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1月2日は親戚が集まる日、そして推しの誕生日だった

盆と正月、本家に生まれた私に
その期間に旅行に行ったり、遊びに行くことは許されない。

1月2日は、本家である我が家に親戚が集まる日だ。

お盆の8月15日とお正月の1月2日は
予定を明けておかなければいけない。

 
毎年決まっている、逃げられない日だ。

 
 
私は親戚が集まる日が嫌いだった。

買い出しに行ったり、料理を手伝うことが嫌だったわけではない。
いとこと久々に会えることは楽しみだった。

 
ただ、親戚が集まり、接待をすることはなかなかに面倒くさかった。

私は家族仲はいいが、親戚の中には嫌いな人がいた。

 
 
挨拶もしないで朝から我が家に来てお酒を飲む人。
酔っ払って絡む人。
お酒を次々に要求する人。

 
「恋人は?」
「結婚は?」
「仕事は?」
と、やたらと探りを入れてくる人。

 
我が子自慢をする人………
私はいとこの中で、生成優秀な方ではなかった。

 
祖父母介護を本家に任せて
海外旅行をしまくって、その自慢をする人。

 
 
そういった親戚がいる中
盆と正月はもはや仕事と同じだった。

口答えせず、へらへら笑い、適当に返し
ひたすらに料理を運び、お皿を下げ、お酒を用意し
私や母は適当にササッとご飯を食べた。

 
親戚は時間差で何人も何人も来るし
厄介な親戚ほど微妙な時間に来て長居する。

親戚が面倒なだけでなく
父親は本家の主として立派に振る舞おうと威張り、母を見下した発言を連発し
器の小ささを毎回見せた。

私はそれにも心底げんなりした。

私は母が好きだし、母が頑張っているのを知っているのに
みんなの前で文句を言われる母が不憫だったからだ。

 
父親は好きだが
母を見下して威張ることでしかマウントをとれない
父の弱さを見る日
つまり、盆と正月に関しては
父親の振る舞いに思うところが多々あった。

 
「本家はやって当たり前」
「女はやって当たり前」

そういう田舎独特の呪いのようなものが
盆と正月は強かった。

 
だから、私は盆と正月の親戚が集まる日は睡眠時間が長くなる。
明らかな気疲れだった。
正直、盆と正月は仕事をしていた方がマシとさえ思った。

朝から動き回り、嫌な思いをしても
お金は派生しないのだから。

 
 
祖父が亡くなり
祖母が入所し、亡くなり
また、祖父母の親戚は高齢化に伴い
段々と我が家に来なくなった。
来られなくなった。

それはとても気が楽だった。

 
祖父母の親戚関係が大抵厄介だったからだ。

 
 
相変わらず、「恋人は?結婚は?」と聞かれはするが
20代になって一応彼氏ができたから心は軽かったし
彼氏がいない期間も
男友達が何人かいるという現状に救われた。

そして、30代になると
話題は仕事にチェンジした。
シメシメである。

 
結婚に触れるに触れられない年齢に達し
さすがに親戚も気を遣うしかなくなったのだろう。
やれやれだ。

あんまりしつこい時は「婚約破棄してからご縁がなくて。」「仕事が忙しいんです。」と、申し訳ない顔で応えればいい。

 
「本家を考えないと。」

 
とは、親からも親戚からも言われるし
言われるまでもなく私も考えているが

それならば私は
卵子と精子の出会いからやり直した方がいいと思えてしまう。

 
私は本家を継ぐ器として生まれなかった。

恋人ができても上手くいかないし
そもそも本家を小さい頃から見てきて
結婚が幸せとも
本家を継ぐことが幸せとも
子どもがほしくてたまらないとも
私には思えなかった。

本家の嫁は犠牲や生贄にしか思えなかった。

 
私が結婚できていないのは
おそらく、私の性分や価値観によるところが大きい。

家族仲はいいから、結婚や家庭を持つことに憧れはあるが
本家の娘として生きてきたから
私が結婚したら、母親が担っていた役割を私が受け継ぐと分かりきっていた。

 
割に合わない、と思った。

私は本家を継ぐ自信がなかったし、本家を継ぎたくなかった。

 
 
だけど、親や親戚の気持ちや自分の立場を考えると
本家を継ぐ者として
頑張るしか道はなかった。

小さい頃から本家を継ぐように言われ育った私が
結婚できない自分や本家を継げない自分を責めずに生きるのは至難の業で
私はいつも、自分をできそこないだと思っていた。

  
本家を潰したら、全て私の責任なのだ。
そして今のままでは結婚や出産は厳しく
本家を潰すのは時間の問題だ。

 
親が望む生き方を、心から望み
結婚して子どもを産める人生でありたかった。

もしくは
親は親、私は私と
本家を継がない私を肯定できる人生でありたかった。

 
 
 
結婚に結びつかない恋愛から逃げられなかったアラサー時代
私はアイドルにハマった。

そのアイドルは1月2日生まれで、毎年その日に近所で無料ライブを行っていた。
私はハマりたての頃、親を説得して家を抜け出して
ライブを見に行き
誕生日プレゼントを渡し
また慌てて家に帰るということを
二年間行った。

 
全盛期よりも、集まる親戚の数がグッと減ったから
なんとか抜け出せたのだろう。
後にも先にも1月2日に親戚の集まり以外の予定を入れたのは
あの二年間しかない。

 
毎年、お正月は親戚で集合写真を撮った。
ライブTシャツを着た私が写っている。
自分で自分に笑えてくる。

 
 
 
 
今年はコロナウィルスにより、親戚の集まりはなくなった。

お盆は姉家族と、近所に住む親戚しか来ていないし
今日もおそらくそうなるだろう。

 
毎年大イベントだし、振る舞うことが好きな母親は残念そうだ。
父親もしっくり来ない様子である。

 
だが、私は非常に気が楽だった。
買い出しや手伝いは多少はあるが、例年に比べてなんとなんと楽だろうか。

 
今年度の盆と正月は、今までの中で一番平和でありがたい。



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