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減っていく闘技場(ゲームセンター)への想い

もう一年前の動画ですが、昨日Youtubeサーフィン中にオススメに出てきて見入ったものがありました。

中年ゲーマーの、ゲーセン思い出話という感じですね。
ゲーセンのカオスな話は実体験としてかなり、持ってますので共感の嵐でした。私は元・香川県民なので動画で上がっている店舗に行ったことはないのですが(旅行で大阪に行った際、モンテに入ったことが一回あります)、90年代のゲームセンターあるあるなので、

「まぁ、香川県でも同じだったな」

って感じる話が出てきていましたね。


現代のゲーセン文化について思うこと

ゲームセンター絡みの話だと、昨年末に京都の有名店a-choが1月いっぱいをもって閉店するという報が入ってきましたね。
こちらもプロゲーマーどぐら氏の雑談ですが、

モンテとツートップだった店の終焉には、「ゲーセン世代」として思うものがあるようです。

こんな話を聞き、私も地元のことが少し気になって調べてみるとまず一店舗閉店しているのを知ってしまいました。と、思ったらセガからGIGOにリニューアルしているだけだったんですね、ちょっと一安心。
しかし、地元のゲーセン話で言うと6年前、闘劇予選も行われていた「戦」が閉店した時は本当に「ゲームセンターの終わり」を感じたものです。

家からはかなり遠かったのですが、格ゲーの対戦をやるにはここしかない、と
いった感じだったので通っていたんですね…原付で一時間以上かけて(笑)。

思い出もたくさんあり、無くなって欲しくはないと言いつつも私も5~6年前と比べると明らかに行く頻度が減りました。地元からこちら、関東に引っ越してきた際はゲーセンがたくさんあることに何よりも喜びを感じていたものですが、環境はずっと一定ではいられないんですね。

以前この記事で記したように、トラブルの多い場所だったことも確かです。ですがそれ以上に交流の場として憩いの場になっていたこと、ゲーセンで行われる大会が現在のeスポーツの源流であることなどを含めて、意義の大きな文化だったと、忘れずにいたいものです。

前から思っていて、またミカドなどでは変更もされたようですがそもそも40年以上前から1プレイ50円、または100円が変わらないことが商業としての限界に達させた遠因ではないでしょうか。…かといって値上げすれば解決、という単純な問題でもないのでしょうけど。


20年前の、ゲーセン文化が生んだ伝説を回顧する

この話をしていて今年2025年は、この大会から20周年なんだな~と思い起こしました。

この頃、毎年開催されていた格闘ゲームの大会「闘劇」にて、カプコン格ゲーの雄である二人が組み優勝したことで語り草になっている2005年大会、ストⅢ3rd部門の決勝戦です。
当時は格ゲーマーのプロ化というものは無く、ただ大会とはゲームの上手い奴らがその日の一番を決めるだけのものでした。今のような細かなルールもなく全て一試合先取の一発勝負、ルーザーズなど無いので負ければ即敗退という、今から考えると超シビアな大会ですが…この頃は誰もシビアだとは思っていませんでしたね。大会とはそういうものだと思われていました。
だからこそ、最後まで勝ち切ったやつは最強だと認められもしたんですね。今で言うとウィナーズのまま優勝、しか無かったわけですから。

もちろん、これは現代のeスポーツの競技性を否定している訳ではありません。大元にこういう大会があり、それが洗練されてきた結果が今の大会な訳ですから。ですが、この頃の野試合そのまま、な大会も
「強者たちの夢」
という趣きがあって今とはまた違う熱さがあったなぁ…という話です。


こんな動画を観ていると、私自身もまた血が騒いできたりして大会に出たくなったりするのですが…ゲーセンでの大会って、今はもう希少なんですよね。現実的なラインだと、西日暮里バーサスの東西戦にまた、出ようかな~くらいの話になります。

探したら、まだ動画がありました。
最後に東西戦に出たの、もう5年前なんですね~コロナが流行り始めて、行けなくなる前に行っとくか~的に二週続けて出たのを覚えています。もはや懐かしい話ですが、マスクが買えなくて困っていた頃ですね。

いやしかし、自分のプレイ見ると下手だな…って思います。
そして今も、大して変わっていません。


そんなゲームセンターへ思いを馳せた、中年ゲーマーの雑記でした。

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