戦争と新聞人の関係を問い直すとともに、アメリカの優れたジャーナリスト、ウッドワードの事績を紹介する―『記者たちの日米戦争』(木村栄文/角川書店)
『日系人を救った政治家ラルフ・カー―信念のコロラド州知事』『ストロベリー・デイズ―― 日系アメリカ人強制収容の記憶』を読み始め、本書のことを思い出し、ほぼ20年ぶりに再読することにした。
著者は、RKB毎日放送で数々のドキュメンタリーを手がけ、文化庁芸術祭大賞の受賞歴もある。本書も、平成2年度の同祭の作品賞受賞作品『記者それぞれの夏』をもとにしたもの。刊行は1991(平成3)年12月8日。12月8日は、本書刊行の46年前に日本が真珠湾を攻撃した日である。
内容は、太平洋戦争時の毎日新聞に在籍した高杉孝二郎、「ベインブリッジ・レビュー」の社主兼編集者だったウォルト・ウッドワードの日米二人の新聞人を軸に、戦争と新聞人の関係の考察。終戦後45年にあたる1990年には湾岸危機が起こり、1991年には湾岸戦争が勃発している。そういった点が、本書の問いかけのベースになっている。
終戦時、毎日新聞西部本社編集局長だった高杉の、経営陣に「戦争責任」をとることを迫るとともに、自らも辞職したほどの硬骨漢ぶりも印象的だが、やはり、ウッドワードの方が強烈である。「ベインブリッジ・レビュー」はワシントン州ベインブリッジ島の週刊新聞で発行部数は3000部ほど。同島には日系人も多く、そのこともあって、真珠湾攻撃後直ちににウッドワードは、島民に、日系人に対して冷静な対応をしようと呼びかける社説を書いている。以後も、アメリカ憲法が保障する基本的人権を守る立場から、日系アメリカ人の強制収容に反対し続けている。著者は、こういった主張をかかげた新聞はアメリカで一紙だけとしている。実際、著名なジャーナリストW・リップマンでさえ、この時代のヒステリーに同調しているのだ。そのため、ウッドワード夫妻は“ジャップ・ラバー”と呼ばれ、島を追い出されかねない状況だった。しかし、それに屈することなく、戦後も日系人の強制収容に対する賠償運動にも協力している。
ほかにも、様々な新聞人が取り上げられているが、戦時における立ち位置の難しさを感じる。しかし、本書が刊行され20年が経過しているものの、新聞人を取り巻く状況は好転せず、新聞に対する信頼度は低くなっているように感じる。だからこそ、毎日新聞退社後、他紙に職を得た高杉が後輩に言い続けた「記事には責任をとれよ」という言葉の重さが響いてくる。
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