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入院25日目:優しくなれない日

職場は人手不足なのに、上は理想論ばかり言う。
現場は疲れきっているのに
仕事を増やし、無理をさせている。

私が前の職場で責任者をやっている時は
人手不足の時は私のサービス残業量を増やしたし
同僚に仕事を頼む時は申し訳なさがあった。

 
なんで上は当たり前と言わんばかりに仕事を増やすのだろう。
なんであんなに自分は正しいと盲信しているのだろう。

だから正職員が次々に辞めて、リーダーまで辞めてしまったんじゃないのだろうか。
私も辞めたくてたまらない。

 
 
今日はおばあちゃんの命日だと朝、親戚から連絡が入る。

私も父もすっかり忘れていた。

仕事や家事や母の件でいっぱいいっぱいだ。

 
 
 
今日は今月一ハードな日だ。
いつもより2時間多く残業になるのは確定していた。

お父さんには今夜は夕飯を作れないと伝えておいた。
夕飯を作らなくていい、片付けもしなくていいというのは気が楽だった。

 
 
午前中は肉体労働(最高気温20度で汗をかくくらい暑い)、午後は行事の司会・進行・準備・片付け・報告書作成(動き回ったので汗をかくくらい暑い)。

一日を通して上は無神経な言動。
ストレスがたまる。

 
お昼頃、お父さんからメールが届く。

①三日後から面会の制限が緩和され、毎日13:00~16:00の間に部屋で30分面会ができ、予約は不要になること(現在は面会は一週間に二回15分のみ、予約者のみ、一度の面会は二人まで、予約は二日前まで、同時に複数日予約不可)。

②四日後から母の病室が大部屋に移動(現在は二人部屋。毎日3000円くらいプラスでかかっている)。

 
 
①に関しては空いた時間に好きなように面会ができず、親戚と調整しなければいけなかったため、とてもありがたい。
②に関しては、金額の面でありがたい。

 
 
みんなが先に帰る中、私は報告書作成兼別の書類作成兼パソコン業務。

今は夕飯作りや家事があるため、仕事帰りに寄り道や残業ができなくなった。
今日は夕飯作らなくていい日なので、おわせるだけ仕事をやっておく。おかねばならない。

 
そんな中、母親からLINEが入る。
来週から大部屋に移動になるから以下のものを明日までに用意して、とのことだった。

心が軋む音がした。

明日の面会までにこれを用意………。

 
三日前から花粉症がひどく、明日は内科に行くか迷っていた。
内科後は母に頼まれた食品等の差し入れをあちこちに買いに行く予定だった。
一つのお店では、全て揃わない。

姉と甥は13:00に家に来るからそれまでにその用事を終わらせなければいけない。
母の面会時間は15:00。

父は明日は朝から午後まで仕事だった。
今夜、父も長時間勤務だった。

 
…頑張っても頑張っても
それでもまだやらなければいけない。

今日はちょこっと夜桜でも見に行って、夜はちょこっと漫画でも読もうと思ったのに。

 
母は念のため、「○○にあるよ」と書いていたが
母は物が捨てられない症候群のため、おおよその場所だけ書かれても探さなければいけない手間がある。
イライラした私は「明日までなの?」「探してなければ買っていい?」と、母が入院して以来初めて苛立ちをぶつけた。

 
三日後までは面会や洗濯物引き渡しの制限が強く、明日を逃すと病院に私も父も親戚も行けなかった。
先日、仕事の関係で面会時間指定外に物を届けた父は病院にこっぴどく叱られている。

 
母は探せばあるはずだから探して、と言う。
私は苛々した。
これだけのものを準備し、名前を書かなければいけないのは大変だ(病院差し入れものは全て名前を書かなければいけない)。
母の衣服類は一度指定された洗剤で洗濯しないといけない。

私はお父さんにメールした。
私はまだ残業だから、探せたら探しておいて、と。

 
お父さんからは「まだ仕事中だけど、終わったら探してみる。」と返事が来た。

 
 
苛々モヤモヤしながら残業を終えて帰ろうとした時
来週の仕事を追加で上から頼まれる。

心は更に、密かに軋んだ。

 
 
夜桜はキレイだったけど、ゆったりした気分で見る気にはなれなかった。
早く帰ってあれやらなきゃ。これやらなきゃ。
そんな気持ちでいっぱいになった。

夜桜を見ながら、桜はキレイだけど私は汚くて、泣きたくなった。

お母さんも好きで病気になったわけではないと分かっていても、心がしんどかった。
仕事も嫌で仕方なかった。人手不足も、上からの言動も、とばっちりも、うんざりだった。

疲れていたけど、食欲はなくなった。

 
帰宅後、座る間もなく、母親から伝えられたものを探す。
父親も疲れていて、「探してないなら買えばいいよ。明日お父さんが○○(姉や甥)が帰った後に探すから。明後日お父さんが届けるよ。」と言った。

だけど、明後日は届けてはいけない日だからまた病院に怒られる。
先日は相当看護師さんにこっぴどく言われたらしく、今でも毎日愚痴るのに。
また怒られたらお父さんも病院とケンカになりかねない。だから私が今日探すしかない。

 
「アイボリーって何色?」

父親が聞く。
そうだよなぁ、まずアイボリーが分からないよなぁ………そう思いながら、アイボリーが何色か伝える。

 
言われたものを探し、見つけ、名前を書き、袋に入れ、バッグに詰めていった。
洗濯物を洗って渡す分もある。まとめたらなかなかの量だった。バッグ4個分だ。

しかもこれで全てではない。
まだ買っていないものや用意できていないものがある。

私が母が入院後、初めて母に苛々をぶつけたように、父もまた苛々をぶつけていた。

 
「孫の自転車練習付き合ってあげて。」(※甥は小学生だが、自転車がまだ上手く乗れないし、やる気がない。)

「孫をLRTに乗せてあげて。」(※甥はLRTに興味がない。)

「明日、お米用意して持たせて。」(※姉家族には二週間前にお米をかなり渡している。)

「○○用意して。」(※私に頼んだもの以外の差し入れの用意も頼まれている。)

 
父親は先週まで仕事がめちゃくちゃハードであり、今週も仕事がハードで帰りが遅い。
以前は毎日行っていたウォーキングにも行けていないのに、何故甥が乗り気ではない自転車練習やLRTに時間を作らなければいけないのか。

お母さんが自転車練習に付き合ったり、LRTに乗せたい気持ちは分かるし、自分ができない分託すのだろうが
甥には父親がいるのだし、父親にもっと頑張ってもらいたい。
自転車練習やLRTは、姉や旦那さんが頑張ることだと私は思った。

 
お米もついてくるのは手間だし、今日父親は帰りが遅いし、明日も朝から仕事だし、仕事から帰ってきたら姉らが遊びに来ている。
いつやれというのだ。
そもそも先日大量に渡しているのに。

 
父は父で「夜いきなり言われてもできない。まだ、仕事中だ。」と怒ったようだ。

 
親子だなぁと思った。
同じ日に怒ってしまった。

 
 
「できないものはできないでいいんだよ。そうお母さんに言わなくちゃ。言うのは楽だけど、用意する方は大変なんだ。」

「探すのが大変なものは買おう。明日の面会に間に合わないものは次回面会にしよう。」

お父さんがそう言ってくれて、心は少し軽くなった。

 
 
お父さんが、先日もらった診断書を見せてくれた。
診断書によると、リハビリは2~4ヶ月かかるようだ。

いつ退院か分からないから、お母さんの新しい部屋(一階)は整えておかない。
しかし物がいっぱいすぎてまだまだ時間はかかりそうだ。

足の装具を作るのはまだ先の話らしい。
母親は装具を早く作りたがっているようだが、リハビリ次第なのだろう。
それは私も福祉職だから時期尚早だとなんとなくは、分かる。
装具や車椅子は、デリケートなのだ。

 
そして、父が母の職場に菓子折を持って挨拶に行くと(入院してから二回目)、クビの話はなく、傷病手当の話になってビックリしたと言っていた。
父は、母親がいつ退職を切り出すのか気にしている。

私と母はもらえるものはもらって、肩を叩かれるまでは図々しく居座るべきだと主張した。
これからも入院やらなんやらでお金はかかるのだから。
今のご時世、このような理由ではすぐにはクビにはできないだろう。クビに仕向ける、はできても、だ。

 
なお、大部屋になると、テレビは一日440円かかるらしい。
前の病院先は三日で1050円だったため、一日440円にビックリした。
母はテレビ大好きだから、一日440円を削ることはできない。

一ヵ月、テレビ代13640円かぁ…。

 
母が入院し、私も父も物欲は減った。
お店に行っても金額に躊躇して買えないものが増えた。

母の入院にかかるお金を数字で見るごとに、心は確かにしぼんでいった。

 
 

 
今日は疲れたからお風呂入らないでもう寝る。



 
 

  

  
 



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