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「今ここ」を生きれない


「今ここ」を生きれません.最近の話です.

色々とずっと哲学してきました.
どう生きればいいのか、自分にとって何が幸福なのか.
多分、こういうことは誰でも考えると思うけど、私は哲学偏差値65くらいかなと思っている.
平均よりもそういうことに興味があって、考えている時間が多いということ.

多分高校生の時からそういうことを考えるのが好きで、好きというよりかは無意識に考えてしまうと言う方が正しいのかもしれない.

大学に入って初めて古代ギリシャ哲学(ソクラテス、プラトン)に出会いました.
高校の現代社会の科目で少し触れたことはあったけど、当時は全く理解ができなくて暗記科目としか捉えていなかった.

大学1年生の時にちょうどコロナ禍に入って、人や社会との繋がりが絶たれ、それなのにも関わらず地元から早く出たかった私は一人暮らしを始めました.
その時期、大学で友達は一人だけ出来たけれど、ほとんど何もできない自粛生活でした.

そんな中、大学1年生の前期に初めて哲学の教養科目を履修した.
それが本当におもしろくておもしろくて、当時の自分にとっては衝撃的な学びばかりだった.
夢中になってノートをとって、授業の最後に残って先生に質問したり、授業が終わった後もその内容が頭から離れなくて色々考えたり、自分でさらに調べてみたり.
それまで漠然と考えていたことが、先代たちの哲学を学ぶことによって、きれいに合致したような感覚があったと思う.(と、いうのは言い過ぎかも)

それから結構色々考えながら生きてきた.
そこで私は一つの結論に至った.
それは、「今ここ」に最善を尽くして生きるしかないということだ.

過去の最悪な思い出や栄光に固執しても意味がないし、未来に過剰なまでの期待や不安を抱いても意味はない.
とにかく「今ここ」において最善の選択をし続けるしかないということだ.

この考えは結構絶対的に正しいと思っている.
少なくとも私の生き方に関して言えば.

と言っても、「今ここ」において最善を尽くして生きるなんて、そんな簡単な話ではない.
それでもなるべく自分の内側の違和感を排除するように生きていくしかない気がする.

とまあ、ここまでが前提の話で.


「今ここ」を生きれません.最近の話です.

「今ここ」を生きることが簡単な話ではないというのは、先ほど述べましたが、簡単とか難しいとか、そんなこともわからないほどに、今の自分が何をしたいのかがわからない.

わからないから、最善の選択もクソもない.

何をしても心が動かない.
自分の中の魂がどこにも向かってくれないんですよ.

虚無感というのが正しいのだろうか.
いや、虚無とかって程でもない.虚無すらもない.完全なる無.

プラトンの魂の三分説に言葉を借りれば、理性・気概・欲望のどの魂もどこにも行ってくれないんですよ.
いや、まあ普通にこうして生きている時点で、ご飯を食べたり睡眠をしたりしてるわけですから、動いてはいるんだろうけど.
3つの魂の、その前提となる自分の在り方(正義や正しさ)も、わからない.
(これが分かったら善く生きることがとっくに叶っているけど、自分の在り方の正しさは変化していくものだと捉えている.だからこの文脈では、「今ここ」における正しさのことです.)
全体も、その階層の3部分も全てが停滞している感じ.

全ての行為が惰性.とにかく感情が動かない.
やりたいことが何もない.
お腹が減ったから仕方なくご飯を食べる.
夜になったから仕方なく床に入る.(そして眠れない)


「今ここ」においてやらなければいけないこともあるけど、本当になにもしたくない.
したくないというよりかは、できないと言った方が正しいか.

普通こんなこと言ってる人がいたら、甘えだの逃げだのと言われると思います.
私もそう思う.
でもなんかもう本当に何にもしたくない.できない.仕方なくないですか、こればっかりは.

いや、別になにもしなくてもいいんですよ.
それでも日々は地続きに繋がっていくし、その責任は自分が取るしかないのですから.

だからこうして、せめてとりあえず今の自分をできるだけ適切に残しておこうと思ってこうして文章を書いている.
あとで見返したときになんかしらの生き方のヒントになるように.


ここからはより現実的に、もっと心の醜い部分、というか、厨二病だろまだそんなこと言ってんのか、そろそろ現実見ろ、と言われてもおかしくないようなことをつらつらと書いていこうと思います.

なんで今の現状が生まれたのか、自分の生活に基づいて原因を考えてみたいです.
これまでも感情が動かない、なにもしたくないという状態は多々ありましたが

①就職活動
これが多分大きい.というか大体こいつのせい、多分.

「働きたくない」とかほざいているフェーズはとっくに抜け出した.
社会に存在する限り働かないといけない.働かないと生きていけない.
働かないとこの社会に対する存在意義を感じることができない.
株とか投資とか芸術活動とかでお金を稼ぐ術がない限り、会社に入らなければいけない.

分かってるんです、そんなことは.
だから働きたいんです、働かせてくだい.

しかし、日本社会には「就職活動」という儀式があります.
通例儀式です.
高度経済成長期の名残が未だ残り続けている新卒一括採用という制度です.
「就職活動」という儀式そのものへの文句はないです.
そんなこと言っても仕方ないのは分かってます.
アメリカみたいに新卒から実力主義的に仕事を勝ち取らないといけない社会だったら、私は本物の無能すぎてどこも雇ってくれません.
だったらポテンシャル採用の日本式の方が有難いのかもしれない.

だから私は「就職活動」を乗り越えなければ働く権利を勝ち取ることができません.
もちろん、正社員ではなく、アルバイトや派遣社員やフリーランスとして生計を立てていくことも可能です.
ただそのあらゆる雇用形態の選択肢の中で、今の私にとっての最善の選択は正社員だというだけです.
アルバイトや派遣社員が良いとか悪いとかの話ではないです.
それは完全にその人の生き方や魂の話なので.

だから大学を卒業して正社員になるというのが今の私の最善の選択なのだとしたら、この「就職活動」を乗り越え、会社から「内定」をもらわないといけません.

なので大学3年生の1月ごろから本腰を入れ始め、大学4年生の5月いっぱいまでは「就職活動」に多くの時間と労力を割いてきました.(コロナの恩恵でほとんど全ての過程はオンラインで済んだ(まだ終わってないけど)のでお金はそんなにかかっていない)

トータルで40社ほど受けました.
これが多いか少ないかは知らない.多くても少なくてもどっちでもいい.

現状としては、2社だけ選考が残っていて(1社は自分の魂にそぐわないので最終面接を辞退しようか悩み中、もう1社は次回2次面接の予約をせずに1ヶ月くらい経った)、それ以外は全部落ちました.

自分なりには多くの時間と労力を割いてきたつもりで、結構頑張ってきたつもりではある.平均毎日4〜5時間くらいは就活してたと思います.(夕方4時くらいからカフェに行って夜10時に帰る生活)(夜6時から翌朝3時までカフェに居たり)
とにかく自分と向き合って8時間ぶっ通しでES書いたり、朝6時に何度も録画面接録り直したり.(これらに関しては全て自分が悪いけど)

それでもう疲れて、6月に入ってからはお休み中です.
現実逃避です、完全に.
そろそろまた本腰入れないとまずいことは分かってます.

5月頭にこんな記事を書きました.詳しくはこちらで.
https://note.com/daigakusei_mochi/n/n53775d26ee1a

もう「就職活動」の日々に戻るのが怖いんです.
現実逃避です.知ってます.
やらなきゃやらなきゃと思ってはいるけど体が動いてくれない.
本当にただの言い訳かもしれません.

なんか最近は自分の人生に当事者意識がありません.
全部どうでも良くなってきた.
人生舐めてます完全に.
なのに生きてるから不思議ですよね.

就活やってる時は、自分なりに目標持ってやってました.
「第一志望」と心の底から言える企業もありました.(最終面接で落ちた)
結構無我夢中でES書いたりWEBテストの勉強したり会社のこと調べたり面接対策したりしてました.

そんな日々も全て意味がなかったのか、と思うともう本当に全部どうでもよくなってしまったんです.
あの日々に意味が付与されるのはまだ未来の話だとは思うんですが.

まあ私が「就職活動」をやらなければいけないことは自明なのでそろそろやります、多分.
魂よ、動け!


②人間でない
これは①に繋がってくることなので、②と分けるのはちょっとあれかもしれないですが.

今の私の生活は終わってます.
とてもじゃないけど人間とは呼べないと思います.

なに一つとして生産的な活動をしていないです.
(今日は3限の哲学の授業に行ったのと、こうしてnoteを書いているので多少は良い)
ただ酸素を吸って二酸化炭素を吐き、社会に対してなんの貢献もしていない有害物質と化しています.

人間でない、を3つに場合分けして考えてみます。

(a)就活生でない
これは①の通りです.


(b)学生でない
4年前期、授業は1コマしか履修していない.
それとは別に、今日の哲学は履修してないけど参加してる、
ので実質2コマ.
1コマ90分だけど、いつも30分くらい遅刻してるので、1週間で考えたら実質2時間しか学生をしてないです.
これは学生とは呼べません.
学生という殻を被ったただのニートです.

私の属している学部では卒業論文を提出しないと卒業できなので、こちらもそろそろ手をつけないといけないのですが、まだなにもしていません.

まじで、「やれよ」という話ではある.

今日、7月に個人面談をしてテーマ決めをしていきましょう!という連絡が担当教員から来た.
多分そこからスイッチが入るんでしょう.
なんとなく書きたい方向性だけは決まっているのでぼちぼち関連する文献を読んでいきたい.
これを書き終わったら図書館にでも行こう.
少しでも学生に近づきたい.


(c)労働者でない
1月からバイトしてません.
ニート生活6ヶ月目に突入中です.
本来であれば夏休み前までに就活に全力コミットして終わらせるつもりだったので意図的にバイトしてないんですが、うまくいかなかったので、どうしようってなってます.

バイトを本当にやりたくないんですが、学生でも就活生でもないならせめてバイトくらいはしなければと思い、昨日久しぶりにタウンワークのアプリを開きました.2つくらい良い感じのバイトはあった.

けどやっぱり働きたくなかった.
①のところで、「働きたくない」とほざいているフェーズはとっくに抜けたと書いたがバイトは別の話です.

本当にバイトが嫌いなんです、なるべくしたくない.
なんでかっていうと、傷つきたくないから.
バイト仲間、社員、お客さんとの関わりの中で、絶対に自分が傷つく瞬間があるから.
みんなそうなのは分かってます.
でも涙が止まらなくなってひとりでトイレで泣いて、このまま私もトイレの水に流されて消えていなくなればいいのに、って思うのが嫌なんです.

守りに入っているから、プラスの感情も、エネルギーも、活力も得られない.
その代わりに負の感情を得ないようにひたすら逃げている.



と、ここまででわかるように、私って本当に偏った人間なんです.
極端な生き方しかできない.
別に就活も卒論もバイトも並行してやれば良いじゃない.
そしたらおそらく全てが解決するじゃない.
各々、なんかしらの目標が見つかって、エネルギーが湧いてくるじゃない.
「人間」になれるじゃない.

と分かってはいるんですけど、行動に移せない.
厨二病だと笑ってっもらって構いません.

意思と行動が伴わない.
無.

結論出ました、やっぱり社会不適合者だ!

こういうことばっかりしてるのは、心のどこかで死んでもいいと常に思っているからかもしれない.

こうしてバーっと文章に書き表してみると、自ずとスッキリしてくるものなので、少しずつ「人間」になれるように、頑張ってみようと思います.

「人間」になって、「今ここ」を生きれるようになったら、この文章を読み返して自分がなにを考えるのかに興味があるので.

別に病んでないです.
死のうとしてないです.
会ったらめちゃくちゃ元気に話せます.
笑えます.

また、元気でお会いましょう.





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