱き合いながら制御できないスピードで横転する(=神社の石段から落ちて横転する)という演出だった。これがとても忘れられないシーンとなった。この瞬間、この映画は「横転する」ことを魅せる映画になったと思う。男女の心身入れ替えのスイッチは「抱き合いながらの階段落ち」になったのだから、元に戻るスイッチも同じであるべきだ。映画の後半で、なかなか元の体に戻れないふたりは、あの神社の階段の上でふとした弾みで再び転げ落ちてしまう。それによって元の鞘、いや元の体に戻れたというわけだ。神社石段からの階段落ちは、おとぎ話の入り口であり出口となった。ARGにおいて、現実世界からフィクションへの入り口を不思議の国のアリスにならって「ラビットホール」と呼ぶが、この映画で言えば「現実⇄おとぎ話」の入口は(アリスがウサギを追いかけて転がり落ちた穴のように) 主人公の神社石段から落ちる横転である。

映画のタイトルに「転」を入れた配慮にも注目したい(笑)。監督が原作の『おれがあいつであいつがおれで』を『転校生』という名に変えた裏に、いろいろな意味が汲み取れそうだ。この映画の転校生は、他校からの“転校“してきた生徒であるばかりでなく、他から「転がってきて」寄生した他者でもある。また、女から“転じて“男の生を受け、男から“”転じて“女の生を受けた。その反“転“現象が起こるところに横“転“があったのだ。ここで俄かに『魔界転生』という小説&映画も思い出されたりする。(魔界転生=死の直前に心から愛しい人と交わることで、新しい肉体と生前より優れた技量を持って生まれ変わる忍法。映画は「転校生」の前年1981年作である)

「秘密」の場合

「転校生」1982版の後、人格入れ替えを映像表現するには「横転コロコロ」がある種、定番になりつつある。先に書いた「君の名は。」だけではない。例えば、東野圭吾原作「秘密」とその映画でも影響がみられる。この物語ではスキーバスが崖から転落することで、同乗していた妻と娘の人格が入れ替わる。異性入れ替えではなく、年齢の離れた同性の入れ替えにしたことで物語展開に悲哀感を増す設定になっている。映画では岸本加世子と広末涼子が入れ替わる。これもカタチは違うけど「横転コロコロ」になっている。

「転校生」の横転コロコロをもう一度観たいなと思ったが、私の加入しているサブスク映画サービスのいずれもが、大林監督が後年リメイクした「転校生2007版」だけで、旧作「転校生1982版」がない。「転校生2007版」はふたりで階段を転がるのではなく、(やはり、ふとした弾みでバランスを崩したふたりが)水の中に落ちてしまい水中で転がるらしい。どこかで「転校生1982版」は見れないものか、と動画検索をしていたら予告編をアップロードしている方がいた。(以下の予告編の2分6秒あたりでコロコロがある )


とりかえばや物語

ちなみに古今東西、たくさんの男女人格入れ替え物語があって、日本でいうと平安時代から「とりかえばや物語」がある。男が女になりたくて女が男になりたい潜在的な願望なのか。近代ではこの手の物語は疎んじられるが、今はジェンダー論から再評価されている。そのあたり古典からの紐解きをいつかやってみたい。

転校生wiki

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