引きこもりと孤独感
私がまだ高校生の頃、引きこもりは他人事だと思っていた。
小太りの無精髭のおじさんがゴミだらけの部屋でカップラーメンをすすっている。
引きこもりというと、そんなイメージがあった。
それは多分、金八先生のドラマでそういったシーンがあったからだろう。
大学に入り、複数人の友達の兄弟が引きこもりだと聞いて、私は内心驚いた。
私が初めて知った、身近な引きこもりの方だった。
10代の引きこもりの印象がそれまでになかったのと、身近にいたことに驚いたのだ。
思い返せば金八先生のドラマでだって、引きこもっていたのは若い男性だった。
ドラマの題材になるくらいだ。
私が考えている以上に実際はいるのだろう。
大学では臨床心理学を専攻していたことも関係していたのだろうが
自身もしくは身近な人が何らかの闇を抱えているのは当たり前だった。
私を信頼してか
はたまた、私が臨床心理学を学んでいるからか
様々な人からの様々なカミングアウトがあった。
「ともかには打ち明けやすい。だってともかって、どんな話を聞いても、驚きはしても引かないでしょ?」
そんな類のことを私は何人にも言われた。
確かに何らかのカミングアウトをされて、私は引くことはなかった。
カミングアウトにより関係性を断ち切ったり、距離を置くことはなかった。
色んな人がいるなぁと思い
悩みがない人はいないなぁと感じるくらいだ。
表面的に普通を装っていても
誰一人として何もない人はいないのだ。
後に、私の親戚も引きこもりになった。
初めて就職した場所で凄絶なイジメにあったらしい。
イジメた人々は職場に残り、イジメられた親戚は精神を病み、働き出して一年もしないで退職に追い込まれた。
今でも精神薬は手放せず、それから再就職をすることもなく、所謂ニートとなった。
就職先が病院だから恐ろしい。
人を救うべく働き出した人達が内部でイジメを行うということに、私はおののいた。
まだ私が大学生の頃の話だ。
私も後に、専門学校や職場で大人のイジメのいやらしさを知るが
私は当時、大人はもっと大人だと思っていた。
大人も所詮、一人の人間でしかないのに。
知人の恋人も、やはり職場でパワハラを受け、パニック障害やうつ病になり、引きこもりになってしまったそうだ。
友達の兄弟は、家庭内や学校の諸々で引きこもりに至ったそうだが
親戚や知人の恋人は就職先で激しい洗礼を受けた。
私は身構えた。
就職が怖くなったのは確かだ。
「職場で一番大切なのは人間関係。」と両親は口をすっぱくして言っていたし
短大卒や大卒で就職した友人達は
社会の洗礼を私より先に受けていた。
引きこもり…まではいかないが、人間関係で辞めたり、病んだ人は一人や二人じゃなかった。
明日は我が身。
そう思っていた。
だから就職先は、アットホームな雰囲気だと感じた施設に決めたのだ。
私の身近な存在の知り合いが引きこもり、という話を耳にしたり、相談されることはあったが
実際に会ったことはなかった。
実際に引きこもりの人と直接関わるようになったのは
私が社会人になってからだった。
私が就職した施設は、障がい福祉施設で
対象は18歳以上である。
市役所で手続きをすれば、15歳からでも利用できたが
あくまでそれは特例で
基本的には、特別支援学校を卒業した人が利用していた。
卒業後の利用なので、基本的には3月もしくは4月、卒業式以降に施設利用が普通であり
春になると新規利用者が増えた。
だが、春以外でも新規利用者が入る場合もある。
例えば事故に遭った人。
病気で倒れ、入院していた人。
他施設を利用していたが合わなくて、他の施設に移籍を考えている人。
そして、引きこもりの人。
学校卒業生の場合は学校と施設と家庭でのやりとりで利用が決まるが
それ以外の場合は、相談支援事業の方から話があるのが普通だ。
障がいがある方が直接うちの施設に来て、「俺、今日からここ来たいんだけど。」と自分を売り込みに来たケースもあったが
基本的には本人が希望していても即利用はできない。
市役所と相談支援事業を通さない限り、施設と家庭(本人)でのやりとりだけで利用はできないのだ。
「今回、利用希望している方は学生の頃から引きこもりで……」
私が働き出してから初めて、ニートの方が利用希望を出してきた。
私が社会人二年目の時だった。
担当者会議で配られた資料には、事細かに生育歴や家族構成、性格、障がい、病気等が載っている。
毎回、新規の利用者が入るごとに資料を見ると
色々驚かされる。
今回もそうだった。
非常に内容が濃い。
人の数だけ、人生がある。
学校で心理学や福祉の勉強を数年かじったぐらいでは分からないほど
人の人生は非常に、濃い。
資料を見ると攻撃的な一面を持つその方を、私は担当することになった。
そして様々な事情があり、同時期に別の引きこもりの方も私が担当することになった。
どひゃ~!
重なる時は重なる。
本来ならば、マンツーマンで、事業責任者の私と新規利用者で関係性を築いていきたいところだが
利用開始日は同日だった。
まして一人は、資料によると、攻撃的な一面を持つ人……。
そして、実際と資料は異なる。
資料でありのままに書きすぎると受け入れられない為、表現を多少抑えるのも通例だ。
資料の斜め上と思ってこちらは準備をするのが当たり前だ。
私は覚悟をしていた。
そして予定通り、引きこもりの人が二人、利用者の仲間入りをした。
もちろん、周りの利用者は引きこもりだということは知らない。
職員間では情報共有するが、利用者には名前と性別位しか伝えない。
私の担当利用者は人見知りしない人が多かった。
仲間が増えるというのは、みんなにとって喜ばしいことなのだ。
「今日からこの事業に入ることになった○○さんと●●さんです。
まだ施設のことやみんなの名前、よく分からないから、みんな、教えてあげてね!仲良くしてね!」
「はぁ~い!!」
朝の会は、二人の仲間が入ったことでひどく和やかだった。
職員は内心、かなり警戒していた。
資料にはそれだけのことが書かれていた。
だが、私達の心配をよそに、二人の方は社交的だった。
拍子抜けするくらい、適応力があった。
私と信頼関係をあっさり築いた後、他の職員や利用者とも仲良くなった。
驚いた。
一人は引きこもり歴がそんなに長くなかったのと、引きこもりに至る経緯が経緯だったので
さほど警戒していなかった。
だが、もう一人の方は10年以上引きこもっている上に、利用に至る経緯が経緯で
他施設が引き受けを拒んでいたというのに
いざ蓋を開いてみたら、こんな結果とは。
人間関係に大きな問題はなく、また手先も器用だったり、力作業も得意とした。
事業の中で役割ができ、仲間として溶け込んでいった。
「ともかちゃん、施設楽しいね!家に一人でいるより、ずっといいや!今は施設休みの土日が寂しくてさ。」
「ともかちゃん、昨日何食べた?俺ね、カツ丼食べたの、カツ丼。」
二人は私に色々な話をし、たくさん笑った。
施設が合わず、早々にまた引きこもりに戻るのでは…と懸念されていたが
二人は施設の生活が合ったらしく、辞めることはなかった。
長期的に休むこともなかった。
私は偏見があった。
引きこもりの人は対人コミュニケーションが苦手であったり、社会性がないイメージがあった。
だけど実際は周りのみんなと大差ない普通の人だった。
ただ、環境やきっかけがそうさせただけだ。
相談員の方は定期的に様子を見に来て、二人が溶け込んでいるのを見た後
私にコソッとこんな話をした。
「実は、施設利用に持っていきたい引きこもりの方がたくさんいましてね…真咲さん、その手腕で宜しくお願いしますよ。」
……………。
驚いたことに、それから確かに施設利用希望者として、引きこもりの方がたくさん来た。
見学だけで終わった方もいれば、早々に辞めた方もいれば、今でも長続きしている方もいる。
こんなにいるものなのか………
私は本当に驚いた。
世の中には知らないことがたくさんある。
家族から、施設利用希望を出されても本人が望まないケースも多々あり
相談員の方は長期に渡って関わりを持ち、信頼関係を築いてから、施設を斡旋しているようだった。
その証拠に、引きこもり歴10年は何も珍しくなかった。
珍しくないと捉えられる私になっていた。
相談員の方は会うごとに
「まだまだ真咲さんに、お世話になることになると思いますので、宜しくお願いします。」
と口にした。
新規の利用者の方が増えても増えても、まだまだ世の中には引きこもりの方がたくさんいる。
そう感じた。
そして……………。
…私は担当利用者の資料を持っているし、そして送迎をしているから知っている。
例え家族が話さなくても、利用者自身が話すから知ってもいる。
きょうだい児の引きこもり率が高いことを。
きょうだい児とは、きょうだいに障がい者がいる人を指す。
きょうだい児は、きょうだいに障がい者がいる故に、家族が他の兄弟に構ってばかりで寂しさを感じたり
学校でイジメを受ける率が非常に高かった。
小学校は残酷だ。
普通学級、もしくは特別学級でもいいが
同じ学校内に障がいがあるきょうだいがいた時
周りがどんな反応をするかは
容易に想像がつく。
奇声を発したり、多動であったり、攻撃的な何かをしたり
読み書きや計算といったことを含め
他の人ができることができない人を
いちいち差別しないで仲良くする。
それは大人にだって難しい。
おそらくきょうだい児の方は物心ついた時、理不尽さに声を荒げても、「家族なんだから。」とか「あなたは●●ちゃんのお兄ちゃんでしょ。」とかなんとか言われ
辛い気持ちを押し殺してきたことも多かったのだろう。
障がい者がきょうだいにいても、仲の良いケースももちろんあるが
引きこもりの方と利用者のきょうだい仲は大抵険悪だった。
私の施設はあくまで、“障がい者”が対象だ。
“障がい者で引きこもり”ならば、利用者になれるし、支援の対象となるが
利用者のきょうだいは、支援対象ではない。
利用者の両親、特に母親ならば
ちょっとした相談や例えば家庭内での色々を
私は打ち明けられることは非常に多かった。
母親…両親相手ならば
手を差し伸べられれば、できる範囲でなら
力になれた。
だが、利用者のきょうだいの、力にはなれない。
それは私や施設だけでなく
日本全国で、まだまだ取り組みが遅れていた。
きょうだい児という言葉もまだまだ知名度は低く
福祉関係者でさえ知らない人が多いくらい
孤独な存在なのだ。
孤独。
それは人を弱くする。
誰にも分かってもらえない辛さ。
他の人と同じことができない苦しみ。
他の人と自分は違うという切なさ。
それが積もり積もって、人は引きこもりになるのだと思う。
引きこもりになった人が弱いのではなく
環境がそうさせているに過ぎないと私は思っている。
これ以上傷つきたくないと思うのは生き物としての本能であり、当たり前のことである。
誰かと関わり、社会に出るのは戦いだ。
良くも悪くも外の世界は刺激が強い。
深く孤独感が募った人に「次は上手くいくよ。」「頑張ればなんとかなるよ。」なんて言葉は
余計にその人を追い込むだけだ。
仕事で引きこもりの方を支援していた私も、今では無職となり、結婚の予定もなく、ほとんど毎日引きこもっている。
「コロナだから仕方ない。」と人は言い、私自身もそう言ってもいるが
じゃあコロナがなければ、次の転職先はアッサリ決まっていたかと問われれば、何も言えない。
失業保険はもらっているし、転職活動はしているが
今は世の中がこんな状態だ。
私の転職が上手くいく保障は何もない。
人生何が起きるか分からない。
私は大学生の頃から、自分も同じ立場になり得ることを密かに覚悟していた。
特に秀でたこともなく、不器用で、できないことがたくさんあって、人間関係もそれなりに色々ある。
たまたま今まで、人に恵まれて、努力でなんとかなっていただけだ。
だけど世の中は、色んな人がいるし、努力でどうにもならないこともある。
いくつになっても可能性はあるけれど、動くなら早ければ早い方がいいにこしたことはない。
私は怖い。
今まで生きてきた中で私が得たもので
転職活動や今後の人生は上手くいくのだろうか。
世の中がこんなに不安定な中、私は上手く次の道を探せるのだろうか。
不安で怖くて
前向きに捉えようと頑張ってみても
時々どうしようもなく孤独を感じて死にたくなる。
心身がまず健やかではないと何も始まらない。
そう思っていても
連日の暗いニュースや連日の雨に
私は確かに蝕まれていた。
日光不足だと人はうつになりやすいと知識で知ってはいても
理屈だけでは解決しないことがある。
自分に負けそうな時はアンネ・フランクを思い出す。
私はまだ、外に出られる自由があるじゃないか。
好きなものを並べる。
楽しいことを浮かべる。
人との付き合いや距離を見直す。
そうして病まないように、私は日々、微調整している。
分かっている。
次のよりよい生き方が決まらない限り
私の中の孤独感が消えることはない。