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専門医ではない担当医
今年の春、急に具合が悪くなった母はただごとではないと思い
救急搬送の際、大学病院を指定した。
そこで検査入院をした際、脊髄梗塞と診断され
二週間の入院の後、リハビリに特化した病院に転院となった。
今年、母親はその二箇所の病院で約五ヶ月入院していた。
退院の際、最初に入院していた病院にかかり、繋がりがあった方がいいことや念のためにMRIを撮った方がいいと主治医に言われた。
母は体に麻痺が残ったが、将来的に運転したい場合は大学病院の診断書が必要であるし、MRIは入院初期にしか撮っていないため、発症から半年後に今はどんな状態か念のため調べた方がいいとのことだった。
退院前日にコロナ陽性になった母はヘロヘロの状態で退院したし
長い入院と病気から、体力や筋力が戻らなかった。
そんな中、紹介状を手に大学病院に無理して行ったのだが
当時母は座位が30分も保てず
長い待ち時間がかかる大学病院はそれはそれは大変だったらしい。
まず父が保険証を提出し、しばらく病院で待ち、親戚が時間差で母を病院に連れて行ったらしいが
予約時間は大幅に過ぎていたし、お昼の時間にかかってしまったらしい。
両親曰く、医師は疲れ切った顔をしていて非常に事務的であり、運転の診断書は本人が希望すれば書いてくれそうな様子だった。
ただ、MRIは医師から提案はなく、両親も待ちくたびれて疲れたことや医師の疲れた様子から言い出しにくく、撮らなかったらしい。
リハビリ病院ではMRIを撮れないため、日を改めてもう一度両親は大学病院へ行った。
大学病院は完全予約制であり、前回予約をしなかった母は
初診扱いとなった。
また診察時間はかかるだろうと、10:30くらいに通院したらしい。朝一の診察は混むと思ったそうだ。
だが、基本的に完全予約制のため、予約者を先に診察のため、待てども待てども名前は呼ばれず、診察が終わったのはなんと14:00過ぎだったという。
まだ体力が戻らない母は病院で横になっていたらしい。
排泄障害もあり、ささっとトイレに行けない母は迂闊に飲み物も飲めず
いつ名前を呼ばれるか分からなかったためその場を離れられず
お昼を食べずに待っていたらしい。
食べ物の自販機やコンビニ、レストランを利用すればよかったのに、と帰宅後に両親に言ったが
二人ともそんなものがあるとは頭が回らなかったようだ。
父はケチなため、外で買うのを嫌うし
母はそんな父に遠慮して言い出せず、我慢していたようだ。
その大学病院は私は春までかかっていたため
待ち時間が長いことや食事の件はさんざん話していたのだが
初回にMRIを撮らなかったことや予約をとらなかったことが今回につながっている。
そもそも、朝一に通院しなかった時点で待ち時間は長いに決まっている。
私も予約時間の40分後くらいに呼ばれるのはザラだったし、採血さえ一時間待ちもあった。
だが、母は今早起きができない。
朝早く通院は負担がかなりかかる。
座位を保つこともどこかに外出することも大変だし
一度にたくさん食べることも難しくなった。
刺激物も食べられない。
空腹を待つことも難しくなった。
すぐに心身調子を崩す。
だから初回通院時に早く帰りたかった気持ちも、今回10:30に通院せざるを得なかったのも仕方ない。
待ちに待ってようやく名前を呼ばれた。
初回診察をした際の医師は退職したため、今回新たな医師が診てくれたらしい。
MRIを撮るのは数ヶ月後になった。
診察の際、医師は「自分は診察はするが、脊髄梗塞の専門医ではないからよく分からないし、転院しても構わない。」という趣旨のことを話したらしい。
さんざん待たされて、我慢して、高いお金を払い、母が得たものは数ヶ月後のMRI予約とその言葉だけだったらしい。
MRIにしても、医師は撮る必要はないが、どうしても撮りたいなら好きにしたらいい、というようなニュアンスだったらしい。
外食にお金はかけたくないが、空腹により思考力が低下し、苛立つ父親は
早く家に帰ってご飯を食べようと提案した。
母親は帰宅後にご飯を用意する余裕はなく、帰り道にお店に寄り、牛丼をテイクアウトするよう懇願したらしい。
帰宅後、牛丼を食べようとしたら、病院に座布団を忘れたことに母親は気づいた。
母親は入院生活により筋肉量などの低下で座位の時、尾てい骨が当たって痛いため、必ずマイ座布団を外出時は持参していた。その座布団以外は合わず、痛みがひどいらしい。
普段はピックアップで歩行だが、外出時は外出先の車椅子を使用していた。
どうやら、病院に車椅子を戻した際にそのまま座布団を置いてきたらしい。
父親は激怒した。
なんで座布団を忘れるんだと母に激怒した。
しっかりしろと激怒した。
母親曰く、自分は車に乗り込むのに精一杯で座布団まで意識はいかなかった。
車椅子を戻したのはお父さんだし、お父さんが気づいて運んでいると思っていた、と。
二人とも空腹と疲れで思考力は低下していたのだろう。
病院に問い合わせたら、座布団はあったので、父親はすぐに病院に取りに戻り、母親は先に牛丼を食べて待っていたらしい。
…私が仕事している間にそんなことがあったとは。
帰宅後、その話を聞き、両親共に心身の低下が心配になった。
父親に母親を任せて大丈夫だろうか。なんと頼りないのだ。
父親には、母親は今、長時間の空腹がキツいことや胃が些細なことで不調になりやすいため
それを配慮し
お金をケチらず、院内の自販機やコンビニで次回はパン等を買うように伝えた。
母親は、さんざん待たされて我慢した挙げ句に医師から素っ気なくされ、父親からは怒鳴られ、胃は空腹や急に牛丼を食べたことでビックリしたため、泣いていた。
悔しさや悲しさで泣いていた。不甲斐ないと泣いた。
私は母親に伝えた。
前の職場の利用者で難病の方も専門医がいなく、他県に通っていること。
脊髄梗塞は10万人に1人のレアな病気のため、専門医はなかなかいないこと。
大学病院で専門医がいないなら、県内の病院に専門医はあまりいないかもしれないこと。
ひろみちお兄さんがきっかけで、脊髄梗塞がもっと有名になって治療法やなんやらが見つかるといいね、と。
その日の夜、父親は母親を怒鳴りすぎたと落ち込み、眠れなかったようだ。
母親曰く、座布団の件はものすごく怒られたらしいから、我にかえった時にハッとしたのだろう。
翌日の朝、お父さんはお母さんに途中でパンを買わなかったことや怒鳴りすぎたと謝ったそうだ。
お母さんもお父さんも毎日傷ついたり、傷つけている。
家族介護も病気も、こんな風に日々戦わなければいけない。
翌日、私は両親に提案した。
大学病院に専門医がいないなら、総合病院に転院した方が待ち時間は短くなるのではないか。総合病院ならMRIも撮れるかもしれない、と。
ただ、総合病院に転院となるとまた初診扱いとなり、一からやり直しだ。
両親も迷っていた。
大学病院でMRIを撮ったら、あとはしばらく通院する必要がない。あと一回の通院でいいのだ。
二人でよく考えて決めたらいいと伝えた。
次の通院時は、お母さんが泣いたり、お父さんが怒らないで過ごせたらいい。