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男と女
タイトルと同名の映画の、フレンシス・レイによるサントラは、未来永劫残り続けるであろう、名曲中の名曲だと思っている、けど、今回はその話ではないです。
京都時代のこと。
とある飲み屋さんにヘルプで入った際、接客したお相手が、当時の京都府議会議長さんで、そんな肩書きの方にお会いしたことないなぁとか思いつつ、お話させてもらっていたら、何の流れからだったかは忘れたけれど、
「ワシはなぁ、どうも男女平等というのが納得いかんのや」
と、仰るので、
「そりゃそうでしょ、私が逆立ちしたところで、妊娠も出産も出来ませんもん」
と、言うと、一瞬の間を置いて、
「そや!その通りや!何や君は!どこぞで修行してきたやろ?」
と、言われたので、
「いやいや、そんなご大層なもんではないですけど…でもまぁ三年程、瞑想三昧してた時期はありますかね〜」
と、答えると、
「あーやっぱりそうか」
と、何に納得されたんだか、自分としては当たり前のことを言っただのことなのに、あ、でも補足はしておこうと、
「でも、男女は同権だとは思いますけどね」
と、言うと、
「ほほう、なるほどなぁ」
とのことだった。
男女では、肉体からして違うのに、平等に扱うなんて無理があるでしょ。
一方で、男女平等と言いながら、他方では、女性というだけで給料が安く設定されていたり、逆にデートで割り勘するような男はお断りなんて言われたりするって、どんな矛盾?と思ってしまう。
そもそも、平等って成立するんですかねぇ。
生まれた環境、即ち、本人の意思と関係なく、金持ちと貧乏、見た目(基準はさておき、美醜の差)や運動能力の差異、また、性別や異性愛か同性愛かの違い等々が発生するのに、平等って…?
同性愛者として生まれたことで、平等なんてものはないということを、身を以て知っている。
20歳頃、父にカミングアウトしたら、
「ワシの目の黒いうちに治す」
と、言われ、認識の違いに愕然とさせられ、またこれも京都時代のことなんだけど、それも飲み屋で一緒になった若い医師(何科か忘れた)から、
「(同性愛を)自分で選んだ訳なんだから、自己責任ですよね」
とも言われ、医師の資格って、そんな認識でも取得出来るものなのかと思い、
「は?じゃあなたはいつ女性を好きになるって決めたんですか?」
と、聞くと、バツの悪そうな顔をして黙られた。
先日、アメリカでは、再びトランプ大統領が誕生したけれど、就任初日に、性別は男女の二種類のみとするという大統領令に署名した。
Man&Womanではなく、Male&Female。
ジェンダー(社会的性差)と、セックス(生物学的性別)。
英語は得意ではないので、自身の内で、その違いを明確に区分出来ていない。
近年、日本でも、「男性・女性・無回答」のような選択肢が示されることが増えたけれど、いつも男性にチェックを入れている。自分の場合、フルオープンにゲイとして生きているので、ゲイというチェック欄があれば、躊躇なくそれを選択するんだけどなぁと、常に違和感を覚えながら、無回答という欄の意味性について考えさせられている。
と、なんだか話がとっちらかってるな…。
でも、日本語での平等って、そこに正義が含まれている感じがするのだけれど、公平性との混同が話をややこしくさせている気がしている。
それを以下のイラストで、見事に視覚化されている。
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もし、平等について、疑問を持たれた方には、以下書籍をお薦めします。