フワちゃんのラジオ降板について思うこと。
少し前の話題ですが──。
芸能タレントであるフワちゃんが、SNSで相手を傷つける投稿をしてしまい、ラジオ番組降板、ひいては芸能活動休止に至った。
SNSでの誹謗中傷なんて、そこら中でよくみかける。まったく珍しくない。
誹謗中傷、罵詈雑言、インターネットでは古くから、当たり前のように存在している。
しかし、人前に出る仕事、タレントさんであるから、これは問題になった。
ある程度の非難や、自粛は避けられなかったのかもしれない。
それにしても──
テレビや広告を降板になるのは、ともかくとして、“ラジオ”までも?というのが私の感想だ。
テレビや広告は、見たくなくても目に入る。
それをみて不快に思う人がいるかもしれない、なので一時的に人前を避けるという判断は分かる。
でもラジオに関しては、こちら側からチューニング(アクセス)しないと、まぁ滅多に遭遇しない。
「暇だから、なんとなくラジオをかけている」という人が、この時代、どれくらいいるだろう。
かりに多くいたとしても、ラジオのチャンネル数など、地上波テレビ以上にあり、偶然遭遇する確率は極めて低い。
YouTubeのように、“おすすめ”として表示されることもないため、こちらから探さない限り、見つけにくい場所にラジオ番組は在る。
ラジオという媒体は、
私にとっては、実に“ひっそりと”したものである。
オープンというより、どちらかといえばクローズドな中でのやり取り。
ラジオ番組は好きな人だけが寄り合って交流するコミュニティー、
そのラジオパーソナリティのファンの集いという印象がある。
此度のフワちゃんのラジオ降板は、
ファンの心情を思うと、辛いだろうなと思う。それはパーソナリティ、リスナー、どちらにおいても。
スポンサーとか、色々な事情があるにせよ、
ラジオくらいは、舞台として残しておいてもよかったんじゃないか、と思うのである。
まぁ、そんな甘い世の中ではないのだろう、結論。
「やっちゃいけないことをやったんだから、なんらかのダメージを被るのは仕方ない」
「言ってはいけないことを言ってしまったのだから、非難は当然」
これが世論であるにせよ、
完膚なきまでに居場所を抹消する、
はたしてここまで叩くことを正義と呼んでもよいのか、躊躇する。