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映画「グランツーリスモ」感想…ゲームが見せる夢の、至高のかたち

こないだの休日に、アマプラのウォッチリストに入れておいた映画「グランツーリスモ」を観ました。

ゲームのトッププレイヤーがリアルのレーサーになる、という漫画のような話ですが、なんと実話がモデルという凄い作品です。知人に薦められていましたが公開中は映画館に行きそびれていたので、この度自宅鑑賞と相成りました。

Filmarks感想

グランツーリスモの諸星だりあのレビュー・感想・評価
グランツーリスモ(2023年製作の映画)
観たいリストに入れていた作品、配信にて。

グランツーリスモのトッププレイヤーをリアルのレーサーにする、という荒唐無稽なプロジェクトを描いた、実話モデルの物語。
正しく主人公の成長、挫折と逆襲を描いた王道のヒューマンドラマだった。

序盤の警察から逃げるシーンでゲーム画面的に見せる演出など、ゲーム感覚の楽しい作品と思わせて、やはり本物のレースの世界に入ってからは厳しさを見せつけられる展開に。詳しくないのだが、流石にレースゲームでクラッシュまでは再現されていないと思うのでその憂き目に遭い、その後どうするか…こそがこの映画の最大のドラマだったのではないか。

コーチのジャック、よくある「強者だったが競技を捨てたはぐれ者」キャラでありながら変に捻くれたところも無いナイスガイだった。ヤンのもう一人の父親として二人の絆が育っていくのもこの作品の見どころだと思う。
そしてこの映画の一番良いなと思うポイントは、ゲームそのままのタイトルなところ。グランツーリスモはそれほど現実との親和性が高いゲーム、いやレーシングシミュレーターなのだという自信の表れに思える。
そのことに語弊のない内容なのが、とても素晴らしいと思った。

…いやしかし、子供の頃はレースでのクラッシュを見た時に変に昂揚していたものだが、今はドライバーや携わる人達の心情を思ってとてもしんどくなる。
これが大人になったと言うことか…と感じた、リアリティを思い知る作品でした。
自分自身、大人になってもゲームの虜ですので。

スコア…4.5点


家電メーカーが創った未来

映画としてはとてもオーソドックスなサクセスストーリーで、プロジェクト発起人であるダニーがレースの結果を偽ってヤンを落とそうとした箇所以外は物語に濁りがありませんでした。ここはジャックが押し切って事なきを得ていましたが、実は個人的にこの映画で物足りないと感じたのもこの場面で、ダニーとて悪人ではない、なればこその葛藤とレースに対して真摯なジャックの見せ場になっていたのでは…と思ったんですね。やけにアッサリ済んでしまったのが勿体なかった、と感じました。

基本的には夢に溢れたプロジェクト、邪悪な人間はいませんでした
あ、いや相手チームにワルというか、オラオラ系はいましたが

私自身、レースゲームはほとんどやらないのでグランツーリスモがシミュレーターとしての極めて高い完成度を誇っていることは知りませんでした。プレステ1の頃に、リッジレーサーならやった事があったかも…?というレベルです、あちらはナムコですね。

これまで、80年代からゲームを嗜みその歴史を見てきた中年ゲーマーとして、

「ゲーム機の高性能化は、ゲームの面白さに直結しない。そこを理解出来ずただ機械を新しくしてきただけのプレイステーションがパソコンにそのポジションを奪われたのは必然である。ソフト、IPを大切に育ててきた任天堂とは明確な差がついてしまった」

という持論を展開してきました。要は、アンチソニー、アンチプレイステーションな立場の人間なので、グランツーリスモなどは「まるで実写(笑)」のように、ゲームの本質から外れた嘲笑の対象とすら思っていた人間なんですね。

ですが今回、この映画で考え方が変わる…とまではいきませんが、リアルさをハードのスペックと共に追求してきたゲームが「現実に届いた」という事例を見て、
「このヤン・マーデンボローこそ、PSが生んだヒーロー、最大の功績じゃなかろうか」
と思いました。実写と違わない臨場感のゲームが、まさに現実と融合することもある。遊び道具として以外のビデオゲームのアプローチがドラマを生んだのだ、とこの映画は教えてくれましたね。

もう、現実とゲーム画面の区別が付かなくなってきてるんですね
だからこそ、このプロジェクトが絵空事で終わらなかったことは
純粋に、スペックを追求したPSを称えなければいけません
ジャックも最初はただのオタク達め、みたいな態度でしたが
次第に本気で取り組む若者たちに真剣に向き合っていきました
粗野なルックスが格好良く見えてくるナイスガイ、いいですね
映画の終盤は、ゲームはもはや関係なくガチのレース物になっていました
本来、ゲーマーなら本物のレースに出られるだけで満足しそうですが、
ヤンはさらに栄冠にまで挑みます、それは「僕がやっているのはゲームじゃない」という
序盤の台詞から一貫した力強さに満ちていました


ゲームと映画、ゲームと現実

思えば、1997年頃ガンダムの富野監督が具体名こそ挙げませんでしたが「映画を目指す」と宣っていたゲームに対し苦言を呈していたことがありました。映画は映画、ゲームはゲームの特性があるのだから無理に近づける必要はない、という論でしたね。このゲームとは何を指していたのかはもはや明白ですが、確かにこの年に出た某有名作は「ゲームが映画のようだ」と思わせる革新性を持っていました。

ですが、今回ゲームに基づく実話が映画になった、という例を見てこれこそ正しく「映画に辿り着いたゲーム」と言えるのではないか、と思いました。個人的なソニーやPSへの感情は置いておき述べたいのは、ビデオゲームの社会的地位がここまで上がったことは純粋に嬉しく思います。
かつて、90年代にコロコロコミックで連載されていた「電脳ボーイ」というゲーム漫画がありました。

「がんばれ!キッカーズ」で知られるながい先生作品です

この漫画で、スーファミのF-ZEROで勝負する話があるのですが主人公のライバルとなる少年が、トラック運転手の父親の隣にいつも座っているからそのドライビングテクニックを間近で見ている、実車と比べればあんなゲーム楽勝さ!と言っていた場面がありました。
そうなんです、この頃は「ゲームなんて簡単」という風潮がありこの手の漫画だとリアルのスポーツをやっているキャラがその競技のゲームまで上手い、とよく描かれていたんですね。私は少年時代、

「そんなバカな話があるか。ゲームはゲームの難しさがあるんだバカにするな」

と、小さく憤りを覚えていたものです(笑)。
そんな経験がありますから、この映画は実に痛快だったなぁ~と思いました。ゲーマーが、そのテクニックを持って現実で成功するのですから。
プレステ4を手放してしまったのでグランツーリスモをプレイする環境が今はありません、それをちょっと悔やむくらいには面白い映画でした。

プレイステーションを、少し見直しました。
マリオカートでは、こうは行きませんからね。

PSマークが、誇らしげに見える映画でしたね

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