母の同僚が母と共に働くようになった意外なきっかけ
この前友達が「小さい頃に親に預けたお年玉は、今どうなっているのかな。」とツイートしていた。
私は確か母親が貯金してくれていて
30万円くらいだったと記憶している。
成人した後に一度、その通帳を見せてもらった。
結婚する時に渡すという話だった気がする。
友達のツイートを見た私は念の為
「お母さん、私のお年玉貯金の通帳は母親管理だったよね?」
と確認した。
母「そうよ。お母さんが持っていて、●●にしまってある。」
私「確か30万くらいだったよね?」
母「そうよ。」
私「名義は私だったよね?」
母「もちろん。」
私「私が結婚する時に渡すんだっけ?」
母「そうよ。」
私「お姉ちゃんのお年玉貯金は結婚の時に渡した?」
母「嫁ぐ時に渡したわね。手元にはないわよ。」
20歳の時とは、親子ともども想定していた未来が異なる。
私は婚約破棄したし、結婚はできないままだし
あまつさえ職をなくした。
無職独身30代の私に対し
今渡そうかという話は母から一切なかった。
まだ私の結婚を諦めていないのだ。
そして、私は私で今受け取る気は一切なかった。
結婚を諦めていないわけではない。
自分で貯めた貯金があるし
お年玉貯金はあってないものだからだ。
親に預けた時点で、お年玉はあってないものなのだ。
あれは臨時ボーナスに近い。
もらえたらラッキーくらいのポジションのお金なのだ。
しかし母親の口ぶりからすると
早急に結婚しない限りは私の手元には渡らなそうだ。
そのお金を手にするのは当分先になりそうだし
下手したらもらわないままかもしれない。
話の流れで結婚についてヤイヤイ言われたくなかった私は
話を甥にすり替えた。
意図的であった。
私「甥は親戚少ないから、あんまりお年玉もらえないよね。私の方がもらっていたよね?」
母「どうかしら……同じくらいかしら?今は少子化だから金額高いのかもしれないし。景気が悪いから減額かもしれないし。」
私「私は当時、親、祖父母×2(父方母方)、お父さんのきょうだい、おじいちゃんのきょうだい、おばあちゃんのきょうだい、お父さんのいとこ、おじいちゃん側親戚(父方)、おばあちゃん側親戚(父方)からもらっていたよね。
お母さんのきょうだいからも、もらったか。
あと……Aさんからも、お年玉もらったような。」
Aさんとは、母の元同僚である。
50~60代の細身の小柄な女性で、髪は短く、天然パーマだった。
優しく穏やかな口調と笑みの方で、私によく飴やチョコをくれた。
母「Aさんもお年玉くれたわね。」
私「Aさん、優しかったね。私、好きだった。」
母「優しかったわね。人見知りなともかもよく懐いていた。」
私「しかし、同僚の娘にお年玉くれるって今考えるとすごいよね。いや、そもそも、なんでAさんはお母さんと働いていたんだっけ?」
お年玉の話から、Aさんの話に切り替わった。
母が話すAさんの働く経緯の話は、私が30代になってから生まれて初めて聞く話だった。
母は昔幼稚園で働いていたが
親戚が会社を立ち上げたことを機に
幼稚園を辞めて、その会社で働くことになった。
だから私が物心つく頃には、母は会社員だった。
姉は幼稚園で働く母の記憶が残っているが
私はあくまで聞いた話であり
全く覚えていない。
親戚が会社を立ち上げたことを機に
祖父はそれまで働いていた会社を辞めて会長になり
父方親戚何名かがそこで働くようになった。
従業員全員が親戚ではないし
身内以外で働く人も多々いた。
従業員数はまぁまぁ多かったが
身内経営に近い印象を受けた。
身内が重役についていたからだ。
私が幼い頃、母は愛車がワゴン車で
祖父とAさんを乗せて会社まで行っていた。
祖父もAさんも運転ができなかったし
Aさんは会社に行くルート上に住んでいた。
当時
私はそれが当たり前だったから疑問にさえ思わなかったが
今にして思えば
親戚ではないAさんが採用されたのは不自然だった。
我が県内では運転免許と車所持が就職に必須に近いし
母は社内で上の立場にいた。
Aさんはパートとして雇用されていたが
下の立場であり、免許を持っていない人が
上司の車に乗って出勤はおかしな話である。
祖父は身内だし同居だからまだしも
ルート上とは言え
毎日母が寄り道して送り迎えするのは不思議である。
私「なんでAさんはあそこで働いたの?」
母「きっかけは草むしりと、お姉ちゃんなのよ。」
私「はい!?意味が分からない。」
母の話によると、こういう話らしい。
姉が小学校低学年の頃、上の空で一人歩いて帰っていた。
姉は考え事や妄想が大好きな子どもで、毎日様々なことを考えながら帰っていたらしい。
姉の通学路にはたくさん草が生えている場所があり
AさんとBさんはそこで除草作業をしていた。
Bさんは私のクラスメートの祖母であり
私の祖母と友達だった。
私はまだ小学校入学前でクラスメートとは知り合っていない時期なので
この時はBさんは祖母の友達でしかなかった。
姉からしたら、見知らぬおばさんである。
AさんもBさんも姉は知らなかった。
AさんとBさんは近所で仲がよかったらしい。
姉は大人から見たら、ずいぶんぼんやりして歩いているように見えたのだろう。
Aさんは姉に「毎日何を考えて歩いているの?」と聞き
姉は「何も考えていない。」と答えたらしい。
その話を聞きながら、何も考えていないなんて姉らしくないエピソードだと思い
私は姉にLINEをした。
姉は帰り道にAさんとBさんに声をかけられた記憶は全くないらしいが
(見知らぬ)大人に空想や妄想を話しても伝わらないと思っていたし
伝えるだけの語彙力も当時はなかったし
誰かに伝えたいわけでもなかったので
「何も考えていない。」
と、会話を遮断したのではないかとLINEをしてきた。
なるほど、その回答を聞くと実に姉らしいと思った。
私や姉は人懐っこいタイプの子どもでは決してなかった。
見知らぬ人にベラベラ話しかけることなんてまずしないし
頭の中や心の中を明け渡したくなんてない。
Aさんは私の家族の中で一番最初に会い、知り合ったのは姉だったと
私は初めて母の口から聞いた。
私「それから、なんであの会社に働くことに繋がるのさ?」
母「おばあちゃんは、片っ端からうちの会社で働かないかって声かけたのよ。」
私「ナンパ!?」
母「あの頃は色々事業展開して従業員が不足していたからね。」
私「求人出せばいいじゃん。」
母「ともかなら分かるでしょ?おばあちゃんは人付き合いを大事にしたし、自分の信頼した友達や周りの人に職を斡旋したかったのもあるのよ。」
祖母は情に脆くて泣きやすく
人との繋がりを大切にし
人に優しくすることを当たり前とした。
友達がたくさんいたのだ。
祖母はおひとよしで、自分にとって優しい人をすぐに信じやすい。
騙されてツボを買いかねないタイプだ。
親戚の為、友達の為に動いた祖母は
なるほど、確かに想像が容易についた。
実に祖母らしい言動だった。
母「おばあちゃんはBさんに声をかけたけど、Bさんは自営業だから無理じゃない。」
私「そうだねぇ。」
母「それで、BさんがAさんをおばあちゃんに紹介した。Aさんは見知らぬ子にも優しいし、黙々と真面目に仕事こなすし。
おばあちゃんは、孫に声をかけてかわいがるAさんをすぐに気に入った。」
私「想像つくわ~…。おばあちゃんは優しい人をすぐ信じるから。」
母「当時は、おばあちゃんがそんな感じで声をかけて、近所の人が何人も働くきっかけになっていたのよ。」
私「Aさんだけじゃないんだ。Aさん以外覚えてないなぁ。」
母「ともかは小さかったし、関わりのある従業員は限られていたしね。」
私はぼんやりと覚えている。
小さい頃、私は母に連れられて母の職場に何回か行った。
周りの大人は小さい女の子が来たことでチヤホヤした。
私が特別かわいかったからではなく
会長をしている祖父の孫であり
重役の親戚だからでもあるだろう。
人見知りな私はそんな大人にどう応えればいいか分からず
聞かれた質問にだけ答え
親の後ろに隠れ
出されるままにお菓子を食べたり、ジュースを飲んでいた。
母の仕事からの帰り道
車内で隣にAさんがいた。
Aさんはソフトで穏やかで
私は隣にいることが居心地よかった。
他の大人は緊張するけど
Aさんの隣は嫌いじゃない。
仕事以外でもAさんとは交流があった。
Aさんが我が家に来たり
Aさんちに野菜などを届けたりと
母の職場に行かなくても
Aさんと会う機会はたくさんあった。
Aさんちは緑のトンネルの中にあった。
緑に囲まれたトンネルのような場所を抜けると広い空間が広がり
その一角にAさんちがあった。
私はAさんちが好きだった。
緑のトンネルを駆け抜けるメイちゃん(となりのトトロ)の気分だった。
緑のトンネルを抜けた先には広い空が広がり
広い駐車場や庭や家があるあの造りは独特だった。
私はその景色を見ることが好きで
やたらとAさんちに行きたがった。
幼い私は母に頼るしかAさんちに行く手段がなかった。
Aさんちに行く理由もなかった。
私はAさんも
Aさんちに行く間に通る緑のトンネルも
抜けた先にある青空や夕日や星空も
愛しかった。
だが、やがてAさんは遠くに引っ越すことになった。
そしてそれを機に仕事を辞めることになった。
最後にお菓子やオモチャをもらった記憶がある。
転校したクラスメートと二度と会えないように
もうAさんに会えないことだけは
私にもよく分かった。
この別れは、私の力ではどうにもできない。
それは分かっていた。
「ともかちゃん、元気でね。バイバイ。」
Aさんは最後に穏やかに笑っていた。
それがAさんとの最後の記憶である。
あれから私は成長し
母を頼らなくても一人で出掛けられるまでになった。
徒歩でも自転車でも車でも
行く気になれば、Aさんちがあった場所まで一人で行ける。
緑のトンネルの入り口で立ち止まり
私はしばし見て
いつもそこを通り過ぎる。
もうこの先にAさんはいない。
Aさんちもない。
不法侵入になってしまう。
一人で元Aさんちに行く手段を手に入れた時には
元Aさんちに行く理由をなくした。
行けて、緑のトンネルの入り口までだ。
今までも、これからも。
私は今でも覚えている。
Aさんの笑顔やお菓子やお小遣いをくれたことや
緑のトンネルの先の独特な風景を。
あの時、AさんがBさんと除草作業をしていなかったら。
AさんとBさんが知り合いでなかったら。
Bさんと祖母が友達でなかったら。
Aさんが通学路で歩く姉に声をかけなかったら。
私はAさんと出会わないままだったかもしれない。
Aさんが母と働くこともなかったのかもしれない。
人と人の縁は不思議だ。
そして、採用されるきっかけも、どこに転がっているかなんて分からない。
ある日ある時ある場所で
人と人が出会い
誰かの言動で
何かが変わるかもしれない。
それは今すぐ結果が出るかもしれないし
いつか結果が出るかもしれない。
Aさんのエピソードを聞き、転職活動中の私はなんとも言えない気持ちになった。
私は何がきっかけで
新しい居場所や仕事を手にすることになるのだろう。
例えば私が除草作業をして見知らぬ子どもに声をかけたとして
それが仕事のきっかけになるとは限らない。
今ならば不審者扱いされて通報されかねない。
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