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”SX”への期待と強烈な違和感を、NPOの立場から語ってみた
最近、SX(サステナビリティ・トランスフォーメーション)なる言葉が話題だ。すでにバズワード化しているDXと並んだ文字ズラの良さもあってか、2021年頃から関連書籍も続々と出版され、様々なシーンで目にする機会が増えている。
結論から言ってしまうと、このSXという概念、これからの社会がSDGsの掲げる世界観を体現していく上でビジネスセクターとソーシャルセクターの両方にとって重要なキーワードになると感じている。
一方、SXをめぐる昨今の動きには、強烈な違和感や危機感も持っている。SXという概念がビジネスセクターにとって都合のいい形で消費されつつあるからだ。
今回はそのあたりについて、NPOを経営する立場から語ってみたい。
SXとは何者か
そもそもSXとは何なのか。実はこの言葉、よくある欧米で流行っている言葉の輸入ではなく、経済産業省の経済産業政策局が2020年8月に打ち出した日本発の概念だ。
SXを打ち出した「サステナブルな企業価値創造に向けた対話の実質化検討会」という舌を噛みそうな長い名前の検討会によれば、SXの全体像は下の図のように示される。少し複雑な図ではあるが、とても大切な概念がコンパクトにまとまっているのではと思う。
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この図によれば、企業がSXを実現するには以下3つの活動が重要だと言う。
稼ぐ力を中長期で持続化・強化する
未来の社会像からバックキャストし、社会のサステナビリティを経営に取り組む
長期的な時間軸で投資家と対話する
僕なりに解釈すれば、SXとは「企業が中長期的に稼ぐ」という企業のサステナビリティと「社会が持続可能な状態である」という地球/社会のサステナビリティとを、企業が投資家とも対話しながら擦り合わせていく変革のプロセスだと言える。もっと簡単に表現してしまえば、「企業と社会のサステナビリティを同時に実現するための営み」とも定義できるかも知れない。
なお、SXに関連する既存のWeb記事や書籍を見ていても、この言葉は多様な話者が異なる意味付けで使っており、現時点では統一された定義は存在していないように思う。つまりSXは、これからこの言葉を使う人々によって意味づけられていく、発展途上の概念だと考えられる。
SXが叫ばれる背景
ではなぜSXという概念が提唱され、いま日本社会で高い注目を集めているのか。前述の経済産業省の資料では「企業と投資家との関係性の歴史」から背景が論じられているが、「SDGsウォッシュが横行する社会の風潮への警鐘」という文脈で捉えるのが重要ではないかと僕は考える。
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2015年に国連が批准したSDGsは、地球規模で取り組むべき開発目標を明示し、さまざまなアクターが自らの領域で持続可能な世界をつくるための行動を促進している。日本においてもSDGsの認知度は非常に高く、多くの個人と組織が持続可能な世界の実現に向けた行動を起こす機運が高まった。
その一方で、残念ながら「SDGsウォッシュ」と呼ばれるSDGsに対する表層的な理解や行動が目立ち始めている。
SDGsバッジをジャケットにつけたり、SDGsのロゴをペタペタと統合報告書に貼り付けたりするだけで満足し、社会課題の解決に向けた本質的な変化を避けてしまう。いわば、SDGsを免罪符にして思考を停止させてしまうような風潮が、残念ながら多くの場所で見受けられる。
こうした状況へのアンチテーゼとして登場したのが、SXという概念ではないだろうか。SDGsの達成に向け、個人・組織・社会が本質的な変革を加速していく営み。そこにSXという概念の本質があるのだとすれば、NPOの立場からしても、SXという言葉はとても大切なものだと捉えることができる。
骨抜きにされるSX
このようにSXには強い期待を寄せている一方、SXをめぐる昨今の動きには強い違和感を感じてもいる。なぜなら、SXが企業にとってマネタイズのしやすい分野に特化され、推進される傾向にあるからだ。
例えば、企業による社会課題解決の文脈でいま最も盛り上がっているのはESGのなかでもE(環境)のテーマであり、そのなかでも「脱炭素(カーボンニュートラル)」というテーマだ。EV車の開発や再生可能エネルギーの活用増大など、脱炭素には大企業もスタートアップも血眼になって取り組んでいるように感じる。
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これは、脱炭素というテーマは成果を数値化しやすく、企業の事業活動との親和性が高く利益と直結しやすい分野だからだろう。無論、地球のサステナビリティを考える上で脱炭素は非常に重要なテーマであり、そこは否定しない。しかし昨今の企業によるSDGs実現に向けた動きは、ほぼ脱炭素のテーマに集約されてしまっている印象すらある。
「短期的な収益に直結するテーマ」ばかりが注目されることで、結果的に、収益と結びつきにくく長期的な取り組みが必要な社会課題は、以前よりも取り残されてしまっているかのようだ。これは「No one left behind(誰ひとり取り残さない)」というSDGsの精神とは相反するし、このような形でSXが使用されることは、時代を後退させてしまいかねない。
大げさに言えば、SXという大切な概念が企業にとって都合の良い文脈で消費され、SDGsが資本主義の論理のなかに絡め取られようとしているのだ。
SXを企業だけのものにしないために
では、どうすればあるべきSXが実現できるのだろうか。
いま、SXという言葉で盛り上がりを見せているのは、企業を中心としたビジネスセクター界隈だ。書籍を見ていても、SXを冠するセミナーの登壇者を見ていても、そこに登場するのはビジネスパーソンばかりだ。社会課題の現場のエキスパートであるNPOやNGOのリーダーたちの姿は見えず、議論にも参加していない。これでは議論が企業の文脈にどんどんと寄っていき、SXという言葉が骨抜きにされてしまう。
先の経産省の資料においても、企業がSXを推進する上で重要なのは、「未来の社会像からバックキャストし、社会のサステナビリティを経営に取り組む」ことだと主張されていた。
企業だけで未来の社会像を描くのは片手落ちだ。NPOやNGOを含むさまざまなアクターが企業と一緒になって「持続可能な未来の社会像」を描くことが不可欠だ。
NPOやNGOなどのソーシャルセクターのプレイヤーには、「SXという概念をビジネス界のためだけの言葉にしない」ための努力が求められる。積極的にこの議論に参加して、あるべき道をソーシャルセクターとビジネスセクターとが共に考えていくべきだ。
企業は、ビジネスの世界だけに閉じてSXを考えるのではなく、開かれた議論を行っていくべきだ。「持続可能な未来の社会像」を本気で考えるのであれば、さまざまなステイクホルダーと対話することをサボるべきではない。そこをサボれば長期的に繁栄する世界は実現しないし、そんな世界で企業が長期的に稼ぐことはできない。
SXという言葉が生まれた社会的背景を見つめ直し、いまこそ企業と社会のサステナビリティを同時に実現するための本質的な営みについて、さまざまなステイクホルダーが一緒に考えていくべきではないだろうか。
そうすることができれば、このSXという新たな概念によって、僕たちは社会を一歩前に進めることができるはずだ。