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働くことを振り返る その④ 総合病院勤務

まえがき

ファミレスでのアルバイトで初めて社会を見た、店長の長時間労働や過大な責任に社会を疑問視。そして新卒でSEをとして社会に出るも、初めての配属先での大炎上プロジェクトから長時間労働や、先行きを不安視し、半年で退職。そして2ヶ月の転職活動を経て、飲食関連企業へ入社。しかし、入社前のバックオフィス業務を担ってほしいという言葉とは裏腹に、入社してみると、各現場のフォローがメイン業務となっる。2社目ということもあり、転職活動をしながら、仕事をする。そして入社から1年が経った頃、総合病院への転職が決まる。
その① ファミレスでのアルバイト
その② 新卒でSEとして入社したIT企業
その③ 飲食関連企業でのミスマッチ

総合病院へ転職した理由

理由はいくつかあります。一つは早々に2社経験してしまっているので、普通に仕事をしていても将来どうなるのだろうという思いがありました。ある程度落ち着いて働けることが第一だったので、医療事務に携われば、スキルも身につくと思ったこと、2つ目は看護師であった妻(当時は彼女)の勧めもあったからです。入社前までに医療事務の勉強をするなどしていました。また、これまでの2社は都内まで通っていましたが、もっと地元で働きたいという思いもありました。そして一番は自分が患っているクローン病との付き合いも考えなければならないと思いました。勝手な思い込みですが、病院という世界であれば、病気を持った人でもうまくやっていけるのではないか、何かあった時でも受け皿があるのではないか、と考えました。人を救う医療の世界で、病気が悪化したからと解雇したり、これまでのような人を駒のように使うことはないのではないか、と考えていました。

医療業界の男女格差

医療業界は女性社会です。なので男性が求人に応募してくれば、貴重な戦力と見なされ、相当なことがない限り採用されているようでした。しかし、男性には当直というものがあります。さすがに女性を深夜に働かせるというのは、抵抗があるのでしょう。その分女性には本来土曜日は半日勤務ですが、午後の急患対応があります。そういった話も入社前に聞いていました。当直と言っても朝には帰れるという話だし、まぁいいだろうと考えていましたが、実際は違ったのです。

当直日の36時間労働

当直は2週間に一回程度と聞かされていましたが、現実は違いました。男性の人手が少なく、週に1回はありました。入社後に男性が数人立て続けに辞めたこともあり、回数は増えていったのです。また、当直といえば、夕方か翌日の朝までを想像すると思いますが(入社前もそう聞いていた)、実際は違います。普通通り朝出社し、みんなと同じように17時半まで勤務をこなします。そこから当直に入り、翌日の8時まで。それで終わりかと思いきや、翌日の午前中まで働くのです。これは明確な決まりではないものの、右に倣えでみんなそうしているので、そうせざるを得ないという状況でした。もちろん17時半から翌日の午前中分の割増賃金が支払われることもなく、当直手当で数千円がついているだけです。

睡眠不足によるストレス

当直時間は何もなければ(急患も救急車も来ない)、ずっと寝ていられます。ちなみに当直は一人で対応します。なので、寝ていても電話で起こされたり、急患の方が来られて起こされたり…。自分は寝る時は寝る、働く気は働くというようにメリハリのある考え方なので、寝てしまうと、電話が鳴っても起きません。それで何度か当直の看護師さんに怒られたこともありました。他の男性職員はいつも表情が疲弊していて、ここでも、こんな働き方をずっとは続けられないと思うようになります。その後自分が退職した後に、当直は二人体制になり、きちんと寝る、働くを交代で行うようになったそうです。また朝で帰れるようになり、多少は改善されたようです。

体調を壊し一度退職へ

そんな生活を続けていると、持病のクローン病が悪化します。当時はまた潰瘍性大腸炎と診断されていたのですが、あまりきちんとした治療をしていませんでした。潰瘍性大腸炎は腸にしか症状が出ませんが、クローン病は消化器系統すべてに症状が出る恐れがあります。当直をしていると、心臓あたりがドキドキしてくるのと、あまり便が出なくなりました。そして腹痛を伴い、いよいよ限界を迎え、専門科のある病院へ行くのでした。そこで大腸が狭窄(狭くなる)していると言われ、3ヶ月程入院となります。

入院した時の職場の対応

入院してしまったので、職場とのやりとりや連絡は自分では出来ません。当時はまだ実家暮らしだったので、母親が代わりに行ってくれました。一度職場へ呼ばれ、上司と話し合いをしたそうです。入社して3ヶ月程度ということもあり、有給休暇はありません。それを理由に一度退職扱いとなります。ただその時に退院したら戻ってくればいい、という言葉も頂いたそうで、何も分かっていなかった自分は、そうなのかと受け入れることしかありませんでした。母親も余計な心配を掛けないようにと、「とりあえず治療に専念すればいいよ」と言ってくれていました。しかし、本来病欠であれ、なんであれ、有給休暇がないからと即時解雇のようなことはできません。多くの職場には休職制度というものがあり、3ヶ月程度は休職させ。それでも復帰が難しい場合は自然退職となるのが通常でしょう。このような知識も当時はなかったので、言われるがままに受け入れるしかありませんでした。

退院してから

入院していた時のことについては、またそのうちまとめるとして、結局最初に行った病院の先生では明確な治療法を示せず、都内の潰瘍性大腸炎やクローン病を専門に研究している病院へ転院しました。結局かかった期間は3ヶ月。無事退院した後に、仕事をどうするか考えていましたが、戻ってきていいという言葉を信じて、職場に連絡をしてみました。すると、「まずはパートから」と言われます。当時の自分は20代前半で、周りも同世代が多いのに、パートで働くなんて嫌だなと考え、転職する方向でいましたが、母親の言葉に考え方を変えます。それは「病気のことに理解もあるし、通院との調整もできる。少しずつ初めてまた次のステップを考えれば良いのでは」と。転職してまた体調を壊すより、元いた職場でパートとして割り切って働くほうが心身ともに楽だと思うようになりました。それから1年程、パートとして復帰します。

復帰から1年

業務範囲は他のパートの方より、随分広くなっていました。システムに明るい人がおらず、院内システムやPCの管理、ヘルプデスク的な仕事をしたり、当時電子カルテの導入や、オーダリングシステム(伝票ではなく、電子的に検査を依頼するシステム)の導入が行われることになっていたので、そのプロジェクトに関わったり、もちろん医療事務も行っていました。そして復帰から1年経った頃、上司にそろそろ社員に戻れないかと相談してみました。すると、社員は難しいが契約社員であれば問題ないとのことでした。パートも契約社員もあまり違いはありません。給与が月給になったり、もちろん当直もありません。メリットのほうが多かったのです。大きく正社員にジャンプアップできれば良いけど、また一歩ずつ階段を登れば良いかと思うようになりました。

周りの人間関係

この職場は同世代が多かったです。同世代というより、専門学校卒の学生がそのまま入社してくるので、自分より下も大勢いました。その分、仕事、仕事という雰囲気ではなく、雑談や仕事の愚痴も共有しながら、人間関係はとても良かったです。ここで出会った人とはいまでも、付き合いがあったりします。仕事を通して、それ以上のものを得た気がします。パートとして復帰したときも、だれ一人パートだから、社員だからと区分する人もいませんでしたし、むしろ先輩は飲みに連れて行ってくれたり、なんとか一緒の輪の中に入れてくれようとしていたのかもしれません。

引き抜きにあう

契約社員になり1年が経った頃、他社から「うちに来ないか?」と声を掛けていただきました。この会社も医療関係の企業で、企業向けの健康診断サービスを提供しています。ちょうど2008年に特定健診が義務化され、システム整備が必要になったそうですが、システムに明るい人がいないということでした。実はこの会社、しばらく前に転職を考え、面接を受けていたのです。当時、健康診断のスタッフとしての求人でしたが、自分のシステムの経験ばどを評価していただき、そのようなポジションで採用を検討したそうですが、コスト的に難しかったようです。そして時が経ち、いよいよシステム整備が急務になったタイミングでお声がけを頂いたのです。しかし、ちょっと話が怪しかったので、一度お断りをしています。すると、わざわざ職場近くまで来てくださり、熱意を語ってくれ、これがキッカケでお世話になることを決めます。

STEP BY STEP

一度退職することになり、将来に迷うことになりました。また正社員として転職も考えましたが、パートとして復帰、1年後に契約社員となり、さらに1年後、他社からお声がけをいただき、社員として転職が決まるのです。振り返ってみると、階段を一歩ずつ登ったように思います。一気に最上階まで行く道もありましたが、一方でまた同じことに戻ってしまうリスクもあります。世間や常識に惑わされず、人生に迷った時、うまく行かない時は、現状から一歩先を目指すと人生は好転していくのかもしれません。


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