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塩と炎が舞い散る街 前編|エチオピア(3)
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すべての道はローマに通ず
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この日、かすかに胸が震えていた。
エチオピアに到着してから3日目にして、中心地であるアディスアベバからセメラという場所へ移動するところだった。目的は、旅人の間では世界一過酷ともっぱら評判のダナキルツアーに参加することである。
ツアーに参加する上で割と名の知られたETT (Ethiopia Travel and Tours) というところで申し込もうとしたところ、色々行き違いがあり申し込めず。仕方ないからオンラインでツアーを申し込んだ。これがまた当初聞いていた金額より割高だったのだが、四の五の言っている暇はない! と半ば思い切って予約してしまった。ツアー料金の他に、現地へ行くまでの飛行機を自力でチケット取るところが地味に大変だった。
セメラ空港に降り立ち外に出ると、すぐにツアーの担当者と思われる人が近づいてくる。「アンタ、昨日申し込んだ人かい?」と言われるも、いまいち自分がその人物なのか自信がない。焦れた彼は、とある人物の名前を出す。その名前は、オンラインサイトでツアーを予約後、メールでやりとりしていた人物の名前だった。ようやく自分が該当する人間であると認識をする。
ほっとしたのも束の間、彼らが私を導いた車にて、私は思わずラベルを二度見してしまった。
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はて?
なぜだろう。頭が混乱している。あれほどまでにここで予約したいと思って奔走した時間を思い出した。エレベーターの中にあわや停電で閉じ込められそうになった時のことも合わせて脳裏に蘇る。一応オンラインサイトを見ると、まったくETTとは関わりのなさそうな感じだった。
(あのーこれはどういうことでしょう?)
よっぽど感情が表情に出てしまっていたのか、聞きもしないのにガイドはペラペラと喋る。曰く、「君が申し込んだところはいわばエージェントみたいなもんでね。彼らはマージンをとって僕らにツアーの参加者を委託してくるのさ」と言う。
すべての道は、ETTに通ず・・・。
開いた口がしばらく塞がらなかった。結局どこへ予約しても、ほぼほぼETTの主催するツアーにつながるらしく、それくらいエチオピアの旅行パッケージはETTが牛耳っているとのことだった。日本であればJ○Bのようなものか。それにしたって、後から知ったのだがやはり直接申し込んだほうが格段に値段は安かった。私は最初到着した時に要らぬおせっかいを焼き、かつ数倍のタクシーの値段をふっかけてきたドライバーをちょっぴり恨んだ。※詳細は(1)に記載。
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粗雑な景色の最中で
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とはいえ、いつまでも落ち込んでいるわけにもいかない。ずいぶん昔のものと思われるランドクルーザーに乗り込み、旅は始まる。8時半に空港から車は動き始める。
私の他に、ドイツ人、ギリシャ人、台湾人の4人が同乗していた。走り始めると、その光景に私の目は瞬時に奪われた。つい数時間前まで滞在していたアディスアベバの街とは、まったく異なる粗雑な風景だった。
走り始めた時には、それなりにきちんと整備された壁に囲まれた家も見ることができたが、1時間ほどすると本当にこんな場所に人が住んでいるのか? と思うくらい簡素な家が立ち並ぶ。
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少しすると、近くの地元の食堂みたいなところに車は停車し、簡単に朝食を済ました。ガイド曰くツアーの参加者に何度もインジェラを出したらそれがえらく不評だったらしく、私たちの朝食はスクランブルエッグとパンだった。野良猫がしきりに私たちの食事を奪おうと首を長くしている。
ちなみに、ガイドが食べていたのはインジェラだった。やっぱりエチオピア人はずっとインジェラを食べているというのは本当だったらしい。
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一通りお腹を満たした後で、再び車は進む。何もしないのもなんなので、早速共にしばらく過ごすクルーの間で自己紹介が始まる。彼らは、私よりも長く旅をしているみたいだった。しばらくはお互いのことを探り探り、話をする。ギリシャ人とドイツ人はどうやらたまたま前の日に同じ宿で知り合ってちょっとした顔見知りになっていたらしい。互いの文化についてお互いに語り合い、ちょっとしたことでも互いの文化に違いがあると驚きを見せ合った。
ちなみに今回私が参加したダナキルツアーは、2泊3日で回る旅程が一般的に有名で、ダナキル砂漠、塩湖、エルタアレ火山という主要な観光スポットを巡る内容となっている。複数台のランドクルーザーで、現地へ向かう形だった。最初乗り始めた時、何が過酷なのか全くわからなかったが、最初の目的地に到着するくらいになってその意味を悟り始める。
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一面はひたすら荒れ果てた土地が続いていた。果たして荒れ果てた、という言葉が正しいのかわからない。おおよそ肥沃な土地とは言い難く、植物もまばらに生えている程度だった。どこへ行っても羊などの家畜がそこらじゅうを歩き回っている。時折、現地の人たち(特に老女や子ども)は私たちが通るときに手を差し出す。そうすることで、もしかすると何かを与えられるかもしれない、という一縷の望みに賭けている。
数十分走ったくらいで車は時折路上に止まり、そこが写真を撮れる場所であれば私たちはカメラを取り出し、その光景をファインダーの中に収めようとする。次第に車内では口数が少なくなってくる。時折手持ち無沙汰になって、日本から持ってきた本を読んでいた。小川哲の『嘘と正典』、この人の作品はさくさく読めるけど、割と読み解くのが難解で、殺風景な外の景色によく馴染んだ。
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思い出したように車の中で会話が飛び交い、そして時折車の窓から外を眺める。ゲルのような形をした住居。こうまでも文化レベルが違うのか、と改めて自分はアフリカに来ているのだということを実感した。ずっと眺めているうちに彼らはどうやってこの場所で生活を成り立たせているのだろうか、ということが気になり始めてしまった。
その話を後でガイドとした時に、基本彼らはお金のやり取りはしていないらしいことがわかる。昔ながらの物々交換。その時に応じて相手が持っている自分の欲しいものを交換する、というやり方は原始的ながらもとてもシンプルな生活だと思った。だから、そんなに過剰に何かを持ち過ぎることもない。
最初は多少なりとも舗装されていた道も数時間すると、悪路へと変わる。定期的に弾むようにしてランドクルーザーは右へ左へ大きく揺れる。当然ながら、隣の人に体がぶつかる。それが何時間も続くのだ。これはなかなかにしんどかった。途中、道路から大きくそれ、転倒している大型のトラックも何台か見かけた。
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すごい光景だった。道路の脇には、ただだだっ広い土砂が広がっている。ガタガタ揺れ、車内には熱が籠り、お尻は何度も座席から浮いては不時着するということを繰り返している。途中休憩になっても、整備されたトイレなんてもちろんなく、男性も女性も人目を忍んでどこかで処理するしかない。
これが、このツアーが世界一過酷と言われる所以なのだろう。だいたい6時間ほどしてようやく、塩の湖がある街が見えてきた。景色はもちろん感動したものの、その頃になるとようやく何かから解放された、という気持ちの方が強かった。今思い出しても、写真を撮っているときテンションが上がっていたかというと、そうでもなかったような気がする。
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塩の街
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ガイド兼ドライバーの役割を担う男は、運転中思い出したようにポツポツとこの場所の現状ともいうべきことを語った。この場所で日がな、塩の採掘が行われている。ただ、日中は気温が上がって作業ができないらしいので、日が登り始める数時間前からトラックで作業場所へと向かい、せっせせっせと塩を採掘して、精錬場に運ぶそうだ。
まず青と白の広がるその場所で一通り写真を撮った後、そのまま私たちを乗せた旧型のランドクルーザーはその日の宿泊場所へと向かった。このツアーでは事前に宿泊場所や食事はすべて用意されていると言われていて、どんなところに泊まるのかと思ったら、なんと近くの村の外だった。
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すでに簡易的なベッドの骨組みのようなものが用意され(素材は木のようだった)、その上にマットを引くという至ってシンプルな仕組みである。まさかここにきて粗野な感じで眠ることになるとは思っていなかった。そもそも今は暑いけど、夜とか急激に寒くなったりしないだろうか。いろいろとモヤモヤしていたことはあった。
私たちはひと通り眠る準備を整えて、近くの塩に覆われた湖へと再び出発する。少しずつ日は傾き、あたりはオレンジ色に染まっていく。もうここまでくると多少体があっちこっち揺れても気にならなくなっていた。確か寝床から30分ほどくらいの場所だったと思う。
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地平線を穿つ
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目の前が一面、水に覆われて景色が反映していた。これはどこかで見たことあるなと思っていたらボリビアのウユニ塩湖だった。あの時は、確か標高が高い場所にあったので頭に酸素が行き渡らず、軽い高山病となって頭がズキズキ痛んでいた。あの時の苦労と比べた時に車の滞在時間踏まえるとどちらもどっこいどっこいだ。
不思議と、地平線の境目がくっきりしていた。ウユニ塩湖もあれはあれで美しかった。水面に反射する景色、そういえばあの時空は一面星に囲まれていて今にも掴めそうなくらいくっきりしていたっけ。ダナキル砂漠にある塩湖はあの時と似ているがより素朴な感じがした。
ゆっくりと陽は西に傾いていく。影が色濃く揺れる。今更ながら、随分と遠いところに来てしまったもんだ。
ひと通り写真を撮った後、再び寝床がある場所へと戻る。木組みの小屋の中には夕食がすでに用意されていた。このツアーではだいたい4、5台が一緒に動いていて参加者はガイドも合わせて15人ほどだった。
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疲れていたのか、私は盛大に夕飯のプレートをひっくり返して隣の人の服を汚してしまった。こういう旅に出ると、私の本質は基本注意力散漫に尽きるということを思い知らされる(お恥ずかしい)。平身低頭謝ると、彼女は感情を大袈裟に表現しながらも「いいよ、大丈夫」とクールに笑った。
話をすると、トルコから来たらしく母国ではブロガーとして活動しているようだった。この後、彼女があちらこちらで自撮り棒を使って何やら解説している姿を見た。すごい、もう旅の中心を、誰かに紹介することに命をかけている。人それぞれ、旅のスタイルがある。私は基本自分のために旅をしているので、そんな誰かに発信することを前提に動けないなと思った。
ふと、どうして私はこのダナキルツアーに参加したんだっけ、とここに来て原点に立ち返ってしまった。何を今さら。とりあえず思ったよりも外は寒くなくて、日本から持ってきたダウンは出番がなくてホッとした。あたりは真っ暗闇で、星がよく見えた。少しぶれてしまったもののGRのようなコンパクトカメラでもある程度綺麗に映るんだな、と妙な感慨を持ってその日眠りについた。
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