d__jiro
好きな映画監督、好きな作品についての愛を垂れ流します。 時々テーマに沿ってオススメもしちゃおうかしら。
日本語に触れなきゃやってらんね
小説です
Ⅰ風に吹かれながら揺れる白い花が見える。 あんなに強く吹かれて抜けないのだろうか。 荷物を下ろしコートを椅子に掛けてから、僕は思った。 家から一番近いこの喫茶店にはよく足を運ぶ。静かで落ち着いていて、椅子の座り心地が良いこの店は、牛乳瓶の底の様なレンズの眼鏡をかけたお爺さんが大抵一人で切り盛りしており、時々彼の娘であろう気さくな女性が店を手伝っている。 店内は暖色に包まれたとても素敵な空間だが、間取りは少々独特である。入り口を入って右手の窓側に面してカウンター席が6つ。店
先日「依存症と人類」という本を読み終わった。とにかく分厚い単行本で(実際読めるところは350pくらいだけど)なんだかんだ読み終わるのに1ヶ月くらいかかってしまった。 主にアメリカ、あと17〜18世紀くらいのヨーロッパを中心に、人間と嗜好品の付き合い方の歴史が記されてる。それに並行して、実際極度のアルコール&薬物依存症だった著者の回復までの記録も描かれる(こっちの方が面白い)。 大麻、オピオイド(コカインなど)、メスカリン、その他諸々の薬物に興味がある人は読むと面白いかもです。
焦った時に仕事ができなくなる人、途中から入ってきて話をややこしくする人、すぐ早とちりする人。みんな嫌いだ。 中高大とずっと寮にいたからか無意識に人に気を使う。相手が口にしてないことを汲み取ったり、周りの空気感を察知して動いたり。そういうのが完全に体に染み付いてる。だからなのか、そういうことができない人(人で決めつけたら申し訳ないからそういう場面と言おうか)に遭遇した時に、たとえ自分に関係なくても心底不快な気持ちになる。まじあいつ空気読めねえなと白い目で見るのはいじめっ子っぽ
父親から定期的に手紙が来る。こんなことやあんなことがあって…みたいな近況報告から始まり、最後は「最近知り合いで亡くなる人が多いから、いつまでも生きてられると思わず楽しもう」みたいな感じで締まるのがお決まりの形だ。毎度なかなか長文で(父はワードで手紙を書く)来るので、朝仕事に行く前のちょうど良い読み物になってる。この前は写真も貼ってあってなんだかほっこり。 突然返信とかしたら面白いかなと思って、1月くらいに僕も長文を書いて封筒に入れたけど、寒い外に切手を買いに行くのが面倒で、結
今年の初めに五年日記を買った。去年も数回買おうか迷った時期はあったが重い腰が上がらず断念。本屋に併設されてた文房具屋に行った時良い具合の分厚い日記があったので、そのタイミングで買った。どうやら僕は分厚いものに弱いみたいだ。 日記は案外続いている。数日酔っ払っていたせいで忘れたけど、その次の昼に「忘れた」と書き空白だけは埋めている。日記を書く前は、別に書くほどのことは毎日起きないだろうなんて思っていたが、書き始めて、やっぱり何も起きていない。振り返る価値があるのかとすら思うが
ランティモスの新作を見た エログロ満載で相変わらずタブーに触れまくる彼の世界観に浸った 自分は現実主義が好きだ もっと言えば作品の中に意図しなかった形で入ってくる現実が好きだ 若干のノイズだったりカメラの影だったり、そういうのが作品に入ってる方が愛着が湧く 映画、音楽のトレンドも直近数年はそんな感じだったのかなと思う(多分僕がそのトレンドに流れてるだけ) ハイクオリティすぎてはダメで、なんとなく庶民的な、日常的なレベルに質を落とそうとする 実際僕も音楽を作る時にそれは意識
音楽作ってる時、特にミキシングしてる時、「少しでも良い曲を作りたい」って気持ちより「自分たちのポテンシャルの100パーを聴いてもらいたい」みたいな気持ちの方が大きい。 曲を出すたびに(去年は全然出せなかったけど)、まだまだこれは本気じゃないんで…!みたいな気持ちがあって、それって相当なナルシシズムでほんと自信過剰だなと感じる。 デモを作れば作るほど、もっと良いのが絶対できる…と自分をディスりつつ自分に期待して、作っては捨ててを繰り返す それをずっと繰り返してると、やっと自
人はいつから自分の生き方に制限を設けるようになるんだろう やらなきゃいけないことなんて何一つないのに
承認欲求の塊 僕はそうだ 音楽を作っている ただ「凄いね」って言われるために ほんとにただそのために作ってる 詳しい理由は色々言えるかも 音が合った時気持ちい 上手くいったミックスを聴いて欲しい 案外良い感じに歌えた とかとか でも結局は「凄いじゃん!」って言ってほしくて だから何時間もプラグインと睨めっこする 頑張ってところで数人しか聞いてくれないかもけど 友達の友達の友達が聞いてくれるかもと思って 自分の頭の中の音を表す 僕はただの承認欲求の塊 ただの塊
8 1/2を観た。 今このタイミングで観たのには大きな意味があるのではと思うほど、素晴らしい映画だった。 最近、職場の人、友達、家族。誰かと話してる時に、「こいつ何言ってんだ?」って自分自身に対して思うことがよくある。なんというか、意識はふわふわ宙に浮いてて、口だけ動いてる感じ。別に適当に嘘を並べてるわけではないんだけど、会話が終わって振り返った時に、なんか自分の思ってることと違うこと言っちゃった気がする…と考えてしまう。大体の場合そっから色々派生して、結局自分が一番言いた
可視光調光レンズの眼鏡を買った。どうやら思ってた以上に感度が良いみたいで、雨の日でもやんちゃなお兄さんになってしまう。仕事につけていくつもりだったけど、少し考えよう。 南極料理人を見た。良かった。ご飯を食べるときの人間は潔い。どんなに悪い人も、ご飯を食べる時は目の前のことしか考えてないのかと思うと人間全員可愛く見える。 ご飯を作ると幸せな物質が脳に広がるらしい。その物質が何かは知らないけど。イライラした時に中華の厨房にいる感じで作りまくるとスッキリする。 朝井リョウの正
何時間もパソコンに向き合ったのに何も生めないことがよくある。作っては消してを繰り返して結局何も残らないみたいな。これだったら別のことすればよかったなみたいに後から思う。 好きなアーティストがインタビューで「最初は作りたいものが全く作れなくて辛かったけど、段々と理想に近づけるようになるとそれにやみつきになる」って言ってた。成功者のありきたりなセリフだと思う反面、自分も早くそのやみつきのフェーズに行きたいなと嫉妬する。
北海道に来て1ヶ月半が経過した。もう少しかも。 毎日思わずにんまりしてしまうような絶景を見ながらドライブして、自分はここに来てよかったのかなぁと考える。多分違う生活をしてても同じようなことを考えてただろう。 全く知らない土地に行って段々と地域の人と仲良くなる過程は結構好きだ。人脈の広がりはもちろん、徐々に確立してくルーティーンも好き。火曜と金曜に銭湯に行ってコーラを飲み、日曜に大きいスーパーで食料のまとめ買いをして、水曜にガソリンを入れて…。うまくハマり始めるとすごく気持
岡本太郎の本『私の現代芸術』に「コンペイ党宣言」という章がある。 丸くなるな。金平糖のように尖り続けろ。そんな彼の人生論が綴られている。 人は誰でも大人になるにつれて物事の要領を掴み始める。 日常生活の動作一つにしても、職場の人との会話にしても、なんとなくうまい具合の返しだったり、アクションを学ぶ。岡本太郎ほどの奇才であってしても、彼の本業である絵画においてその要領の良さは出てしまうらしい。筆の使い方、絵の具のノリ具合。それらを学ぶうちにどことなく上手な絵が描けてしまうよう
3月31日までに投稿すれば○ヶ月連続! noteからの必死の訴えを横目に過ごしているとあっという間にもう4月。 別に連続が続いてたわけではないけど、また振り出しに戻ったと思うと少し悲しい。 3月はなんだか流れの速い川のように、なんなら奔流、いや滝のように過ぎ去っていった。押し寄せる酒の波に飲まれぬよう、二本足で踏ん張っていた毎日。少々飲み食いをしすぎたせいか、体重が新たな階級へと上がってしまった。当然、本を一冊も読了することはなかったが、ちょうど今さっき、少しずつ読み進めて
映画にこんなセリフが出てきた。 大好きな言い回し方だなぁとしみじみ。 孤独を知る人は強いなんてよく耳にするが、その意味は未だによくわからない。 辛い過去を経験した人とか、人に言えない何かがある人とか、そんな人たちが所謂一般人より強いってことなのか。それなら所謂一般的な家庭で、そして環境で育った自分は当てはまらないのかもなんて失礼な事を勝手に考えたりしてしまう。 最近、ここ数ヶ月ほどか、自分が肯定的に捉えている「孤独」の意味が少しながらわかってきた。 それはまさに、冒頭の映