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人生100年時代に求められる趣味――消費する趣味と生産する趣味。
この前、X(旧Twitter)でバズってたつぶやきについて。
これから無職になる人へ
— 無職さん@令和3年に退職した元銀行員 (@100dayretire) February 22, 2024
無職になると、無限の時間がありますが、映画、ゲーム、アニメ、ドラマ、Youtube、Netflixなど消費性の趣味だけでは一瞬で虚無感に覆いつくされるので、なんでもいいので生産性の趣味を見つけましょう。
なるほどなぁと思った。
このツイートは“無職”からみた観点ですが、
自分はそれとは別で思ったことがあった。
■ 「人生100年時代」における趣味の位置づけ
「人生100年時代」とか、言われるようになって。
そうすると、今の本業の仕事だけじゃいけないだろう、という議論が起きて。
副業したほうがいいんじゃないかとか、老後はどうするのか、とか。
そんな議論がなされるんだけど、
そんな中で、「趣味」というのは、どのような位置づけになるんだろうか。
まぁ、当然あったほうがいい。お金をかせぐ仕事とは別で。
というか、だいたいの人は、大なり小なり、趣味があるだろう。
なんであるかって、それがないと、じゃあ休みの日は何をしてるんだって。
ゲームだってそう。それも趣味だし、SNSもまた、趣味である。
暇な時間に自分が主にやっていること、
「だいたい、こういうことやっているなぁ」というソレは、
広義でいえば、趣味だと思う。だって、毎回それをやっているんだから。
「人生100年時代」というなら、
「仕事以外に趣味もあったほうがいいだろう」となるのは自然だろう。
ちなみに、男の平均寿命は81歳、女性は約87歳、だそう。
参考:日本人の平均寿命はどれくらい?|公益財団法人 生命保険文化センター
もし私が、80歳まで死なないなら、「人生は思っているよりも長い」、のかもしれない。
「人生は思っているよりも短い」と聞くけど、
確かに、何が起きるかはわかんなくて、あっという間に人生が終わってしまうこともあるけど、
もし、何も起きなくて、平均寿命まで生きるとしたら、
「人生は思ったよりも長い」のかもしれない。
少し話がそれたが、そんなふうに、人生が長いとしたら、趣味は、ないよりはあったほうがいい。
■ 『消費性』の趣味と『生産性』の趣味
冒頭のツイートより、用語を引用させていただくのですが、
趣味には大きくわけて、2つある。
『消費性』の趣味
『生産性』の趣味
前者、『消費性』の趣味というのは、
映画をみたり、音楽を聞いたり、食べるのが趣味とか、そういうやつ。ゲームなんかもそうだ。
対象を消費することで満たされる。
後者、『生産性』の趣味は、
例えば、手芸であったり、インスタグラに写真をあげたり、noteに文章をのっけたり、とか。
自分で何かしらを作る、生産する。それが楽しいという、そういう趣味。生産する趣味。
ふと思う。
例えば、今、私はNetflixで映画を見るのが好きで、趣味です。
しかし、ふと思う。
この趣味、あと何年続くだろうか。
60歳、70歳になっても、続けられるだろうか。
Netflixに限らず、先程列挙したような、『消費』する趣味。
これって、いつまで、いくつまで続けられる、長続きする趣味なんだろうか?
『消費』する趣味って、どっかで飽きちゃうんじゃないか。
――いや確かに、今の世の中には、膨大な消費対象がある。
膨大ってか、一生を費やしても消費しきれないほどのコンテンツで溢れている。
「だから生涯、『消費性』の趣味だけでじゅうぶん」
ってなるかといえば、やっぱ難しい気がする。
それはおそらく、消費対象うんぬんではなくて、
『消費』すること、それ自体に飽きてしまうからじゃないか。
消費対象を変えていけば、味変はできるけども、どこかのタイミングで、食べることそれ自体に飽きて、疲れてきちゃうんじゃないか。
目的や対象は変わっても、“『消費』する”という、動詞の部分は変わらないわけだから。
消費対象がどうこうではなく、『消費』するという、同じ動詞をずっと続けること、それに飽きてしまう。
■ 2つの趣味を繋げる
そしたらどうしたらいいかって、誰しも経験があると思うけど、
たとえば、音楽を聞くことが好きだった人が、自分でも音楽を始めたり。
本を読むのが好きだった人が、自分で文章を書くようになったり。
食べるのが趣味だった人が、それがきっかけで、自分で料理を作るようになったり。
『消費性』の趣味に触れたその先で、『生産性』の趣味と出会う。
本を読むのが好き、それはその時点では『消費性』の趣味だけど、
自分で文章を書くようになったなら、それは『生産性』の趣味だ。
それは『消費』するという動詞から、『生産』するという動詞に切り替わるということ。
こういうことって、多々あると思う。
というか、『生産性』の趣味を持っている人は、まず最初に、『消費性』の趣味にハマった人だ。
“『消費性』の趣味、それだけではやっていけない。
だから、『生産性』の趣味を持とう。”
――そういった趣旨のnoteなんだけど、
これは、どちらの趣味がいいとか悪いじゃなくて、この2つはそもそも繋がっている。
“『消費性』の趣味と、『生産性』の趣味、
この2つを繋げよう、繋げてみようと。”
そのほうがいいんじゃないかって、そんな話でした。
ではまた。