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PS5Proに対する世間の反応に、止まらないPSブランドの凋落を感じて

先日、PS5 Proという新しいゲーム機の発表で、ゲーム界隈?がざわついていましたね。

あくまでも私の観測範囲内での話ですが、12万円という価格についての話ばかりが盛り上がっている様に見受けられました。まぁ、それも止む無しかなとは思いますが。

完全なる、高みの見物

まだ三ヶ月半ほどしか経っていませんが、ゲーミングPC勢になった私にとってはこのPS周りの話は完全に「下界」の議論なので、

こんな顔になりながら眺めています。

そして、値段の話ばかりで高い高いと言われている状況に、
「あぁ、やはり自分はちゃんとゲーマーだったんだ」
という自覚をあらたにしました。

まず昨年6月、スト6の発売と同時にPC版を購入、起動させようとするとスペック不足を突き付けられる、という事件がありました。記事内で触れています通り、体験版が動いたのに、なんで!?という感じでしたね。ゆえに、妥協案として持っているPS4で一年、プレイしてきましたが…

自身のランクが上がり、対戦相手のレベルが上がってきたところで良環境のPC版でやりたいという欲が増してきました。ストリートファイターは新作が出るまでの間、6~7年はプレイしていくのが想像出来るので、ここはもう思い切ってゲーム用にPCを買うか!と思ったのがこの春でした。「PCは一台あれば充分」という固定観念を自分で崩すのに、これだけの時間と状況を要した、という感じですね。

そして5月、晴れてゲーミングPCを購入いたしまして、そこからは文句なしの環境でスト6にドップリ、な毎日です。PS4版の時はMRが1400台でしたが、今は1600が見えてきています。何よりかつて「自分には合わないかも」と思って止めたキャラでマスターに到達できたりしていて、地力が底上げされた感覚が間違いなくあるんですね。

つい先日、こんなのも書きましたがそれ以外のゲームもやってみたい、という欲が出てきています。何より数年振りに、毎週ファミ通を読むようになりました(笑)。最新ゲームへの関心が沸き始めたんですね。

こんな感じで、思い切って大きなものを入手したことで娯楽の選択肢が広まり、プライベートの充実度まで上げているわけです。高い買い物には違いないですが、実に有意義でした。キッカケになったのは十代の頃からやっている格ゲーですが、ゲームのアレコレが人生の潤いに直結しているのが、己のゲーマーっぷりを再認識させてくれましたね。

ひと月の給料より高いパソコン、でも高かったとは思っていません。

いつまで続ける、「まるで実写」

ゲーミングPCの購入前後、こんな記事を書いていますようにPS3,4を処分して「あばよっ」とPマークと決別している私は、今回PS5Prоという発表を見て、

「いつまで続けるんだろう、この甲斐のないゲーム事業を」

と、ソニー(正確にはSIE)に対して哀れみの目線を向けています。加えて、それの価格に文句を言ったり、他機種ユーザーとのケンカをしている人達に向けてもまた、同じですね。

任天堂のようにソフトで勝負、をせずにゲーム事業を続けると、時代の流れに対応できずユーザーの求めるものとの剥離がどんどん大きくなっていく、このPS5Proは、まさにその成れの果てといった感じがします。…というか、PS5の時点ですでにそう感じていたのですが、より酷いものが出てきてしまったな、という印象です。
何より、本当に5になってからソフトの話題が出ない。
私が知らないだけ、の可能性もありますが先述した通り最近ファミ通で新作チェックもやっているので全くの無知でもありません。そう考えても、やはりネット上でゲームより本体の値段ばかりが話題になるのは何か、歪なものを感じます。

ライトなゲーム好きはSwitchで遊び、コアなゲーマーはPCを使う。

今はこういう時代になり、プレイステーションはどちらにも入れない中途半端な機械に成り下がってしまったんですね。
己の領分はここだ、を明確にしていた任天堂との差は歴然としている気がします。私も最近Switchをあまり使わなくなっていますが、今年ライブアライブを楽しんだのでやはり存在意義はしっかりあります。ライブアライブ、PSやPCでも出ていますが元のゲームがスーファミなのでやはりSwitchでやるのがしっくり来るよな、という感じで。


そういう訳で、居場所のなくなったPSハードの凋落をより感じた、このPS5 Pro発表でした。
大人のゲーム好きなら、PSの値段に文句を言ってないでPC買っちゃいましょう、というお話です。

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