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仮面ライダーガッチャード第22話感想…愛の描き方に令和の色が

今週の仮面ライダーガッチャード第22話、
「愛は刃サーベル!ケミー・ストーリーは突然に」
を観て、さりげなく創作に重要なことを感じたので記そうと思いました。

「イマドキ」の描き方

第22話 あらすじ
 珍しくおしゃれしてウキウキと出かける蓮華。どうやら誰かと恋に落ちたらしい。気になるお相手を見定めようと宝太郎らが尾行すると、たくさんの老若男女を魅了する一人の青年(山中柔太朗)が現れた。

 まるで青年の崇拝者のようになった人々の中には蓮華だけでなく、なんと加治木まで!呆気にとられる宝太郎らをよそに青年は魅力に取り憑かれた人たちを引き連れ去っていく。
(公式サイトより引用)

突如現れた、キーとなる男(ズキュンパイアというケミー)によって事件が起こり、そこに敵味方が絡んでいくという特撮においてはシンプルな構図の物語で、来週に続く前後編の前編になっています。
イケメンや美女に骨抜きにされる人々、というのはどんな時代でも共感を得やすい人間の普遍的な嗜好を描いているわけですが、今回このガッチャードにおいて、「おや?」と思う部分がありました。

このズキュンパイアに魅了された人達に、男性もいたことです。それも一人二人ではなく、男女が同じくらいの数になっていました。ズキュンパイアは美男子、従来の作品だとこういうシチュエーションで群がるのは全員女性なことが多かったはずです。ここに、現代のジェンダー感を反映している「時代の変化」を感じたんですね。
この男性ファン達(信者って感じですが)の中で真っ先に出てきたのが、上の画像にある年配男性で、そのギャップと相まって男性ファン達にコミカルな印象を与えます。そのおかげ、と言ってはなんですがイケメンの虜になった男達、が「何か特殊な力でおかしくなった人々」に見えて面白い画になっているんですね。
もし、この「まず、笑いから」という描写が無ければ、男に男が魅せられているのが不自然に見えていたと思います。同性愛を連想させると、人によっては生理的に受け付けない場面にもなり得ます、かくいう私もそうだったと思うんですね。でもこの場面はすんなり、楽しんで観ていました。

ここに、男は女に、女は男に惹かれるだけとは限らない、という現代の風潮を「観やすい形で」取り入れようとする制作サイドの気遣いを感じました。何万人という人間が視聴するテレビ番組であるがゆえの難しさでしょうが、意図してやっていたとするとこれは巧いな、と思ったものです。

何故そうなったのか、という視点が必要

世の中のものは千変万化、時代と共に価値観、常識も変わっていきます。ここ数年で特に、男女平等から性差を無くす方向に世間の動きがあるのは過去の記事でも触れたことがありました。
ですが、気になるのはそれが過去の価値観の否定から入っている場合が多いという事なんですね。結果として、反発が当然起こります。それを「時代が変わった」「今はもう違う」で片づけて押しつけようとする人達の姿勢に疑問を感じていました。

昨年9月の、GACKTさんのツイートです。
これに私は大いに共感したのですが、「それが差別を生むんですよ!」という意味合いの返信もありました。

先述の「反発」にまつわる部分ですが、時代による変化、という形式的な表現に逃げず変化の必然性を訴えなければ本質的には変わっていかないのではないかと思いました。いずれにしても変わっていく事にそれだけの理由があることは確かなのでしょうが、それが「過ちを正す」という意識にいつの間にかすり替わってはいないでしょうか?そこには個人のエゴが見えてしまいます。
必要なのは、否定ではなく拡大の意識だと思っています。

今週のガッチャードのように、男性「も」、男を好きになっていいと幅を広げる形で新しい表現をしていくのは、反発も生まれにくく、またドラマとしての面白味にも繋がっていたりで、とても建設的だと思いました。

過去の否定ではなく、新しいものをプラスしていく。それによって
「次に進む」
感覚で何事にも臨んでいきたいですね。

ちなみに個人的な話をすれば、やはり男にキャーキャー言っている男は気持ち悪いな、と思ってしまうクチですが(苦笑)、ギャグとしてはアリ、って感覚ですね。

面白い絵面、といえばここも
いや宝太郎、ホッパー1仕舞えよと

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