「評価の量」と「医療や介護の質」は比例するのか?
高齢になれば、沢山のリスクが高まる。
それらすべてを評価することは現実的ではないし、あまり意味がない。
特に、介護の現場では医療のように「病気」を見るように評価はしない。
生活において、何に困っており、それを含め自立した生活を送るためには、
何が必要かを考える。
個人にカスタマイズすればするほど、人によって必要な要素は異なる。
だからこそ、最大公約数に当てはまり、現場の職員(医療、介護、福祉職)で、また利用者数と職員数とプログラム的に実施可能で、危険性が低く、意味が分かりやすいのが必要である。
その上で、スクリーニングをかけ、さらなる評価が必要な人については
詳しく調べていくのが良いと思う。
という事で、今月から試験的に新しい評価を加えた。それによって、いろんなことが分かった。
という事で、冒頭の問いである
「評価の量」と「医療や介護の質」は比例するのか?
については、△だと思います。
ある量までは比例して、それ以降は反比例するのではないだろうか。
そもそも、変化は測る(評価)ことでわかる事だから、変化を見ようとしなければ違いに気づけない。
一方で、測る事を増やせば増やすほど、それが目的化して結果的に実は下がるのではないだろうか。
優れた臨床家は、少ない情報から、小さな変化に気づき、事前に対処(予防)し、将来起こるリスクを最小限できる人だろう。また早期発見、早期絶望とならない対応ができる人だろ。
そんな人にいつか僕もなりたい。
ただ、これも10年後にはAIが当たり前に行なっているような気もするし、そうなって欲しい。人によるバラツキを減らし、質のボトムアップを図る上ではとても重要。その上で、その人や家族の「想い」や「コンフリクト」、「死」にどう向き合うか、どう関係性のサポートをしていくがが、極めて重要になってくる。
きっと在宅医学会は、そんな人が多く集まっているんだと思う。
いつか参加したい。
そして、僕たちの実践も共有したい。
今年は、今月末の理学療法学会に総合事業のところで採択されたので、発表して来ます。