部活ってみんなが競技志向なのでしょうか
はじめに
1年以上も放置してしまう。マイペースという言葉でカバーできない自堕落さですが懲りずに書いていきます。
前回の記事から1年以上、文部科学省・経済産業省の各種発信や取り組みを中心に、各自治体もそれぞれのペースで部活動の地域移行や、教員の働き方改革へ着手し始めています。
しかしながら、それぞれの立場からの熱がこもった主張もあり、当たり前になっていたものを新たな形で進むまさに「産みの苦しみ」だなと感じる次第です。
変わらず、前職時代に創り上げた部活動の指導に携わる専門人材養成カリキュラムの利活用に携わらせていただくことができており、部活動を支えたい民間企業様や人材の質を担保したい行政の皆様にカリキュラムを有効活用して貰える方法を模索しています。
こんな記事を見ました
先日、以下の記事を拝見しました。
ライターでもなんでもない私がプロの記者が書かれた文章に意見するのも烏滸がましいのですが、一部の声がマジョリティであるかのように読めちゃうリスクがあるなと感じた次第です。
熱心に部活動に打ち込み、甲子園・センバツに出ることが自身においても、社会においても価値が高いという考えがあり、同じ気持ちで活動できる教職員や保護者がいる公立高校野球部における話題としてはドンピシャだと思います。
という前置きはあったものの、個人的には一部を切り取って批判するばかりでなく、部活動改革は冷静にそして視野を広げて理解と対話をする必要があるなと思っています。
部活って実は色々だと思うんです
過去記事でも書いた通り、部活動は素晴らしいドラマが垣間見える青春の一ページであり、多くの感動が集まる可能性を秘めています。
中でも高校野球・高校サッカー・春高バレーに花園などメディア露出も多く、この競技のコンペティションといえばこの会場!のようなイメージの定着が出来上がっている種目もあるわけですが、それを目指すだけが部活動なのかと考えると視野が狭いように感じます。
学校部活動とは学習指導要領において「生徒の自主的、自発的な参加により行われる」とされています。つまり、強制的な部活動の加入や、心身の健康を損なうレベルでの活動強制はそもそもの在り方としてちょっと違うわけです。これらは文部科学省から出されている「運動部活動の在り方に関する総合的なガイドライン」にも2018年時点で明記されています。
細かな数字の整理もしていない中で作図しているものにはなりますが、
部活動にかける強度(体力・気力・金銭力など)を階層にして考えてみました。Tierとしていますが、社会的にどちらが優位という意図はなくあくまで強度の階層です。
私自身の部活動を振り返れば、全国大会に出たい、優勝したい、プロになりたいと絶賛Tier1に属するタイプの少年でした。進学先は部活で選択するという判断も至極当然であると考えていました。
しかし部活動に関わる仕事を経験させていただく中で視野も広がり、自分が見ていた世界の狭さ(部活というものに対する自身の固定観念)に気がつきました。
1つの種目をとっても、かける想いも注ぐリソースもそれぞれです。
そしてその差は、良し悪しではなく「選択」であり、自主的自発的な判断に基づくものとして尊重される必要があります。
目立っている層だけが正義ではなく、それぞれの部活動を守るための基準を模索する。その先で競技力向上を目指す層に必要な外部の支援や、更に強度・ハードルの低下を意識したスケールダウンなどの施策が生きてくるのではと思います。
いずれにしても、これまで意識的に見つめてくることが少なかったかもしれない「部活ってそういうものでしょ?」は本当に正しいのか、少し視野を広げると違う景色も見えて来るなと思っています。
こんなこともいい議論だなと思います。
↓
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?