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セーラームーンCosmosに、「強さ」を学んで
もう出てから一年近く経っていますが、先日ようやく買ったムック本があります。
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帯に書かれたうさぎの台詞があまりにも重い、完結編の総合資料ですね。
「愛」という一文字の深さに触れる
この映画に関してはこれまで何度も記事に書いてきたので、特に追記することもないのですが一言、素晴らしい作品でした。
実に10本、完結に思いを寄せた記事を書いています。
今回もこのムックで去年を思い出しながら、また映画を観返してみようと思っているところですが、目を引いたのが三石さんのインタビューです。
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この中で三石さんは「セーラームーンは一貫して絶対的味方なんですよね」と仰っています。ギャラクシアに対しても、あれだけ仲間を奪うという非道なことをされた相手なのに、もう本能で救いの手を差し伸べていると。ある意味慈愛の権化のような存在で「戦士」と呼ぶには似つかわしくない側面も持っています。しかし、それこそ本当の意味での「戦士」なのではないかと感じる面も、この映画にはありました。
バトル物、スポーツ物、基本的に「戦う」作品は数多くあれど強い敵に勝つ、ことが目標なのではなくその先にある平和であったり、自身の成長などを得ることが目的なんですね。敵はその障害に過ぎず、仮に戦わずに済むのならそちらを選ぶ主人公、も結構な数、いると思います。では結局主人公は何と戦っているのか。それをこのセーラームーンCosmosは如実に語ってくれていました。
「挫けそうな、自分との戦い」
もはや、これ以外にありません。
そしてそれを成すのが、セーラームーンにおいては敵すらも包み込む愛だったということです。
三石さんが仰っている、「誰にとっても味方」な部分こそセーラームーンの主人公性であり絶対的な強さだったんですね。
愛というと近しい人への想い、という意味が一般的ですが…
自分と、自分とは違う存在を繋ぐもの
というより大きな意味を持っているのだと感じます。
少女漫画的な恋愛の話に留まらず、全ての人、物を愛することで世界は良くなっていく。セーラームーンは、一つの哲学でもあります。
少年漫画でも、愛の意味が大きく語られたものがあります。
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つまりは「愛」とはそれほど深い意味があるわけです
セーラームーンは、テレビ版の次回予告で毎回、
「月の光は、愛のメッセージ」
というフレーズが付いていました。
今、完結編たるCosmosまで観ると月野うさぎがこれを言っていたことの意味が非常に大きく心に沁みてきます。
作品そのものが、気高いんですね。
セーラームーンの話にケンシロウの画像が出てくるのはどうなんだ、と思いましたが「最強の主人公」という共通項はあります。あとそれぞれのジャンルの代名詞的作品でもありますよね。
強いだけの敵は、弱いという答え
今作はセーラーギャラクシアという、あまりにも強大な敵と戦う作品です。その力、スケール感はありとあらゆる漫画、アニメ、映画を凌駕していると言っても過言ではありません。
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単純に強さでいえば、もうどうしようもないレベルの敵ですが最終的には彼女もカオスに呑みこまれてしまいます。そのカオスさえも包み込んで、取り戻したかったものを取り戻せたのはセーラームーンでした。これは、力が強い「だけ」のものの末路を描いていますし、他のものを傷付けることは結局自分を傷付けているに等しい、というメッセージにも感じます。
そして、この作品を踏まえて色々振り返ってみると他の作品でも意外なほど、最後の敵が最強の敵、だったケースは少ないのかな、と感じます。先述しました通りその上で主人公が成長すること、そちらが主題であり「最後に倒したのは今までで一番強い敵だった」は結果に過ぎない印象があるからですね。どこまで行っても、敵は自分自身。
「己自身が、最強の敵」、なんですね。
あ、コレは「最後=最強」でいいです。
初代仮面ライダーも、ショッカー首領は特に最強の敵ではありませんでした。100話近く戦ってきた組織のボスであっても、です。
「強いだけの奴は、弱い」
言い方としては極端ですが、力が強いだけの敵には脆さも共存していたりして、結果主人公の精神性に敗れるパターンも多いです。
そういう力の強さを飛び越えた作品として、セーラームーンが後世に残っていくことを望みます。
ネットフリックスで配信されていますので、未見の方は是非!
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