いっそ痛く、勢いよく。
盆栽は苗木の時から慎重に手を加えてコツコツ育てるものがある一方で、高山の切り立った岩場に曲がりくねった状態で生えているものを抜いて、その形を活かしながら整えていくものがある。
それを真柏(シンパク)と呼ぶそうなのだが、日記や随筆を書く上では後者の盆栽のような進め方をしたいとふと思った。
そのためには自然に身を委ねて流れるような動きのあるものを最初に用意する必要がある。
肉やじゃがいも、にんじん等を鍋に入れて、水を入れて沸騰させて火を通して調味料をーではない。
うまいかどうかわからん、どこで捕まえたかもわからんデカい肉を、まずはまな板に叩きつける、そんな勢いも必要だ。
一歩ずつ丁寧に綱の上を渡るのではなくて、ピョーンと大きく跳躍して、後からバランスをとるようにしたい。
わかりやすく、シンプルで、面白い跳躍。
きっとフラフラするだろうから、後でバランスをとる。
落っこちたら潔くやめたっていい。
今回はそんな調子で書いてみている。
中途半端がよくない。
大きな跳躍が周りから痛く思われる訳ではない。
中途半端が1番痛く思われる、と仮定した方が自分の背中を押すことができる。
中途半端に覚えた投球フォームでボールを投げようとするのではなくて、今までの経験によって体に染み付いたものを総動員させて、体全体で投げ放った方が、きっと球速は出るだろう。
例え話はここまでにしよう。自分でもうんざりしてきた。
この勢いが出ない時はどうする?
内から湧き上がる勢いは出そうと思って出るものではない。
今回のこの勢いの原動力は古本屋だった。
「ハードボイルド風に生きてみないか/生島治郎」という本のタイトルが目に入った時に瞬く間に書きたいものが生まれた。
タイトルからその勢いが伝わって、中身を読む前から、こういうものを書きたいと思った。
立ち止まっていて、いい流れはこない。
真柏が曲がりくねるのは、季節がそうさせるそうだ。
暖かい季節には太陽に向かって上昇し、冬は雪が乗ってその重みで下に向かう。
そして雪が溶けたらまた上に向かう、というような繰り返しが大きなうねりをつくる。
環境が変化するところに身を投じることで、流れはやってくるように感じる。
あとは色んなことに好奇心を持つことが大事だ。
そのために必要なことは、意外と体調管理だったりする。
心身ともに健康でいるだけで、外に広がる世界がたとえ見慣れた景色だったとしても、全てがキラキラして見えることがある。
そういう風に見える目を維持するために、ちゃんと食べて、ちゃんと寝なくてはならない。
つらくて仕方がない時は、それを忘れるまで待つしかないかもしれない。
健康でいるために継続しようと思ってたことが忙しくてできないときは、その忙しさが切れた時に、たくさん休みをとるようにすればきっとまた戻れる。
かつての自分の勢いを取り戻したいと思ったのなら、勢いという言葉の雰囲気からかけ離れているが、川のせせらぎを感じられるほどの静けさの中で、体全体の毛穴が外の世界に開ききる状態になるのを待つ必要があるように思う。
さっきは環境が変化するところに身を投じようと書いたが、時には静かにじっとしている姿勢もやっぱり大事だ。
静寂であるが故に気付けた小さな衝動に、流れのままに身を投じることで、正しさ真面目さを凌駕する「面白さ」が生まれると、勝手に思うことにしよう。