僕が17年間リフレーミングを教えなかった理由
僕は2007年からコーチングを教え始めたので、今年で17年になります。その中でスキルとして「リフレーミング」を教えることは殆どしてきませんでした。
2024年になってから、noteに毎日コーチングやカウンセリングの記事を書いています。こちらは本日現在で145万字ほどですが、その中でもスキルとしてのリフレーミングには殆ど触れていません。
リフレーミングはコーチングやカウンセリングにおいて、とても大切な技法の一つです。でも、教えない。もちろん、そこには理由がありました。
不愉快な体験をしてほしくない
コーチを学び始めた頃に参加した、とある2日間のコーチングセミナーででの出来事です。
2日目の午前中に先生が「ではリフレーミングの練習をしましょう」と言いました。
「リフレーミングは、相手のものの見方を変える関わりです。ネガティブな考え方をしている人に、ポジティブな見方を体験してもらうのです。では、相手の人が悩みを話したら、即座にポジティブな見方を伝えてみましょう」
僕はあまり気が進まなかったので、悩み事を話す方の役割を引き受けました。そして
とか言ったわけです。当時としてはまぁまぁガチの悩み事でした。そうしたら、隣の席の良さそうなおじさんが間髪入れずに
「みんなに頼られてるとも言えるんじゃない?」という内容もさることながら、なんか『善意の押し付けパワー』みたいなものによって、一気に力が抜けたのを覚えています。僕はどうしていいか分からず
「うー。。。そうなんですかねぇ」
とか言ったと思うのですが、それに対しておじさんは
「きっとそうですよ!」とニコニコしていました。当時の僕は「もう何も言うまい」と思いました。
これが初めてのコーチング研修じゃなくてよかったです。初めてがこんな感じだったら
「あー。俺、コーチングって合ってないな」
って思って、そこでドロップアウトしていたんじゃないかな。
やろうとしていることは分からなくはないんです。同じ事象でも「利用されてる」というメガネで見るか、「頼られてる」というメガネで見るか。もちろん結果は違うわけです。
だからメガネの切り替えが成功すればクライアントは「あれ?俺、頼られてたのかな。。。。」ってなりますし、心理的にしんどい部分は緩和されるだけでなく、やる気が出たりするかも知れません。
でもね。。。ヒットしないとますますシンドくなるんですよね。ただでさえしんどいところに、的外れなことを言われるわけなので。。。だから
初心者ながら、このような「コーチングっぽいアプローチ」で機能するはずだから、そっちをしたほうがはるかにいいのに、と思っていました。
こんな感じで、リフレーミングと出会いはあまり良いものではありませんでしたが、その後何人もの『好きあらば視点を変えてやろう』というコーチに出会ってきました。役に立ちたい、喜ばれたいという気持ちはわかります(わかりたいです)が、特に元気のないときにこれをやられるとキツイですね。
僕がコーチングの中で、『スキルとしての』リフレーミングを(特に初心者に)教えないのは、このような辛い思いをするクライアントを増やしたくないという思いがあったのです。
操作的になってほしくない
もう一つには『コーチに操作的になってほしくない』という気持ちもあります。
先ほどのコーチのリフレームが上手くいって、僕が
「あれ?俺、頼られてたのかな。。。。」
と思ったとしましょう。そうしたらコーチは「やったぜ!」とか「コーチング向いてるかも」とか思うわけです。
そうしたらどうなりますか?
「隙あらばリフレーミングしよう」なんて思うようになって、リフレーミングの研究を始める可能性があるわけです。もちろんリフレーミングが上手になることはいいのですが、そこにコーチがどんどん操作的になっていく可能性があります。
相手を変えようとし始めたら、それはコーチングの基本発想の真逆を行っていることになるのです。相手を変えようと操作しないこと、相手が自己理解を深め、相手自身が決断し行動することを助けるのがコーチングなのです。
僕はコーチングを学んだ人たちが「相手を変えてやろう」「相手を操作しよう」という感じになっていってしまうことを恐れてきたのです。一回この罠にハマると、クライアントが変わらない場合、コーチはますます相手をコントロールしようとするようになります。より過激なやり方を用いたりするわけです。
その結果、クライアントは反発するか依存的になります。どちらもコーチが望んでいることではないはずです。
リフレーミングに限らずなのですが、私たちは操作的になることに注意をしたほうがいいと思います。手の内はクライアントに全て明かして、クライアントが自分で考え、自分で決めるのを手助けするのが良いと思うのです。そしてもちろんそれでもコーチングはうまくいくのです。
アドラー心理学とリフレーミング
僕の好きなアドラー心理学でもリフレーミングはします。だけど僕はそれはいいと思うのです。なぜかといえばアドラー心理学でのリフレーミングの目的は例えば
「クライアントに自分自身を好きになってもらうため」
だったりするからです。
みたいな練習をするのですが、この目的はあくまでもクライアントに自分自身を好きになってもらうためなのです。
少しでも相手に自分自身の良いところをみてもらいたい。だからこちらも相手の良いところを探している。そんな中で「どう?こんな可能性はないかな?」と一緒に検討しようとする姿勢。
僕はそういう姿勢や、それに基づく関わり方は良いな、と思うのです。些細な違いかもしれませんが、明確な違いがあると思うのです。
アドラーは、人間の行動は主観的な現実認識に基づいていると考えました。つまり、客観的な事実よりも、その事実をどのように解釈するかが行動に影響を与えていると考えたのです。
「僕は勇気がない」とクライアントは言うのですが「勇気がない」は解釈(主観的な現実認識)ですね。自分のことを「勇気がない」と解釈をしていると、自分を好きになりづらいし、あらたな行動も起こしにくいと思います。
でも自分を「慎重なタイプ」だと解釈できたらなら、自分にOKを出せるかも知れないし、慎重に行動を取ることもできるのです。アドラー心理学におけるリフレーミングの目的は、勇気をもって行動してもらうためなのです。
そしてアドラー心理学では、クライアント自身がリフレーミングすることが大切だと考えています。
①自分がどのような見方をしているか気づく
②他にどのような見方があるか検討する
③それぞれの見方が、どんな結果をもたらすか想像する
④どのような見方を採用するかを自分で決定する
⑤それに基づいて行動する
このようなプロセスを通じて、どんな見方をするかも自分で決めてもらいたいと考えているのです。自分で決めたからこそ、自分で責任を持てるのです。自分で決めたからこそ、自分で変更することもできるのです。
だから
みたいな関わりができないだろうかと考えて、そこに向けて工夫したいのです。
リフレーミングは起こるもの
僕も、僕のスクールの卒業生もリフレーミングはしています。というか、僕らのセッションの中でリフレーミングは起こります。
僕らは、クライアントのことが知りたくて、クライアントの色々な側面が知りたくて、クライアントの話を聴くのです。
クライアントのやりたいことが知りたくて、クライアントがどうやってそれをやれるのかが知りたくて話を聴くのです。
未来のクライアントはどんな風に幸せで、それはどうして実現したのか、そのためにどんな工夫をしたり、どんなリソースを活用したのだろうかと知りたくて話を聴くのです。
クライアントの周りの人はどんなことを考えているのか、それはクライアントにとってどんな風に役に立つ可能性があるのか知りたくて話を聴くのです。
僕たちがそうしていると、クライアントは自ら、自分の役に立つ新しい観点を手に入れ、新しい考え方を採用して生きていくのです。
「考え方を変えてあげよう」ではないのです。クライアントの幸せとは何で、どのように実現するのかを探っていくことで、クライアントの考えは必要に応じて、自然と変化していくのです。
今日はここまで。これから何日かはリフレーミングに関するトピックを扱います。普段は教えることのない、リフレーミングパターン集なども紹介する予定です。操作的になるのはよくないと思いますが、様々な観点をもってクライアントと検討できることは、きっと役に立つと思います。
僕たちと、人生を変えるコーチングがしたい方は、一緒にやりましょう!
待ってます
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?