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仕事でオンライン越しに打ち合わせをする機会があるのだが、なぜかみんなミュートかつ動画もオフにしているので一体誰が何を喋っているのかよくわからないという不可思議な時間にも最近ようやく慣れた。これが新しいビジネス様式と言われると何だかそれも違う気がする。顔の見えない相手ほど、不気味な光景ってないと思う。 * 相手が見えないことによって、膨らむ妄想も確かに存在する。なぜだかぼんやりとした輪郭だけが浮かんでいて、相手の姿を掴もうにもまるでぼやけてなかなか全体が見えてこない。何
いでや、この世に生まれては、願はしかるべきことこそ多かめれ。 ー『徒然草』兼好法師 私が中学生になったばかりのこと。 大人になればくだらない悩みなんて綺麗さっぱりなくて、もう少し呼吸をするにも楽な世界に生きているんだろうと漠然と思っていた。20年後はもっと立居振る舞いもそつなくこなせて、相手との間に軋轢が生まれないようにうまくやるに違いないと、そんな淡い幻想を抱いていたのだ。 それがいざ自分がその歳になると、かつての私自身の理想に指さえも届かない。それどころか、
僕の伯父さんは変わっている。少し、いやだいぶ変だ。 今のこの時代、安定した職を持つ事が当たり前。貯金だってそれなりに持っているべきだということは、見通しのつかない将来を考えてみても世間一般の通説だ。決まった仕事もなく、年がら年中どこほっつき歩いているのかわからない人がいるのであれば、その人は否でも応でも世間では白い目で見られる。生きづらいことこの上ない。 そんな風潮にも関わらず、伯父さんはひたすら決まった職を持たずに、全国各地を渡鳥のように練り歩いていた。 他の