映画感想「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」(Filmarksより)
約25年ぶりに、ふと観たくなって鑑賞。
ZZでのアクシズとの戦いを経て、再度ネオジオン総帥として立ち上がり地球の粛清を掲げるシャアと、連邦のエースパイロットとなったアムロが決着を付ける劇場版。
記憶は薄れていながらも内容は常に何処かしらで語られている作品、忘れようもなく。
改めて観てみると、ガンダムというか富野作品の骨格が見えたのだが、
「大人のやっている戦争を子供がかき乱す」のがこの監督の作品に一貫している姿勢だなぁと感じた。
この映画は、地球を巡って二つの陣営が戦う話ではあるが物語の中心になっているのはクェス・パラヤ。キャラデザインの北爪氏が脚本を読んでも性格が解らない、といったほどに破天荒なキャラで、シャアにベタベタしている間に強い機体に乗せられ、気がついたら命を散らしていた。見た目こそ美少女だが、全く可哀想だと思えなかったのである意味凄いキャラである。
気がついたら…といえばギュネイもそうで、クェスに惚れてシャアに対抗意識を燃やすドラマの中心人物ながら、特に最期の言葉もなくアッサリ戦死する。この淡白さが戦争もののリアルさを持っているが、惚れたはれたが入り乱れる有様はいかにもアニメ的。そもそもアムロにしてもシャアにしても常に女性がついて回っている。基本的に好意を持つまでの描写が皆無なので、なんでコイツらこんなにモテるんだ、と不自然さまで覚えてしまう。顔が良いのは分かるが、戦場に出ると皆面食いになるのであろうか。
よく評価されている戦闘シーンは、現代においても遜色ない白眉。サザビーがジェガンを複数機まとめて堕とすところはラスボス感があったし、Iフィールドを張るνガンダムは最強の風格がある。ラストの一騎打ちも見応え充分。
だが、一本の映画として観ると起伏に乏しく、退屈な作品だと言わざるを得なかった。そもそもガンダムが劇場用映画に向いていないのだろう。情報量の多さと、必要のない会話の多さがある。この「必要ない会話」が持ち味でありキャラの魅力にもなっているのが難しいところで、やはり映画向きではないと感じた。結局最後まで登場人物たちは目の前の状況に精一杯で、何か変化があった訳でも成長した訳でもない。2時間観てきて、「地球助かりました」の結果以外何も提示されない「薄い物語」なのである。唯一、アクシズを止めるのに加勢したネオジオンの兵士たち、彼らの行動だけが映画的でドラマチックだった。もし、この行動を取ったのがシャアであったなら万人に勧められる名作映画と言えなくもなかったのだが。
だがその当人は最後に「ララァをよくも殺したな」と吐き捨てるのみであった。映画が始まる前と、何も変わってはいない。自分を慕ってきた女子を死なせただけである。
脚本的には良い映画とはとても言えないが、戦争を描いて感動的な物語になる訳がない、というこれも監督からのメッセージだと受け取っておこうと思う。
「貴様ほど急ぎ過ぎもしなければ、人類に絶望もしちゃいない!」