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ゲイ探しの旅 1(全12回)

-トップ・オブ・ザ・ワールド

やりたいことは考えるまでもなく、パリに行きたいという思いを実現させることだった。フランス映画のサントラに特にハマっていたこともあって、ミッシェル・ルグランの、輝きと洗練と弾けるような寂しさを持つ音楽が生み出される土地の空気を味わってみたかったのだ。
そのことを父に伝えると、「3ヶ月で帰って来いよ」と、言いながら、まとまった現金と限度額制限のないカードを手渡してくれた。
とりあえずニューヨーク往復のオープンチケットと、泊まってみたかったホテルの数日間だけの予約を取り、1995年6月、機上の人となった。

到着後、とりあえずゲイストリートである、クリストファー通りに行ってはみたものの、全く相手にされず、帰りの深夜の地下鉄の駅で、アジア人男性からナンパされたのだが、そんな気分ではなく、1人ホテルへと帰った。
翌日からは切り替えて、ニューヨークを満喫しようとあちこち歩き回った。途中、写真が撮りたくなり、カメラを買って、その後、ソーホーをブラブラしていると、魅力的な内装の眼鏡屋さんがあったので、サングラスが欲しくなり立ち寄ってみる。店員さんが日本人で、と思い、日本語で話し掛けたら、韓国系アメリカ人で、今はバカンスでニューヨークに戻ってきてるだけで、普段はパリにいるとのこと、「私もこの後パリに行くよ」と、言うと、「じゃパリで会おうよ」と、話が盛り上がり、その流れから、「今夜ディナーしない?」と、誘われて、彼女の好きなレストランに連れて行ってもらうことになったのだが、それはそれは素敵なテラス席で、お酒飲む前から酔った気分になる程で、一気にニューヨークが好きになった。食事をしてると、「ほら、あそこ見て。ニューヨーク市長が来てるわよ。彼ゲイなのよね」とか言い出すので、「私もゲイだよ」って言うと、「そうなんだ!」と、益々盛り上がり、「そういやどこ泊まってんの?」と、聞かれたので、「パラマウントホテル」と、答えると、「そんなのもったいないからキャンセルしてうちに泊まればいいじゃない」と、言い出して、えっと、まだ出会って数時間しか経ってないんですけど…と思いながらも、既に人間的に彼女のことを好きになっていた私は、言葉通り受け取って、彼女の家に泊めてもらうことにした。
翌朝、彼女は、カーペンターズのCDを流しながらメイクをしていて、もちろんその存在も有名な曲も知ってはいたものの、改めて耳を傾けてみると、カレンの少し低めながらも透明感のある声の響きと、教科書のような英語の発音の美しさに魅了されて、その日のうちにタワーレコードに行き、ベスト盤を買った。帰り道、ストーリートバスケをしている、色んな肌の色をした男の子たちを眺めていると、「一緒にやろうよ!」と、声を掛けてくれたのだけれど、シャイさが勝って遠慮してしまった。そんな自分を少し嫌になった。
それでも気を取り直して、摩天楼の間を突き抜けるような青空を見上げながら、正に今が『Top of the World』だと思った。そして歌詞にある、「things are not the same」の意味の重要性に、この時にはまだ気付いていなかった。
数日後、彼女とハグして、「パリでね!」と言い合って、私は空港へと向かった。

*以下記事へと続く

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