待たせるのが躾ではない、待てるという体験をしてもらうのだ

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 ある日の午後のこと。家で仕事をしていると妻から電話がかかってきた。

 「帰り道Aが泣いていて、まったく動かなくなっちゃった。可能だったら迎えにきてもらえないかな」

 幼稚園の帰り道で、長男(4)が泣き喚いて動かなくなっていると言うのだ。次男(2)も連れているので、妻一人ではどうにもならず立ち往生しているとのこと。

 急いで出かける準備をしながら、事情を聴くと

 幼稚園の後に長男は「友達と公園に遊びに行く予定」だったそうだ。ところが次男のおむつ替えが必要な状態だったので、「おむつを変えてから行こう」と妻が言ったところ

 「すぐに公園に行きたい!」

 と言って、泣き始めたようだ。妻が「協力して」と言っても聞かず、困った妻が「泣いてると公園行けないよ」と言ったのが引き金になって、大荒れになったと言う。全く泣き止まないし、その場から動きもしないので、困っているようだ。

 素直にすごいなと思う。何分くらい泣いてるんだろう。そのエネルギーはどこから出るんだろう。あんまり合理的ではないエネルギーの使い方なんだろうけど、素直に関心する。

 何分でも全身で嫌だと言い続けられること。全身で「やりたいことをやりたいんだ!」という訴え続けるエネルギー。

 このエネルギーを失わずに生きてほしいな。と父は思うのです。※もちろん伝え方はおいおい学んで欲しいわけですが。。。

 妻は「いずれにしてもこの状態では、公園に行けないから家に連れて帰ろうと思う」と言うので、歩けそうなら家に向かって歩いてきてもらうように伝えて、僕も幼稚園に向かいました。

 はやく息子殿に会いたくて、ちょっと早足になる。

 「公園で友達と遊びたかったんだよな?」と言って抱きしめたい。そして泣き止んだら一緒に遊びに行きたい。きっと自分が親にしてもらいたかったのはそれだったから。

 幼稚園の近くの駐車場でうずくまる息子殿を発見。確かに亀のようになって、まったく動かないし、隣から声をかける妻の声を聞こうともしていない。まだ大声をあげて泣いている。

 妻と目が会う。妻は、スッと立ち上がりスペースをあける。僕は息子殿の横に座り込み、彼を地面から引き剥がして、抱き寄せる。息子殿は抵抗しない。お父ちゃんに抱きしめられながら「おいおい」泣いている。

 それをしっかりと受け止めている感じを感じる。。息子殿からしたら、しがみつきながら、全身で訴えかけている感じかもしれない。

 時間にして10秒未満だったと思う。息子殿がちょっと落ち着いた気配がした。

 「よし。コンビニ行って飲み物買おう。それで公園に行こう」

 息子殿の背中をポンポンと叩いて、からだを起こす。涙で顔がグシャグシャだ。もう一度

 「コンビニ行こう。喉乾いたでしょ?」と伝えると、頷く息子。

 妻に待っててもらうようお願いして、二人で手を繋いで近くのコンビニに向かう。いつも饒舌な息子もさすがに無口だ。コンビニに入ったら、飲み物を選んでもらった。

 飲み物を買って戻る途中、明るい調子で「公園に行きたかったの?」ときいてみると彼は「うん」と頷いた。

父「そっか。何して遊ぼうと思ってたの?」
息子「忍者修行」
父「おおおおお。忍者修行は最高だね。誰と?」
息子「Yくん」
父「そっか。Yくんと仲良いもんな」
息子「うん。だからはやく公園行きたい」
父「そうだね。これ飲んだら公園行こうか?」
息子「うん」
父「さっきはどうして泣いてたか教えてくれる?」
息子「。。。。。」
父「嫌なことがあった?」
息子「。。。うん」
父「何が嫌だった?」
息子「Bちゃん(次男)のおむつ替えてからって」
父「そっか」
息子「昨日からYくんと約束してたし、おかあちゃんにもすぐ行くっていってたから」
父「そっか。それは嫌だったね」
息子「うん」
父「はやく行きたいの分かって欲しかった?」
息子「うん」
父「そっか。じゃあ戻ったらそれお母ちゃんに言おうか」
息子「。。。うん。。。そうする」
父「言ったら、おかあちゃん何ていいそう?」
息子「うーん。。わかった。ごめんね。って言うと思う」
父「そっか。そうだね。。。あのさ、お父ちゃんから一個お願いがあるんだけど、言ってみてもいいかな?」
息子「なに?」
父「お父ちゃんもお母ちゃんもなるべく急ぐから、Bちゃんのおむつ替える時には待っててくれないかな。おしっこ溜まって漏れちゃうと可哀想だから。。。スボンびしょびしょになっちゃうしさ。。。どうだろう」
息子「。。。。。。。わかった」
父「ありがとう。Aが急いでいるときは、急いでおむつ取り替えるからね」
息子「うん」
父「お母ちゃんに、そのことも言ってくれる?」
息子「おむつかえるの待つよ って?」
父「うん」
息子「わかった。。。。きっとお母ちゃん、ありがとうって言うよ」
父「そうだね。。。ありがとう。助かるよ」

 妻と再会すると息子殿(4)は「これ買ってもらった」と言いながら飲み物を見せた。そして

 「こんどはBちゃんのおむつかえるの待つよ」

 と言った。妻は彼を抱きしめて「ありがとう。お母ちゃん、公園にすぐ行きたいのに分かってあげられなくてごめんね」と言った。

 彼は「うん。行きたかった」と返した。僕は「じゃあ、公園行こうか。まだきっとY君も遊んでるんじゃないかな」と言った。


 別に妻も悪くないと思うんです。普通の反応ですよね。

「おむつ替えてから行こう」
「協力して」
「泣いてると公園行けないよ」

 そんな何十分も泣かれるほどのことは言ってないと思うのです。でももしかしたら「泣いてると公園行けないよ」を息子殿は、「泣いてるお前が悪いから、公園には連れて行かない」と言われたように受け取ったかもしれません。

 「泣き止んでから公園に行きましょう」

 なら、そうはならなかったかもしれませんね。

 もちろん、妻だって、息子がその日それほどまでに公園に行きたいことがわかっていたら

 「いますぐにでも公園行きたい気持ちはわかるんだけど、急ぐからBちゃんのおむつだけ替えさせてくれない?終わったら走っていくからさ」

 くらい言っただろうと思います。そうしたら少しは違ったかもしれない。共感的理解の大切さを思い知らされます。

 その段階では気づかずに、今回のように泣かれてしまうこともありますね。そのときには「泣き止まさせよう」とせずに、寄り添おう、理解しよう、理解したことを伝えよう、とすると良いのです。

変えようとするな。理解しようとせよ。

カール・ロジャーズ

 ロジャーズの教えですね。人は分かろうとしてもらうことで、自分の気持ちに気づくのです。そして誰かに受け止めもらうことで落ち着くのです。

 理解しようとするといっても

母「どうして泣いてるの?ちゃんと教えてよ、言ってくれなきゃわからないでしょ」

 みたいな感じだと、子どもからすると「お前が悪い」と責められているように感じてしまいかねないですね。だから

母「どうしたの?教えて。。。何がいやだった?」

 とかの路線で頑張ってみると良いでしょうし、明らかに誤った方がいいような状態だったら

母「ごめんね。。嫌だったね。。。何がいやだったか教えてくれる
?」から「どうして欲しかった?」につなげて、今後のコミュニケーションについてどうするか一緒に考えるみたいなのでもいいかも知れません。


 僕は息子殿にお願いしました。

父「お父ちゃんもお母ちゃんもなるべく急ぐから、Bちゃんのおむつ替える時には待っててくれないかな。おしっこ溜まって漏れちゃうと可哀想だから。。。スボンびしょびしょになっちゃうしさ。。。どうだろう」

 息子の気持ちも受け止めた上で、こちらの事情も伝えたわけです。そして協力のお願いをしました。なぜそんなことをするのか。

 彼からしたら弟のおむつ替えを優先する理由がないのです。自分は昨日から「明日は公園で遊ぶ」と言っているし、Yくんとも約束している。弟のオムツなんて公園いった後でも替えられる。そう思っているのでしょう。そして実際に、おむつ替えは後でもいい時もあるのです。

 この時は、例外的に急ぎだったわけです。でも彼はそれは知らなかった。だから、不当に自分が後回しにされたと感じても不思議ではないのです。それでなくても上の子からしたら、下の子の方が優先的に面倒を見てもらっていると感じているわけですから。

 「家族の誰かがトイレに行く時は、その人のことを待っていてあげましょう」はルールです。

 ルールを尊重するためには

①合理性
②平等性
③合意性

 が必要なのです。今回のルールには合理性はあります。トイレに行かないと漏らしてしまうし、子どもが小さいうちは家族バラバラになると迷子になるかも知れないのです。

 また平等性もあるはずです。長男がトイレに行きたいときにも、家族はみんな彼のことを待つはずですから。

 あとは、合意性です。合理性や平等性があることを理解して、息子殿が納得することが大切なのです。

 僕はこれに近しいことをしたかったのです。息子が悔しさを理解してもらったと思い、弟のパンツがびしょびしょになるのは確かに可哀想だと思い、急いでくれるんなら待ってあげてもいいと思えること。そんな関わりがしたかったわけです。

 僕はこれを躾だと思っていません。「待たせる」「待つことができるように躾ける」となるとお互いの関係が苦しくなるからです。

 「人のために待てる」という体験をしてほしいのです。

 相手の事情を理解して待ってあげた。そうしたら感謝された。

 そんな体験をしてほしいのです。もちろん

 自分の事情を説明したら、相手が理解して待ってくれた。

 こんな「逆の体験」もしてほしいのです。そうやって社会性(一緒に生きていく力)を身につけていくのだと思うからです。

 自分にはこんなこともできるんだ。そしてこうすると、こんないいことが起こるんだ!

 そういう体験が私たちを幸せな人生へと導いてくれるのだと思うのです。だから、別のシチュエーションでは

 先に行ってるね!と言ったら良いことが起こったし、別に問題は起こらなかった。

 という体験も息子殿にしてほしい。待たずに先にいった方がいいこともあるからです。両方の体験があることで、今回はどっちなんだろう?って考えることができるようになりますね。

 そんな風に考えながら、子どもと一緒に生きています。子育てをしているお父さんお母さん方、助け合いながら進んでいきましょう。お互い迷うこともあると思います。けれども他人と話し合うことで、自分とは違う視点を得ることもできると思います。子育てに正解はないとしても、よりバランスのとれた関わり方と言うのは存在すると思うのです。

おわり

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