古今叙事大和本紀 第二章 明石の怪物
気がつくと、赤い甲冑を身に纏わせたあの大男と肩を並べて歩いていた。
岳は、一体どうしてこうなったのかは分かっているようで、実は全く分かっていなかった。
天鈿女に問いてもよく分からないらしく、まさかこの大男に直接聞ける訳もない。確かこの男は彦五十狭芹彦と名乗っていた筈。あの石像の神の名もこの男の名も、何故こう長々しいのか…。呼ぶ方の身にもなってくれと岳は何故か憤っていた。
普段ならそんな事で憤る筈もない岳であったが、とにかくそばにいるだけで暑苦しい他この上ないのだ。
「岳津彦よ…。天鈿女様を御守り致せよ…。お前の今の力量を全て尽くせよっ!!」
何故か誇らしそうに言葉を発する彦五十狭芹彦。
「あ、はい…。がんばります…。」
岳の声に納得してなのか、太陽のように眩い笑顔を放たせながら何度も何度も頷いていた。
「岳ぇ…、私は私で何とでもなるから、自分の身は自分で護るのよ?つか、勝手についてきちゃって、どういうつもりなのかしら…。全く…。」
やはり不機嫌な声を上げながら表情を曇らせる天鈿女。
まあ、この男から嫌な雰囲気は醸し出されていないので、この妙な熱さも日にち薬だと思った。というよりも、自分に言い聞かせていたと表現した方が適切なのだろうか…。
吉備を離れて既に何刻歩いたのか分からないが、随分遠くまで来たもんだ。しかし未だこの大男をどう呼べばいいのか定まっていなかった。
「もし、彦五十狭芹彦。」
「なんじゃ?岳津彦よっ!」
どうやら全部の名前を呼ばれるのがとても嬉しいらしい。
しかしながら、天鈿女と話し合った結果、長々しいから略して呼んでいいかという断わりを、何故か岳がその請いをしなければならないという話になった。ただ単に、天鈿女はこの大男となるだけ話したくないのだろうという予想は多分当たっている。
岳に躊躇している暇はなかった。
「あの、非常に言いにくい話なのだが…よいか?」
「おお、何なりと話せよ!!何じゃ?もしかすると女の話か?岳津彦も隅にはおけぬのぅっ!!あーっはっはっはっはっ!!!」
一人で話を展開させ、何故か完結させてしまおうとするのはこの男の悪い癖だと岳は思った。
「いや、そうではござらぬ…。汝の名前を呼ぶの、少し省略させて貰っても構わぬかという請いなのだが…、如何か?」
その言葉に、彦五十狭芹彦は鋭い眼光を浮かべて岳を睨んだ。
「人の命である名前を略すなど有ってよい訳ないだろうがっ!!それは、お前が言い出した話であるのか…!?」
「いや、その…。実はあめたんとで話していた事なのじゃ…。」
天鈿女の名前を出すと、その鋭い眼光が瞬時に揺らぎ、寧ろ悲しい表情へと変え、身体が一回り小さくなったように感じた。
「そうか、そうなのか…。天鈿女様もそう申されておるのか…。上司の命令は絶対というのが我が社訓。致し方ござらぬ…。そうか…。」
岳の身体を使い、いきなり割って入るように天鈿女の声がした。
「そうよ、貴方の名前、正直長いのよっ!そうねぇ…頭と後ろ取って『ひこひこ』とかどうかしら?良いじゃん可愛くてっ!!」
「いや、ちょっと…それは…。」
「いいじゃんいいじゃんっ!!『ひこひこ』で決定よっ!!何?上司の命令が聞けないとでも言うの…?」
「いやぁ…。はい…。」
岳の身体はあの時のように、薄く天鈿女の姿が重なり見えていた。
すっかり占領された形となり、腕を組み、彦五十狭芹彦改め、ひこひこの姿を大きい顔で睨みつける図式を、岳は精神世界の中でぼんやりと見つめていた。否、余りにも理不尽過ぎる出来事に、少々心が痛んだのだった。
岳は岳なりに彦五十狭芹彦の自尊心を傷つけない呼び名を真剣に考えていた。そんな中、完全に悪乗り状態が続いて、一人騒いでいる天鈿女の声だけが辺りにこだましていた。
「ねーっ、ひこひこっ!あっ!!!どうせならひこにゃんとかどう?更に可愛いじゃないっ!!!顔が怖いから名前くらいは可愛くしなきゃだしねっ!?文句ないわよね…?ひこにゃ…。」
「ちょっと待って下さいっっっ!!!」
天鈿女に乗っ取られていた身体の戒めを力強い気迫で破った岳は、まるで窘めるように、凛とした視線を浮かべてはっきりとした言葉を発した。
「あめたんよ、少し悪戯が過ぎている。大の男に『ひこひこ』や『ひこにゃん』は余りにも無粋過ぎるとは思わないのか…?」
「というか、岳…。私の心を気迫で打ち破ったの…?生身の人間である貴方が…。ていうかすごい潜在能力なのね、流石はあの人の子孫といようもの…。」
呟く天鈿女の声は届かないまま、岳は暫く何かを真剣に考える風に腕を組み続けていた。そして…。
「私なりに彦五十狭芹彦の新たな呼び名を考えていたのじゃ。して、吉備の国を護る者である汝の名前の最後を取り、吉備津彦という名前というのは如何であるか…?」
彦五十狭芹彦はその言葉にどう思ったのか、顔を俯かせ、肩を項垂れさせては身体を戦慄かせていた。その姿に岳は少し困惑してしまったのだが、それを誤魔化すように天鈿女に声をかけた。
「あめたんは…どう思う…?」
不機嫌そうな表情を浮かべないまま、拗ねるような口調で言った。
「岳ぇ、面白くないわ。でも、岳か吉備の違いだけでそう貴方と変わりない名前ね。この時代にはよくある話だし、いんじゃない?吉備津彦で…。で、貴方はどうなの?」
天鈿女の言葉が降り注ぐ中、彦五十狭芹彦は溢れる涙はそのままに、気持ちのまま叫び散らかした。
「吉備津彦…。何と素晴らしいっっっ!!!!!」
泣き叫ぶ声が天に広がり、頬を伝う大粒の涙が乾いた大地に落ちた。
「岳津彦よ、よくぞこのような名前を考え抜いたものじゃあああああっ!!」
いきなり腰に差していた剣を徐に抜き、弧を描くような舞を暫く演出して、決めるように大きく見栄を切った。
「我が名は吉備津彦。吉備を護り抜く国津神也っ!!あ、自分で言っちゃったよ、もうっ!!!!てへぺろー。」
余程嬉しかったのか、狂喜乱舞しているひこにゃん改め、吉備津彦を呆れるような視線で見つめながら、『何て単純な男なのじゃ…。』と岳は思わざるを得なかった。というより、てへぺろって何だ…?
少し前から何となく考えていたのだが、先ほどの長の手紙の内容を見たあめたんが『天孫かぶれの言葉』と評していた事から、もしかすると、神々の間に天孫語という言語が存在していて、あめたんや、その部下と言われている吉備津彦までその言語を用いる事ができるのか…。
今は多分どれだけ考えても理解できないのだろうと直観し、今は彼らから、そして今から登場する神々から、その天孫語というのを聞きながら勉強しようと岳は思った。
暫くするといつの間にか吉備津彦の目障りな…もとい、激しい動きが止んでいるらしく、何をしているのかと確認すると、今度はその場で何故か腕立て伏せをすごい勢いで施していて、あれからそんなに刻が流れていないにも関わらず、口から百と叫ばれた。
岳が我に返った事を確認した吉備津彦は、すぐ様その場へと立ち上がり、又もや大声で叫んだ。
「岳津彦よ、漸く気がついたかっ!!さあ、先を急ごうぞっ!播磨の地はすぐ側であるっ!!!あーっはっはっは!!!!」
待たれていたのではなく、待っていたのはこっちの方だと即座に突っ込みたかったのだが、それを窘めるような天鈿女の冷たい視線が岳の身体を捉えると、何だか凍えるような寒さが全身を戒めた。
なるほど。関わって話が長くなるのを避ける為なのだと岳は思ったと同時に、先ほど吉備津彦から発された播磨という言葉がやけに気にかかった。
吉備からは愚か、近所からろくに離れた事のなかった岳にとって、他の国の地名が新鮮に思えて仕方がなかったのだ。しかし、妙な疑問がこの胸に突っかかり、天鈿女の方へ視線を向けると、岳と同じような表情を浮かべて、首を傾げながら立ち尽くしていた。
次第にその疑問が心の中で形となり、そして天鈿女に相談してみる事にした。
「あめたんよ…。先ほどの言葉の含みから、吉備津彦はどうやら播磨へと行きたがっている様子なのだが、播磨には何かあるのか…?」
「さあ…、何か…怖いわね…。」
妙に深い天鈿女の声が余計に岳を困惑させた。
あれから暫く歩いていると、道中に妙な色彩の服を着た男が立っていて、岳一行がその男のそばを通り過ぎるか過ぎないかの所で、何と表現したらいいのか、やけにしわがれただみ声で、何故か棒読みのように大声を上げた。
「はりまーーーーーーー、はりまっ。はりまーーーーーーー、はりまっ。」
どうやら播磨へと到着したらしい。
「おおおっ!!遂に播磨の地に辿り着いたというのかっ!!」
何故か驚いた声を上げた吉備津彦は、満面の笑みを岳に向けながら、身振り手振りで何かを訴えてきた。
「岳よっ!!この地の見ものを存じ上げておるか?」
「否、存じ上げておらぬが…。」
やけに高ぶる感情の吉備津彦が奇怪に見えて仕方がなかった。
「やはり知らぬのかっ!この地の神が競う馬鹿馬鹿しい話を。」
吉備から出た事のない岳が知る筈もないのだが、大の男がこんなに興奮しながら語る出来事に、岳の男心に火が灯る瞬間だった。
「いや、実はだな。この地には…。」
何と馬鹿馬鹿しい話を申し上げる事になろうかと、落語家のような始まりではあるのだが、吉備津彦が語りだした話を他の情報を経て、記載したいと思う。
『土質は下の下(耕作に不適)。はに岡、というのは昔、大汝命(オホナムヂ)と小比古尼命(スクナヒコネ)が相争って言うには『「はに」を荷物として遠くへ担いで行くのと、糞をしないで遠くへ行くのとどっちが勝つか』。オホナムヂが糞を我慢することになり、スクナヒコネが「はに」の荷を担いで行くことになった。そうして数日(歩いて行った)経った。オホナムヂは「もう我慢出来ない」と糞をした。スクナヒコネは笑って「実に苦しい」と言って荷物を投げ出した。それで(ここを)はに岡という。また、小竹(笹)が糞を弾き上げて衣に付いたので、ハジカの里、という』(wiki参照)
という伝説があるらしい。
この神と神の戦いが今正に繰り広げられているから、見に行こうと吉備津彦は岳に訴えていた。実に馬鹿馬鹿しい話であるのだが、こういう類の話に興味を示すのは、いつの時代も男の方である。
「吉備津彦よっ!それは拝見したいっ!したいぞっ!!して、どこに行けばそれが見えるというのじゃっ!」
糞尿、右手で何某、左手でどうやらという話は、男同士で語るには良き時間の過ごし方であると、著者の私からも語っておこう。兎にも角にも、そんな下らぬ話が男同士では何故か盛り上がるのだ。
吉備津彦と岳津彦が『ひゃっひゃ』という下品な笑い声を上げながら話している姿を、それを良しとせず、必死に睨む姿があった。
いつの描写の誤りも修正する為に悠然と存在し、岳の中に降臨せしむる気高き女神。そう、言わずと知れた天鈿女である。
初めはちょっとだけ興味を持って話を聞いていたのだが、結局は自分が関心を持たない…、というのはアレとして、最近天孫本社を揺るがす組合である『大和邪神組合、日の本』の工作員が施している行事の一環だと逸早く気付いた天鈿女は、まずは天孫社員である吉備津彦が興味を示すものではないという事と、組織の、というか役員の中枢の最高峰の子孫である岳津彦が必ず拝見するべきものではないと、天鈿女は必死に声を上げた。
「貴方達っ!それ、見に行っては行けないわっ!!!」
「えっ?何故に…?」
何故か焦る様子の天鈿女に単純な男二人の視線が降り注ぐ。
まるで、子供が浮かべるガラス玉のような光を瞳に浮かべる二人の問いに、財団法神天孫、五課係長も流石に答えを窮す。
「いや、何とかの争いなんて、私…見たくないわ。だって、下品じゃないの…。うん、私、見たくないわ。」
それに対して、岳。
「えっ?だって、私は吉備から一度たりとも出た事ない故に、そのような催し物があると聞けば、興味を示してしまうのも無理なかろう…?」
そして、吉備津彦。
「そうだ。旅は行きずり。天鈿女様もそう固くならず、拝見していけばよい。なあ、岳津彦っ!!」
「うんっ!私もそう思うっ!」
わらわらと蠢きながら騒いでいるだけのこの二人を止める事はできないのか…?
もしそれを許してしまうと、部下行き届け不純と、我が姉分は愚か、そのまさか、更にお上から御叱りを賜り、もしかするととんでもない事になるかも…。
人の気も知らず、現を抜かすこの能天気達を、敢えてこういう表現をした方が今は適切であるから用いるだけなのだが、流石の天鈿女もムカついた。
『お前ら、学生ノリかっ!!!!』と…。
しかしながら、天孫語をもろに用いると岳は愚か、吉備津彦も多分理解できない話になってくるので、とりあえず深呼吸をし、天鈿女は適切な言葉を探した。しかし、この妙に勢いのある二人にかける言葉は見つからなかったが、この場合は多分、自分の最大であり、最高の能力を十二分に生かした方が手っ取り早いと感じとり、天鈿女は気持ちを集中させた。そして…。
「貴方達…、ていうか岳津彦…。弥生ちゃんの話どうなったの?こんな所で本当に油売っていていいの…?弥生ちゃんに逸早く逢いたいという純粋な気持ちはどこへ行ってしまったの?弥生ちゃんの立場なら、今の岳の姿を見ると…きっと耐えられないわっ!!!ねえ、答えてよ…ねえっっ!!!」
両手を胸の前に組み、眉をハの字にさせて、大粒の涙を零しながら、まるで、悲劇のヒロインが生き様を憂うが如く、世界に誇る芝居を打って出た。
流石は芸能の神、天鈿女が齎す演技と言えよう。
それにより、その場の空気は秋が連れてくる物悲しい雰囲気へと変わり、近くに存在する木々や水さえも黄昏ていく。過ぎ去る動物も項垂れ、飛んでいる鳥も鳴くのを止め、息を呑む。
敢えてもう一度申し上げるが、流石は芸能の神、これが天鈿女の作り出す世界観なのである。
辺りの描写さえ変えてしまう天鈿女の演技に、単純なこの二人が浸らない訳はない。吉備津彦はしくしくと泣き腫らし、岳津彦はその場へと身を崩し、大地をどんどんと叩きながら、懸命に訴えた。
「うううっ…。あめたん。私が悪かった…。確かに本質を忘れ、翻弄された私が未熟であるのじゃ…。ううううっ…、」
「否、違うぞ岳蔵っ!促したのは儂じゃっ!!汝に穢れはない。寧ろ我に罪はあるのじゃっ!!岳蔵よっ!一想いに儂を刺せっ!さあ、早くっっっ!」
ん?何故か呼び名が変わった…?
というより何故岳が吉備津彦を刺さなければいけなくなっているのか…。面白そうな展開になりそうだと天鈿女は岳の方へと視線を向けると、そんな悠長な事を言っている場合ではない事に気がついた。
岳の身体全体から霊気のような、妖気のような、それはそれは天鈿女が驚愕してしまう程のとんでもない力を放たせていて、しかも岳の祖が、悪しき者に対して本気を出した刻のように、黒目を真っ赤に染まらせて、獣のような息遣いで佇んでいた。
『い…勇ましい…、じゃなかった。こ…これは、流石に…やばい?流石にじゃなくて絶対にやばいってばっ!!!』
岳がいつも腰に刺している短剣に手をやり、徐に抜くと同時に光の刃が辺り一面に広がった。
『えっ!?あれ、いつもの短剣じゃなく、あれってまさか、十束の剣…?てか、素戔男尊様の物、何で岳が持ってんのよっ!!』
そう感じた矢先、吉備津彦の切実な叫び声がこだました。
「た、岳蔵っ!!その剣ですぱっとやってくれ…。さあ、早くっ!!!」
「…………。」
岳は見た事のない剣の構えを取りながら、静寂に姿を佇ませている。
困惑と違和感。風が吹きすさび、それが異常事態だと思わせた。
やはり呼び名が変わっている事と、岳から放たれている生身の人間にも関わらず、正に異常と感じる霊力と、吉備津彦の訳の分からない自殺願望…。
始まりは確かに自身がもたらした芝居そのものなのかもしれないが、ここまでくると流石にそれだけのせいではないと思った。この二人が異常なまでに単純なだけだとすると、そうなっても不思議ではないと天鈿女は妙に納得してしまい、腕を組んで何回も頷いてしまった。
「岳蔵うううううっ!!」
「吉備津彦よっ!いざ、尋常にっっっ!!!」
目の前から激しい叫び声が聞こえてきて、天鈿女は我に返った。
『やばい、今こそ止めなければ大変な事になってしまうっ!』
二人の影が交差しそうになった刻、天鈿女の金切りが空間を切り裂いた。
「ちょっ、貴方達っっっ!!待ちなさいっ、というかやめなさいっっつ!!!」
次の瞬間、辺りを包む物悲しい雰囲気は、元通り爽やかな空気と変わり、立ち止まり、心配そうにこっちを見つめていた動物達も、唄うのを止めた鳥達も、一斉に動き始めた。
岳が持っていた十束の剣と思わしき霊剣も、いつも持つ只の短剣へと戻っていた。
本当に危なかった…。
目を見開き、仁王立ち姿の吉備津彦を、今正に切り裂こうと、甲冑の腹部辺りに刃の先が当たっている所で、岳は身体を沈黙させていた。
「はて…、何だこれは…。」と吉備津彦。
「うわっっ!!!何故私がこんな事になっておるのじゃっ!!!うわっ!」と岳はそう叫びながら後方へと飛ぶように離れていき、すぐ様、短剣を鞘へと治めた。
吉備津彦は、まるで瞑想しているかのようにそっと瞳を閉じ、呼吸を整えている。しかし、岳は焦るように息遣い荒く、肩を上下に激しくさせながら項垂れていた。ここに生きてきた経験が大きく出ていると思えて、神的史観で天鈿女はほくそ笑むしかなかった。
「あめたんよ、何を笑っておるのじゃっ!!!」
不本意ながら自身が人を殺めようとしていた描写が余程堪えたのだろう。今にも泣きそうな表情を浮かべて、まるでやつ当たるように岳の叫ぶ声が聞こえた。
半ば予想外の展開に自身が焦る描写があったのだが、演技によりその場の演出が劇的状況に変わり、そして、何もなく終焉を迎えたという、正に自身が監督である自作自演とも言えよう劇を作り出したという事に、天鈿女の気持ちは感無量であった。
「いや、別に…。ふふっ…。さあ、先を急ぎましょうねっ!!」
「天鈿女様…。問い質したい事があるのだが…。」
「そんなもの聞く暇はないわっ!!行くわよっ!さあっ!」
天鈿女は半ば強引に足を進ませると、大の男二人、とぼとぼとその後をついてくる。
太陽は相変わらず大地へと降り注ぎ、三人の影が長く伸びていた。
第二章 明石の怪物 おしまい 2に続く