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サーカスの再演を待っている

私が初めてサーカスに行ったのは、幼稚園の頃だった。

家族と親戚と二家族で出掛けた。
いとこが近くに住んでいるので、二家族合同で出掛けることはよくあったし
いとこや親戚が我が家に遊びに来る回数は多かった。

 
私には二歳上の姉がいて、今でこそめちゃくちゃ仲が良いが
姉は面倒見が良いタイプではなかった。
マイペースに自分の世界に入り込む人だった。

 
従兄弟は私の四歳上で、穏やかで優しい人だ。
私とよく遊んでくれた。
妹のような存在だったと思うし
私は兄のように従兄弟を慕っていた。

 
従姉妹は私の六歳上で、面倒見が良い世話好きだった。
私が赤ちゃんの頃からよく面倒を見てくれたらしく
姉役割は従姉妹だった。

 
いとこ兄弟は仲が良くないが
私達姉妹といとこきょうだいで四人集まると
みんなでわいわい過ごすことができた。
私は四人の中で一番下だったから
周りの大人からもいとこからも甘やかされていた。

 
 
私は小心者で内向的でビビりだが
従姉妹は大らかなタイプだし、年上なので
初めてのサーカスにオロオロしている私の横にいて面倒見をよく見てくれた。
初めてのサーカスはおっかなびっくりだが
みんなでのお出掛けが楽しかったらしく
特に恐怖感は感じずに終わったようだ。

 
ただ、なんせ幼稚園時代なので
サーカスについて詳しく覚えていない。
多分、サーカスに行った時に光るオモチャか何かを買ってもらい
サーカスよりもオモチャの方が嬉しかったのだと思う。

 
 
 
次にサーカスに行ったのは、小学校四年生の時だった。
家族と出掛けた。

この頃になると記憶が残るので、実質初めてのサーカスはこの時に近い。
至近距離で球体場のオリの中でバイクを乗り回すのが迫力があった。
動物の芸も見事だ。
おどけたピエロもいいし
派手な衣装に着飾った人のアクロバティックなショーに私は目を奪われ
サーカスは面白いなぁと思った。

 
サーカスは、全国各地を転々と旅をする。
そして、全国各地で一定期間ショーをやっては
また別の地でショーを行う。

私がサーカスに行った二回は
どちらも地元に来ていて、たまたまチケットがとれたからだ。

 
だから、サーカスは特別感がある。
いつでもどこでも見られるわけじゃない。
巨大なテントも、サーカス団が立ち去るとガランとする。
寂しいものだ。

 
 
私が小学生の頃、ドラマ「家なき子」が大流行し
映画化もされた。
舞台はサーカスた。

私は運動神経が悪いため、どれもできる気がしないなぁと思いながら見ていた。

玉乗りは玉ごとひっくり返りそうだし
猛獣使いにもなれずに吠えられそうだ。
空中ブランコの練習のトランポリンでまずしくじりそうだし
ナイフ投げはする前に自分の手を切りそうだ。

 
私がすずのようにサーカス団に拾われたら…

ピエロになってチラシ配りしかできないだろうな。
うん、私の生きる道はピエロしかない。
おどけたピエロしかないのだ。

私はそんな風にも思っていた。

 

   
「こち亀」の漫画では、サーカス団員と幼なじみの恋の話があり、彼女は故郷を後にして彼の夢についていきというオチだった。

 
私には真似できないなぁと思った。

 
私には夢ややりたいことが溢れていて
それを捨ててまで愛に生きる…ことは
多分どんなに好きでもできない。

私の夢や使命が、本家を継ぐことだからだろう。

 
この前、沖縄の施設で働かないかとスカウトされたが
私は断った。
一歩前進すれば世界は広がるのかもしれないが
私には全国各地で仕事をしたい夢はないし
仕事するにしても沖縄は選択肢になかった。

 
 
 
小学校を卒業してから、サーカスと特に縁はない生活だったが
大人になり、二代目の愛車を購入したら、木下大サーカスのペアチケットが当たった。
抽選だったのでラッキーである。

幼稚園時代や小学校時代に行ったサーカスは木下大サーカスではなかったので
人生初、木下大サーカスだ。

 
久々のサーカスに私ははしゃいだ。
天気はあいにくの曇り空だったが、それでも私は嬉しかった。
サーカスには彼氏と行った。

彼氏は初サーカスだし
私は初サーカスデートだし
お互いにワクワクしていた。

ワクワクするのは子どもだけではない。

 
 
木下大サーカスは盛況で、駐車場は満車に近いし、テントの中にはギッシリお客さんがいた。
エリアに分かれて、チケットの値段のランクが違うらしい。まるでライブ会場みたいだと思った。

とにかく動物のショーが多い印象で
ホワイトタイガーやライオン、キリン、シマウマと
様々な動物が出てきた。

  
団員や動物が次々に何かをやるたびに、「おー!」とか「わー!」とか言いながら
いちいちワクワクし、いちいちテンションが上がり、拍手をしてしまった。

サーカスはエンターテイメントだ。
狭いテントの中、非日常的なワクワクや夢がキラキラ詰まっている。

 
本来は最後まで見ていきたかったが
あまりの混雑ぶりに、終わりかけのところで席を立った。
彼の要望だった。

  
確かに駐車場は舐めていたとしか言えないくらい車がたくさんあったし
入口と出口の数からして、終わりまで見たら渋滞は免れない。

実際、同じ考えの人もチラホラいた。

 
早めに出たことで渋滞を免れられ
車内でサーカスの感想に花開いた。

テントの周りには色々な食べ物やグッズが売っていたが
特に欲しいものはなく
私には楽しい思い出という記憶しか残っていない。

 
 
 
 
 
そんな中、今年2020年に、地元にポップサーカスが来ることになった。

我が県はサーカスに盛り上がり
各場所にサーカスのお知らせが貼られ、チケット購入の流れの説明が書かれていた。

甥っ子はだいぶ大きくなり、サーカスに行ける年頃になった。
甥っ子はまだサーカスに行ったことがない。

 
「みんなでサーカス行こうね!」 

 
多分、お知らせがあった2019年末か2020年はじめ頃から
家族みんなで言い合っていた。
特に母親が張り切っていた。
サーカスは滅多に来ない。

 
ポップサーカスは2月15日から公演だ。
始まりたては混むだろう、と初日は避けていた。
職場の利用者は行った人もいて
「いいなぁ~。」とみんなで言い合った。
まぁサーカスは滞在期間が二ヶ月もあるし、慌てることはない。
今はまだ寒いし、きっと混んでいる。

 
 
しかし、その頃には別の心配もあった。

コロナウィルスである。

ダイヤモンド・プリンセス号でコロナが感染拡大していると騒いでいた時期で
サーカスというテント内の密はどうなんだろうという不安があった。
特に姉である。

 
「今コロナって騒いでるんだよ!?小さい子がかかったらどうするの!?」

 
行きたがる母とは対照的に、姉は反対した。
本当は2月23日に家族で行く予定だった。

 
母「大丈夫よ~。せっかくサーカス来るんだし、孫を連れて行きたい。」

 
姉「それで何かあったらどうするのよ!?コロナウィルスはまだ未知のウイルスなんだよ。」

 
話し合いは平行線だった。
だが、たまたまその日は朝から強風だった。

 
私「私もサーカス行きたいけどさぁ…今日風強いから、テントは危ないんじゃない?」

 
父「運転もハンドルとられそうだしな。」

 
私「もう少しコロナや寒さが落ち着いてからでいいんじゃない?」

 
 
その日は、そんな風な流れで、サーカス行きを中止し、我が家でみんなで遊んだ。
強風はなかなかおさまらず、「やはりこの中サーカスは危ないね。」となった。

 
 
2月に退職届を出した私は、3月1日から有給休暇消化が確定していた。

「姉がダメだって言うなら、私は一人でサーカス行ってくるよ。平日なら混まないだろうし。」

私はそんなことを言ってもいた。
退職で心はモヤモヤしていた。
楽しいことで心を満たしたかった。

 
 
そんな中、2月27日からサーカスを休園するお知らせが発表された。

ちょうど安倍総理からライブ等の人が集まるイベント自粛を要請された頃で
サーカスもそれに従い、休園することを決めた。

 
私の心はガラガラと崩れ落ちた。
ライブだけでなく、地元のサーカスさえ行けなくなってしまった。

  
サーカスは最初、3月の中旬まで休園発表をしたが
ディズニーランドと同じように
休園期間を少しずつ少しずつ伸ばしていった。

 
2月27日の休園発表の時点で
もうサーカスは絶望的だと思ったが
悪い予感は的中し
その後再開されることはなかった。

 
街中に貼られたサーカスのポスターが悲しかった。
大々的に広告していたのに
二ヶ月中、僅か12日しか公演をしないで休園に入ったのだ。

寂しさしかなかった。

 
 
 
 
木下大サーカスは、今でも我が県に留まり続け、練習をしている。

サーカス継続のため、クラウドファンディングを行っていた。
ニュースに木下大サーカスの様子が映っていた。
行きたいのになぁ…と思った。

 
映画館は再開し、ライブや舞台や公開収録(テレビ)、スポーツ観戦も形を変えて再開し
試行錯誤をしながらも
少しずつ少しずつ日常生活を取り戻しつつある。

 
サーカスはまだ、様々な制限がかかるのだろうか。
再演のお知らせはいまだにないままだ。

 
木下大サーカスのチケットはまだ捨てられない。 
もう期限切れだから使えないのは分かっているけど
なんとなく、まだ捨てられない。

2月に行く予定だったサーカス。
まだ行く気があるサーカス。

 
再演を、私はまだ待っている。

  

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