見出し画像

バッファですがなにか

スケジュールを考える時も、建築の収まりを考える時も気にするのは余裕である。


建築の方の話をすると、建築は目に見えるモノを扱う。そのモノ同士を、余裕をもたせず、ぴったりと合わせるのは難しい。

例えば、テーブルを片付けて、リモコンをテーブルの端っこに、ぴったりと合わせて置くとしよう。
手の平をテーブルの縁に当てて、できる限りぴったりになるように、リモコンを手に当たるように置いたとしても、真上から見たら数mmずれている。
リモコンだったら動かして微調整できるからいいが、建築の場合は固定がつきものだ。
だから職人に「ぴったりで」と言うと、「少し余裕を持たせていいか?」と大体質問が飛んでくる。

美観の観点で考えてみる。
テーブルの端とリモコンの端を合わせて置くのと、テーブルの端から2センチぐらい内側に置くのと、美しさはさほど変わらない。
むしろ少し内側に置いた方が安心感がある。

例え話はここまで。建築の収まりでも、このリモコンと同じようなケースが多い。
工事中、壁にドアをはめ込む時は、ドア枠の出を、壁の表面とぴったり合わせることは、ほとんどない。
大体は、枠が出っ張っているか、引っ込んでいるかだ。
全体的にぴったりの感じがよさそうな、シンプルで洗練されたデザインにする場合だとしても、よく見ると2から5ミリぐらいあえてずらしているのだ。
こういった余裕のことを、「散り」と呼んだり、状況に応じて「遊び」と呼んだりする。


この余裕の呼び方は、日常でもよく変化する。
スケジュールでの余裕は「バッファ」。
絵とか資料とかだったら「余白」かなぁ。
そして、ぼくらの世代は「ゆとり」と呼ばれる。
土曜まであった学校が金曜までとなり、土曜分がぼくら世代にとっての、ゆとり?散り?バッファ、うーん、たくさん遊んだから、「遊び」がいいかもしれない。あそび世代。

この無駄に思える空いたところは、無理に埋めるべきではない、と思う。
空いたところを、そのままぴったりにしないで、余裕は余裕として、暇は暇として、ゆったりさせておいた方がー





どうかなぁ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?