カレー戦争
隠し味にコンソメが使われていることを知ったクマール・ティジットは知らず知らずのうちに信仰の禁忌を破っていたことを知り絶望した。東京のカレー屋で働き始めて三ヶ月、こちらでの暮らしもようやく慣れてきたところだった。ありえないくらい高い物価も受け入れられるようになってきた、だが、仕方なく路線バスに乗る時だけは、どうしても落ち着かなかった、その運賃でクマールの故郷ではターリーランチが腹一杯食べれるからだ。
クマール・ディジットは、六畳一間のアパートで五人暮らし、クマール以外の同居人は皆ネパール人だった。誰かしらがお香を焚きしめているし、毎日、スパイスからカレーを作るため異様な匂いが建物全体に染み込んで漂っていて、周辺住民からの苦情は絶えない。お詫びの対応は日本語が最も上手いクマールの役目だった。
クマール・ディジットは、カレー屋を辞めてからしばらく職を転々とした。羽田空港のそばの海でシジミをとって魚屋に売ったり、(実家が漁師だったので、シジミとりは得意だった。)南インド出身ということで、エクセル関数vlookupが使えると話の流れで言ってしまったことがきっかけで事務員に採用され、しばらくし、コンピュータの知識が満足にないことがバレて遠回しに解雇されたり、ルームメイトとスープカリー屋を開こうと計画し、物件を探し回ったこともあったが、青写真で終わる。最終的には焼き鳥屋の店員になった。食材に牛肉は使わないし、自身の能力にも見合っていた。店は毎晩活気づいていた、大声でオーダーを厨房に通す声が響くと、郷里のオナム祭を思い出し懐かしくなった。オナム祭はマハーバリが支配する地下世界から地上ケーララに戻ってくることを祈願する祭だ。
鳥の部位を串に刺す日々が続いた、一通りの仕事を覚えたクマールは何か自分にしかできないことをやってみたいと考えていた。店長の勧めもあり、新商品の開発に着手する。故郷の味を取り入れたメニューを考案した。タンドリーチキン焼き鳥は食欲を誘うスパイシーな匂いとよく漬け込まれたヨーグルトの濃厚な味わいでたちまち看板メニューに。目当てでの来店も多く、開店後、30分で完売してしまう。また、チャイの焼酎割は女性に人気のメニューだ。インドカレーやナンまで売り始めたので、いつしか厨房はターメリックの匂いで充満していた。インド風焼き鳥のある店、としてTVメディアの取材も入った。クマールは流暢な日本語でインタビューに答える、正直に答え過ぎたためか、放送ではほとんど使われなかった。
次はどんな取り組みをする予定ですか?
「日本人は、大人しそうな顔をしていても、酔いつぶれると面倒な性格に変わってしまう人ばかりです、みんな心の病気かなんかだと思います。そういう時は、レモングラスを鼻に入れると気が落ち着くので、おしぼりと一緒に鼻用のレモングラスを配るサービスをはじめたいと、店長に提案中です」
今の仕事で一番大変なことは?
「日本のサラリーマンですね、薄気味悪い笑顔でこちらを見ていたかと思ったら、今日は額に印つけるの忘れた?とか、インド人は本当にカレーしか食べないの?とか、インド人は数字に強いって言ってるけど、俺は円周率を100桁まで覚えていて、神童と呼ばれていた、などと言って、突然円周率を唱え始める人など、人との距離感を掴めない失礼な人が多いです、そういうのに対応するのが一番大変です」
クマールの幸せな焼き鳥屋の日々は長くは続かなかった。再びカレー屋に戻ることになる。同居中のネパール人の仲間の一人が見合いのため帰国することになり、代わりを探していた。次のスタッフが見つからなけらば、辞められないと困っていた。人の良いクマールは、友人の代わりにそのカレー屋で働くことにした。焼き鳥の店長を始め、スタッフのみんなは残念がっていたが、同時に応援もしてくれた。 タンドリーチキン焼き鳥など、クマールが考案したインドメニューは引き続き売り続ける、とも言ってくれた。
新しい職場のカレー屋は、コンソメは不使用、テイクアウトで100円割引、スタンプカード会員は、誕生日月の初来店日にバースデーサモサのサービス。そして、同じ通りに四軒のインドカレー屋がひしめく激戦区だった。
一軒目、スパイスにこだわりを持ち、手でカレーを食べることを推奨、スプーンのない店『ガンジス食堂』
二軒目、可愛い女性店員が働いていて、最新のボリウッドMVが流れる、家族経営『タブラムンバイ』
三軒目、丁寧な盛り付け、お洒落な内装で雑誌によく取り上げられる、パワーストーンの物販も充実、いわゆる「映える」店『アガスティア』
四軒目、クマールの働いている普通のお店『サタジットレイ』
働き始めてすぐに、クマールは焼き鳥屋で覚えた炭火焼のノウハウを活かし、英雄神インドラのごとく頭角を現す。焼き鳥屋時代のお客さんもわざわざ食べに来てくれた。そんなクマールの存在に脅威を感じた『タブラムンバイ』のオーナーシェフが、『サタジットレイ』の食べログ評価を落とそうと電子戦を仕掛けたことがきっかけとなり、戦いの火蓋が切られる。これがカレー戦争の始まりである。
その後の展開要約:
クマールが配達の途中で恋をした相手ディピカは、ライバル店のカレー屋『タブラムンバイ』の看板娘だった。クマールは彼女の心を射止めようと奮闘する。いつしか、心を通わせるようになった二人は、周囲の反対を尻目に密会を重ねる。
地元の有力者の利権の絡んだ陰謀により、カレー屋の通りは再開発となり、四軒のカレー屋含む一帯の商店は立ち退きになるという噂が流れる。散々いがみ合いをして、周囲に迷惑をかけてきたカレー屋の問題児達が、クマールとディピカの働きかけの甲斐あって、初めて団結することになる。自分達の店を守り、カレー屋の誇りを取り戻すために。しかし、彼らの意思に反して、再開発の計画は進んでいく。
「もし、今度の阿波踊り大会で優勝したら、再開発のバスターミナル建設を取りやめてもいい」という地元の有力者との無謀な賭けに乗ったクマールは、各カレー屋に声をかけて阿波踊り大会に「インドカレー連」として参加を決める。彼らは阿波踊りに関し、全くの素人集団だったが、クマールの店の野菜の仕入れ元、阿波踊りに人生を捧げてきた年齢不詳の老人「八百屋の仁さん」に指導を仰ぎ、彼らは少しずつ踊りを覚えて行く。最初は心も踊りもバラバラだった彼らも、少しずつ息が合うようになってきた。優勝のためには、もう一つ何かが足りなかった。そのヒントは、クマールの故郷の踊りルンギダンスにあった。そして、『インドカレー連』の全く新しい阿波踊りのスタイルが完成する。
阿波踊り大会は、大いに盛り上がったが、ディピカの兄ラキールの失敗により「インドカレー連」は、僅差で優勝を逃した。四軒のカレー屋は閉店することに。建設工事が進む中、失意の底に沈んでいたクマールにある一通の嬉しい知らせが舞い込んだ。店を奪われたショックもあって、ディピカの父が頑なに拒んでいた二人の結婚をとうとう許したのだ。また、ディピカの父には、魂胆があった。立退き料で、別の場所に店を構えたら、自分は金勘定だけをして、厨房の仕事はクマールにやらせようと考えたのだ。
二人の結婚式を祝おうと、押しかける焼き鳥屋のスタッフ、かつてクマールに取材をしたテレビクルー、カレー屋の仲間、阿波踊りで出会った人たち、など。その中に、懐かしい顔があった、かつての同居人だ。見合いで帰国したネパール人の姿があった。妻を連れて、日本に戻ってきていた。実は彼はネパールの富豪だった。彼は仕事を代わってくれたクマールに恩義を感じていた。また、クマールの活躍を秘密裏に知った彼は、バスターミナルに併設される複合施設の運営会社を買い上げていた。そしてそこに、街の新しい名物としてカレーストリートなる計10店のカレー屋を集めたフードストリートを作ろうとしていた。出店費用は全て持つから、カレー屋を出店しないかとネパール人は、クマールを誘う。クマールはもちろん快諾した。こうして、また新しいカレー戦争が始まろうとしている。
以上でこの話は結びとなる。歌あり、踊りあり、恋愛あり、スリラーあり、笑いあり、最後はハッピーエンド。