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永遠の夏

  8月31日なんて、永遠に来なければいいのに。海を見ながら、僕はそう思った。お盆を過ぎると、セミの鳴き声はだんだん弱々しくなり、ある者は地面でくたばっていたりする。テレビではUターンラッシュのニュースが流れ、雑誌では「グッバイ・サマー」だとかいうろくでもない特集が組まれる。ついさっき始まったばかりなのに、もう終わる。夏休みって、なんなのか。

  それからというもの、僕は「夏」というのは、ひとつの観念だと思うことにした。夏というのは現実には存在しない。ただ、イメージとしてのみ、存在するということだ。照りつける太陽、真っ白なビーチ、鳴り続けるFMラジオ、学校に(会社に)行かなくていい日々、回り続ける扇風機と、かき氷製造器。

  昔、沢木耕太郎のノンフィクションに『一瞬の夏』という作品があった。一線を退いたボクサー、カシアス内藤が再起を期し、世界チャンピオンを目指す物語。夏は熱情、焦燥、あこがれ、挑戦、そして儚い夢のメタファーだ。

  ならば、僕は夏は永遠だと思いたい。永久凍土に閉じ込められたマンモスのような永遠の時。観念であり、イメージであり、思い出としての夏。

  そう、8月31日の夜は、永遠に明けないのだ。

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