兵庫県丹波市・市島町の駄菓子屋 ~新たな老舗の物語 【余田商店】~
平成16年(2004年)
旧氷上郡域6町(柏原町・氷上町・青垣町・山南町 市島町 春日町)が合併して兵庫県の東部に誕生。
近隣の京丹波町・南丹市・篠山市(現・丹波篠山市)に臆することも、「なら、氷上市で良くね??」という住民達の心の声をも乗り越え、栄えある旧国名をガッツリ名乗った兵庫県丹波市。
母なる加古川が育む、晩秋を彩る紅葉・朝夕の【丹波霧】が美しい山々に囲まれた市域には、見所・名産がいっぱい。
由良川行かば日本海⇔加古川行かば瀬戸内海へと注ぐ
日本一の低地(最低標高95.45m)にある分水地・氷上回廊【石生の水分れ】
日本恐竜史上最大級の大きさを誇り、足立冽さん・村上茂さんの御二人がコツコツと発掘した【丹波竜】は、丹波竜化石工房で絶賛展示中。
さすが知名度全国レベルの丹波三宝【丹波黒大豆・丹波大納言小豆・丹波栗】を産出する豊かな土壌よ‥
と感嘆せざるは得ません。
【※画像≒写真AC様より。ようこそ丹波市へ! 丹波竜の里 丹波三宝の里 楽しそう~】
三ッ塚廃寺(白鳳時代)のロマンを残す三ッ塚史跡公園
お参りは織田家ゆかりの城下町・柏原の柏原八幡宮でどうぞ!
「聞いてないよぉ〜」な絶景スポット丹波もみじめぐり10ヶ寺に連ねる寺院群は必見なり
鬼の架け橋では、「押すなよ、押すなよ」のネタは危ないから絶対しませんね、春日町出身の故・上島竜兵さん・・・
かの明智光秀公の侵攻を何度も撃退し、【丹波の赤鬼】という激シブな異名を持つ赤井直正公(黒井城主)が治めた地としても知られる、人口約6万5千人。
JR福知山線・加古川線が駆け抜け、京都府と県境を接する美しき町。
2026年丹波市・市島エリアでは、吉見・三輪の両小学校の統合が決まっております。
新校舎は吉見小学校の現校舎を増築して使用する予定で、もう1校の三輪小学校は事実上、廃校を迎えます。その三輪小学校に寄り添う様、校門前に店を構えるのが今回ご紹介する余田商店。
卒業生・在校生、そして教職員一同の心に【共通の財産】である思い出を刻み続けている、素敵な駄菓子屋です。
創業は、な・なんと明治42年(1909年)日露戦争後
日本が世界の強大国に躍り出るきっかけにして、多くの成金を生み出した大戦景気【第一次世界大戦】前夜の昔の話‥‥
丹波地方はもとより、日本国内でも有数(って事は世界でも)の、115年(2024年現在)という長き歴史を誇る老舗の駄菓子屋という事ですな〜さらに余田商店。
老舗の顔とは裏腹に、インスタグラム・X(旧Twitter)等で積極的に駄菓子・丹波の事、イベント情報や自主制作動画を配信してましてこれが超絶におもしろく+ハイセンスでいつも笑かせてもらってます要チェックやで〜【余田商店 公式Instagram】
先日4代目に当たる余田康夫さんと、お隣・丹波篠山のご出身で駄菓子屋転身の立役者である典子さん御夫婦とZOOM対談させて頂きましたあっという間に時間が経ってしまうほど、楽しい時間でしたYOあっ。
間違って『よだ』と読んでる方もいらっしゃると思いますが、余田⇒「よでん」とよみます。丹波市島エリアでは多い、由緒正しき名字の一つです。
『創業当時は総合食料品店でした
父の代(3代目)の時は、仕出し料理もやってまして、配達もしてたんですよ
20年ほど前に妻が『これからは駄菓子屋をやりたい!』と。
それからですね 数年前、定年退職した僕も店に入りました。
邪魔にならない様に(笑) 色々と楽しみながらやってます。』
店の歴史を、時に冗談交じりで話してくださる康夫さん。
店内に目を向けると冬暖かく夏涼しいでおなじみ、日本の伝統的な建築様式である土間空間が広がっております。
中央に島式の駄菓子ブースが、壁側には沿うように駄菓子・駄玩具や飲料系・アイスボックスが配置され、ゆったりとした動線が確保。
さらに小上がりスペースに注目!子供達の目線の高さに合わせる様に置かれた駄菓子と、『前へならえ』している様なくじ系・駄玩具系達など、絶妙な空間活用がまたスゴイ。
周回して、色々と目当ての駄菓子をセレクトできるなんて‥‥最高や〜
先日
物置として使用していた小上がり奥の和室に、白黒テレビ・ダイヤル式の黒電話などのリアルな小物を展示
昭和40年代をイメージした【昭和レトロ展】が開催されました。
そのほとんどが、余田家で実際に保管されていたり、典子さんの御実家に残っていた物という衝撃の事実を知り、驚いた筆者がそれについて聞いてみると‥
『普通に暮らしてきた、古いだけの家ですよ
修繕×修繕でなんとかやってますね(笑)
現・建屋は、昭和11年(1936年)に建てられたの
ですよ
後に判明したのですが、この家を建ててくれたの
は私の母方の祖父で、母は自分の父が建てた家と
知らずに嫁いできました。
全くの偶然です(笑)』
【建てた時より美しく】
通っていた小学校が新校舎に建て替えられた際に、当時の校長先生が言われていた言葉を思い出す筆者。
こうした展示会が出来る背景、それは
お祖父さんプレゼンツの建屋も、現役バリバリの昭和時代の家電達も、店内を彩る昔ながらの看板も、飾られている小物達・おもちゃ達も
もちろん、日々売られていく駄菓子達も
全てが大切に扱われてる証拠!
物を大切に扱う精神があったからこそ、余田商店は長い伝統と進取の風が共存する稀有の駄菓子屋になったのでしょう。
歴代の三輪っ子達はじめ、丹波で育った子供達!
今としてみれば、余田商店駄菓子屋へのクラスチェンジは、典子さんのスーパーファインプレーとしか言いようがないからね〜!
駄菓子屋の神様、ありがとう〜!
子供達の事を第一に考えつつ、店主が一緒になって楽しみ工夫を続けている店
余田さん夫婦とお話していると、そんな感じがビシビシ伝わってきます。
今日も明日も、多くの子供達で賑わう店内
子供達は心のなかで『今日のおやつなにかな〜??』とつぶやいているはず。
それを具現化したのが、典子さんプレゼンツの駄菓子詰合せWith酸いも甘いもセット。
人呼んで【今日のおやつなにかな〜?】セット
かなりお得でっせ〜
『なにが出るかわかりません(笑)‥
部活や勉強が忙しかったりで、営業時間内に来ら
れない子や、お仕事で遅くなる方もいらっしゃる
ので‥
自販機用に袋に詰めて、甘いのもしょっぱいのも
変わり種も、バランスよく考えてるつもりです
(笑)』
隠し味は優しさといたずら心!
ニコニコしながら駄菓子を袋詰している典子さん
の姿が目に浮かびますよね〜(笑)
【今日のおやつなにかな〜?】セットは、店前の自販機で絶賛発売中
亀岡辺りじゃ名君・丹波辺りじゃインベーダー(笑)
勝手に丹波の英雄だと思いこんでた明智光秀公が、地域によっては評判がまちまちな事。
【丹波の赤鬼】から【浪速のロッキー】へ!
赤井直正公の子孫が名ボクサー兼人気タレントの赤井英和さんという衝撃の事実と、厨二病的イケメンなニックネームが隔世で受け継がれている件など(笑)
習字の師範でもあり、調理師免許取得済みの料理人でもあり‥
多岐に渡る話題を、ユーモラスに捌いてくれる博識っぷりに、思わず『一体何者なのですか?(笑)』と聞いみると、今日一の笑顔で
『今は駄菓子屋のおっちゃんですよ(笑)』と康夫さん!
そんな駄菓子屋のおじちゃんが作る【たこ焼き】も大人気です
隠し味は、intoされた刻みコンニャク!
本場・大阪のたこ焼きの元ネタは、コンニャク・天かす・ネギが入ったラジューム焼き(ラジオ焼き)だったと云われていますが、今でも使用されているとは‥
これもまた、東京下町出身の筆者には驚きの初耳学でした
コンニャクがはいった本場のたこ焼き。
外はカ リカリで、美味しそう〜
『(2年後に廃校が決定している)三輪小学校の事は さびしい限りですが、少子化ですしね‥ でもね。 インスタなどで、各地で駄菓子屋さんが頑張って らっしゃる姿を拝見し、元気と勇気を頂いてま す。 うちもどこまでやれるかわかりませんが、子供も 大人もみんなが楽しめる駄菓子屋を目指して、こ れからも頑張っていきます!!』
#昭和にタイムスリップ
#懐かしい#ノスタルジー
などなどリアルでもSNS上でも、余田商店を表す枕詞は柔らかな温もりに包まれています。その温もりは、歴々の三輪小学校卒業生達・在校生達と共に紡いできた【思い出】そのものなのだと、対談を通して強く感じました。これからも、温かく懐かしく、そしてめちゃくちゃ面白い駄菓子屋・余田商店であり続けてください!
余田商店アクセス
兵庫県丹波市市島町与戸200-1
定休日・不定休
営業時間AM9:00~18:00
公式 Instagram
YOUTUBEチャンネル
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