君たちはどう生きるか?この質問にひるまないための手ほどき(40代50代向け)
吉野源三郎 (著)さんの『君たちはどう生きるか?』
出版されたのが1937年、約87年前とずいぶん前の作品になります。
『君たちはどう生きるか?』
以前読む機会があり、人生についてより深く考えるきっかけになった本です。
なぜ今になって思い出したのかと言うと、
作家の金原ひとみさんのインタビュー記事を読んだことがきっかけでした。
彼女の最新作『ナチュラルボーンチキン』
「この物語は、中年版『君たちはどう生きるか』」
だと金原さん自身が語っていたと記事には書いてありました。
この記事もまた興味深いのでぜひご一読ください。
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「芥川賞作家・金原ひとみが問う「君たちはどう生きるか」。自由に生きられない日本人へ」
金原ひとみさんは20歳で芥川賞受賞という鮮烈な小説家デビューから、
子育てを経て、20年以上が経ちました。
1983年生まれなので40歳か41歳の40代に入られました。
パリで生活されていたことのある金原さんはインタビューの中で、
日本の社会にある他人の目を通して生きざるを得ない生き辛さ
みたいなものを感じるとありました。
僕も彼女と同年代の40代半ばに差し掛かっています。
僕のベースは日本ですが、
これまで十数か国を旅してきて、
同じように日本での日本人としての生き辛さを痛感しています。
僕が海外によく行く理由の一つが、日本人が少なくて気が楽だからです。
日本にいてもよくカフェで執筆するんですが、
日本にいるとイヤホンして音楽をガンガンにかけてても、
どこか他人の目を気にしてしまい、どう見られているだろうか?
にフォーカスしてしまいます。
どうやっても周囲の人の目で自分を見てしまう。
自分の視点で自分の世界を見ることができない。
カフェだけでなく、職場や学校や、
あらゆる日常の生活の中に他人の視点で見るという厄介な悪癖が
廃油のようにねっとりとへばりついていて、
僕にとっては(おそらく多くの日本人にとって)凄く生き辛いんですね。
海外に行くだけで、カフェにいても日本人がいない、日本語が聞こえてこない、
それだけで自分視点で自分の世界を見ることができます。
これが日本にいる日本人の生き辛さの正体で、
日本人が自分の人生を生きることができずに、
人生折り返しと言われる40代50代になって、
自分の人生はいったい何だったんだと悩まされる
根源じゃないかと思うんですね。
金原さんのインタビューを通して改めて気づかされました。
さて、あなたはどう生きますか?
まるで先の見えない、一寸先は闇、そのまた先も闇であるかのような、
この時代をどう生きますか?
インタビュー記事の中で印象に残っている文脈があります。
揺れて、揺れて、何が欲しいのかもわからない、でも焦燥だけがある。
そんな、ぐっちゃぐちゃになったなかで、
全てを諦めてルーティーンだけに自分を当てはめて生きていくという選択
<芥川賞作家・金原ひとみが問う「君たちはどう生きるか」。
自由に生きられない日本人への記事
URL(https://news.yahoo.co.jp/articles/55e3c86e5c06b33274acbbf0bcc36509c9fb4ffe?page=2)より一部抜粋>
僕もルーティーンが大好きな人間なので、
「全てを諦めて」にギョッとさせられました。
でも確かに思い当たる節はあるからこそのギョッだったんですね。
ルーティーンという型に嵌めること自体が自分らしさを見失うきっかけだったのかも、
僕らは気楽に生きるっていう勇気を持たないと、この先を生きていけないのかもしれませんね。
何十年も生きてきたら、人生におけるいろんな悩みが複雑化していきますよね。
性別、年代、性格、環境によって様々です。
悩みの原因を辿っていくと、
「どう生きたいか?」
に行き着くんじゃないですか。
だけどこのどう生きたいかが、
日本人として生まれずっと日本にいるとわけがわからなくなってくる。
冒頭でお伝えした、
自分以外の誰かの視線で生きることを続けていたら、
もれなく自分が分からなくなって、人生の中盤で大いに悩むことになります。
70代、80代になれば、良くも悪くも諦めがつくんでしょうけど、
そうはなりたくないから40代や50代で大いに悩んでしまいますよね。
僕は心を動かす文章を扱う代筆屋という物書きなんです。
心を動かす文章の力を使って潜在意識を書き換えて人生を変える
という活動をしていることもあって、
どう生きるか?
という問題に直面する人たちからの相談をこれまでたくさん受けてきました。
潜在意識が今の自分を作り悩みを作っている
ことは以前にも何度かお伝えしたと思います。
理論上、潜在意識を書き換えれば今の自分の悩みも解決できるはずなんです。
潜在意識というのは、持って生まれた性格に幼少期の環境と、
90%、いや95%以上は両親から投げかけられた言葉によって
構築された深層心理にある根深い意識です。
性格+環境+言葉=潜在意識=自分=悩み
こんな根深い意識を大人になってから変えられるのかと言うと、
僕は変えられるという確信を得ています。実際に変えた経験があるからです。
子供の頃の僕は今とはまるで別人のような性格で考え方をしていました。
つねに人の目を気にしていましたし、
他人が僕に対してどう思っているかばかり気にしていました。
嫌われないように自分を犠牲にして他人の顔色を窺って生きていました。
高校生になってそんな生き方がバカらしくなり、ほとんど誰ともつるまなくなりました。
高校卒業から約1年後の19歳で渡米しました。
はっきりとした目的があったわけではないです。
ただ、このまま日本で日本人として生き辛いまま終えるぐらいなら、
外国のアメリカに行って日本人として自分らしく終わった方がまだマシだと直感したからです。
性格+環境+言葉が潜在意識であり自分であり悩みである。
つまりは性格+環境+言葉のどこかを変えられたら、
この公式は崩れて今の悩みは無くなるのはほぼ間違いないです。
僕の場合は環境(海外)と言葉(英語)を思いっきり変えたことで、
性格が変化し、潜在意識が書き換えられました。
初めての1人暮らし、言葉の通じない海外、知り合いは誰もいない、誰も助けてくれない、
そんな環境に身を置くと生への目覚めというか、
野生の動物としての生きる本能が目覚めました。
日本人の少ない、日本語の聞こえない環境は、
眠っていた僕自身を叩き起こしてくれたんでしょうね。
日本と日本人からの解放による自我の芽生え、
僕はこの瞬間をセカンドバースデーと呼んでいます。
本当に二度目の誕生を迎えることができたんです。
性格を書き換えるのは困難だとしても、
僕の事例からも環境と言葉を変えることによって性格が書き換わる可能性は高いです。
「アメリカに留学するなんて現実的に厳しいです」
いや、そうじゃなくて、
別にアメリカへ留学しなくても、今から出来ることはあるんじゃないでしょうか。
住む場所を変える、職場を変える、人を変える、見るものや読むものを変える、
ね、出来ることはあるんです。
帰国した僕は渡米前とは別人でした。
渡米前では考えられないような方向へ人生の舵を切りました。
資格試験を取ろうという新しい行動をとったんです。
実質中卒で学歴もなく、アルバイトや派遣社員で経歴もない僕にとっては未知の世界です。
どう生きたいか?なんてことを考える余裕もなく一心不乱に勉強に集中しました。
その後、行政書士という資格試験を取得して、
独立自営してからも、どう生きるか?どころではなく、
とにかく仕事をとらないと生きていけませんでした。
コンビニに入って店員さんにまで名刺を配ってましたから、
当時の必死さが分かってもらえると思います。
そんな生活を繰り返していて、
ふと時間ができたんです。
その時にあの問い掛けがやってきました。
゛どう生きるか?
つまり、時間や心の余裕ができると、どこからもともなくこの問いが出現するんです。
どう生きるか?という問いは、悩みや苦しみと同時に有り余った時間の証でもあります。
どう生きるか?なんてことを考える時間の余裕があるってことですから。
もうお気づきの方も多いかと思います。
どう生きるか?という悩みから解放されるには、
とにかく目の前にあることに集中すること
なんです。
過ぎ去ったどうしようもない過去を悔やまない、
まだありもしない未来を憂いたりしない、
ただ目の前にある現実に向き合うことです。
どう生きるか?
という問い掛けに悩み苦しんでるのは、
今に集中できてない証拠なんですよ。
「お前、今に集中してないだろ」って誰かが教えてくれてるんです。
目の前に仕事があるなら仕事に集中したらいいし、
家族があるなら家族に集中したらいいし、
勉強があるなら勉強に集中したらいいし、
趣味があるなら趣味に集中したらいい、
仕事も家族も勉強も趣味もないなら自分に集中したらいいんです。
こんなことやってていいのか?
なんて疑問が頭をよぎったら、それこそが今に集中できていない証拠です。
疑問の正体は過去への後悔や未来への不安です。
これらの不安は歳を重ねるごとに深まります。
残りの時間が見えてきて、できることとできないことが分かってくるからです。
でも考えようによっては、残りの時間が見えてきて、
できることの選択肢が狭まってきたら、集中できることも絞れてくるってことですよ。
40代50代の皆さんならもう残された時間は半分です。
無限に時間があるかのように感じられる10代20代の頃とは違って、
ある意味、覚悟ができる年代でしょう。
悩みを断ち切るための僕が大好きな言葉を贈ります。
゛人生は壮大な暇つぶし゛
まずはこの言葉をノートに書いてください。
この言葉を繰り返し唱えて、大いに暇をつぶすことです。
暇つぶしの人生においてこれが良いとか悪いと言うジャッジは無意味です。
あくまで暇つぶしです。
暇つぶしって、持て余した暇をつぶすってことですよね。
暇つぶしに他人の目を気にしてどうするんですか?
暇つぶしにまで他人視点を持って生きますか?
どう生きるか?なんて問い掛けは馬鹿らしいと気づけると人生は楽になります。
バカらしいと気づいたら、
冒頭の問いにひるむことなく答えられますよね。
君たちはどう生きるか?
「゛私は゛こう生きる」
誰が何と言おうと、私はこう生きる。
何も成し遂げられなくてもいいんです。
何者かにならなくてもいいんです。
誰かと比べなくていいんです。
あなたはあなただけの人生を思いっきり生きてください。
代筆屋ナカジ
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