#81 親愛なるあなたへ
時々、突拍子もなくどうにもやるせなくなる時があって、それは自分の胸に手を当ててみると、見えてくるものでもある。
先日、私の感性にドンピシャな記事を執筆されていた方(愛して止まないと言っても過言ではないくらい)がnoteを離れるという宣言をしていて、その文章を読んだ時に、果たして彼女の中にどんな葛藤があるのかは全てを窺い知ることはできなかったけれど、その日一日何かぽっかりと穴が空いた気分になって、ちょっぴり塞ぎ込んでいた。
まだ直接会ったことのない人だったが、時折温かいコメントをくださって、きっと私はその度に救われたような気持ちになって、元気と勇気をもらっていた。たぶん、誤解を恐れずにいうのであれば、彼女の存在は温かい毛布のようなものだった。今では、ライナスの気持ちもよくわかる。どうか、彼女の夢がそのままこの先もひかり続けますように、どうか穏やかな生活を過ごせますようにと心の中でそっと祈り、時折彼女が今過ごしている時を思い描き、幸せな姿を想像しようとする。
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思えば、私自身は周りの環境にも比較的恵まれ、小さな障害はいくつも道半ばでいくつも転がっていたものの、平穏に生きてこられたように感じている。この世界では、私よりも悲惨な状況に身を置く人たちがたくさんいて、ニュースでも報道されているし、ノンフィクションの本などを見ても自分の運の良さというものを噛みしめずにはいられない。
昔と比べると、私の交友範囲は圧倒的に狭くなった。以前私がかつて初々しい肌を持ち、未来に希望を抱いていたあの頃、とにかくいろんな人脈を増やさなきゃと思ってさまざまなことに挑戦した(今思えば、注意欠陥・多動性障害の症状がちらほら顔を出していたのではないかとハッとする)。楽しそうなイベントには顔を突っ込み、両親の支えもあって留学をし、写真サークルを立ち上げたりもした。
未知なる人たちとの出会いはそれなりに刺激と眩さを兼ね備え、異常なバイタリティを持って出会う人たちと果敢にコミュニケーションを図ろうとしていた。焦りに突き動かされ、私は半ば衝動的に生きていた。それが、歳を重ねるにつれて周りの環境も変わり、気がつくと今でも頻繁に顔を合わせる人たちというのは両手で数えられるくらいになった。
でも、そのある種昔よりも厳選された人との繋がりというのが、結びつきが深く、私が今ここにいることの意義みたいなものを強調してくれるのではないかと最近とみに感じる。なんとなく一緒にいても、お互いの考えていることがわかるし、私が誤った行動をしそうになった時にはユーモア交えて指摘してくれるし、親しい間柄にも礼儀ありというけれど、そうした忌憚ない意見をくれるのは本当に助かった。
普段は恥ずかしくて言うことはないが、自分の周りに共に今でも付き合ってくれる人たち、友人や家族へ、よくもまあここまで一緒に時間を過ごしてくれたことに対して改めて愛を伝えたい。でもそれはきっと付き合いの長さという括りで大雑把に結びつけられるものではなくて、私と一瞬でも関わりを持ってくれた人は皆、何かしらの縁があって、ひとえに会えたことに感謝を述べたい次第である。
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愛って、なんなのだろう。もう「#愛について語ること」シリーズも早80回を超えるまでになり(ようやくここまでたどり着いた感があります)、少しずつ以前よりは輪郭を帯びてきたような気がするが、まだ正しくその姿形を正確に捉えられたような気がしない。
ここ最近つらつらといろんなことを考えているうちに、たとえばふと思考が止まった時に、そういえば彼あるいは彼女たちが今何をしているかな、と思想に耽る。それは、リアルに限らずnoteで出会った人たちも含まれる。noteで言葉を交わすようになった人たちは、実際に言葉を交わしたことがないというのに、まるで対面して言葉を囁き合ったかのようにその人の容姿なり声なりが浮かび上がってくるから不思議だ。
そして、文章を読んで彼らの今の感じていることを掴み取ろうとする。なんとなく、その人の今置かれている状況だったり立場だったりを想像しようとする。楽しいことばかりではない、もしかしたら苦しいことばかりかもしれない。ほどほどに頑張ればいいじゃないですか。その一言はもしかすると人によっては重みとなってしまうのだろうが、そう伝えずにはいられない。ほどほどに、お日柄もよく、うまく今が回ってますから。答えは返ってこないかもしれないけれど、確かにその存在を感じる。
思えば、親愛って言葉の定義はなんなのだろう。「その人を愛し、親しみを感じていること。」やっぱり愛するってところが来るんだね。つるさんが語ってくださった愛においても親愛なる人への愛が端的にまとめられていて、思わずほぅと息が漏れる。小宇宙に漂っている気分。きっと、私たちは違う星からたまたまこの地球という青い星に生まれて、何かの引力に従って、出会ったのだ。
※つるさん、改めて素敵な愛を語っていただきありがとうございました!またご紹介が遅くなってしまい、ごめんなさい。
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今の会社へ入社した時、同期がもともと大学の数理科専攻で、彼はその時極めて晴れやかな顔つきで「この場で出会ったこと自体、それこそ何億だとか何兆分の1みたいな奇跡的な数値なんですよ」と熱く語っていた光景が今でも時折頭に浮かぶ。その時はなんてロマンチシズムな言葉を臆面もなく話す人だろう! と聞いていたこっちが恥ずかしくなったのだが、今思うと、その数字で表されることによって、誰かと誰かが出会うことの数奇さを思い知らしめてくれていたのだろう。(後で調べたら、0.0004%らしいです。宝くじが当たる確率よりちょっと高いくらいで、途方もない数字)
たぶんお互い関わりのあった人たちは、何かしらの形で私の人生に大なり小なり波紋をもたらし、中にはもう思い出したくないくらいもう関わりたくない人というのもいるにはいるけれど、いろいろな回り道があって結局私自身を形作っているし、今生きている中で割と楽しい人生を送れているので、これまで出会った人たちにはとりあえず感謝を示しておこうと考える。
親愛なるあなたへ、飽きもせずにお付き合いいただきありがとうございます。あなたの存在が、時に鉛筆の芯くらいにぽきりと折れそうになった心を支えてくれた次第です。この文章をご覧いただく機会ももしかするとないかもしれませんが、確かな温もりが手のひらに残り、爽やかなレモンの匂いがふわっと立ち込めているのです。どうか、お元気で。そして、どうか幸ある未来を。
どうか、どうか。愛を感じることができる日々でありますように。