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「白いリボン」

 ジョン・カサヴェデスの「ハズバンズ」(70年)で最も印象に残っているのは、再会した旧友たちが朝まで飲み明かす酒場のシーンでした。こばれたビール、油の固まった食べかけの料理、そしてなにより男たちの毛穴や息から発するアルコール臭。それらがまざったなんともいえない匂いが、ブラインドから差し込む朝日に透過されてスクリーンにはりついていたからです。

 それは中学3年の秋、その年芥川賞をとった村上龍の「限りなく透明に近いブルー」を授業などそっちのけで読んでいたときのこと、そこにでてくるハウスの外におかれた腐ったパイナップルの描写に、はじめて「カラー」、つまり色のついた文体に出会ったときの衝撃を思い起こさせました。
 そこにあるはずのないもの、たとえば映画での匂いや文章における色は、あるときなにかの拍子に不意に現出するのだということが、今日まで私をなにかに向かわせる原動力であります。

 一時期、よく映画が「立ち上がる」という表現を使っていましたが、それは二次元である映画が、なにかを境に芳醇な奥行きの彼方に果てしなく広がるさまを指し示したかったのです。

 「白いリボン」(ミヒャエル・ハネケ監督、09年)が描き出すひとつひとつに釘付けになったのは、それが久しぶりに観る映画だったからでしょうか。おそらくそればかりではありません。そこには静かなると形容しうる情熱と歴史という時間軸が確実に流れるスクリーンの「向こう側」が映っていたのです。

 その閉ざされた小さな村にも、領主たる男爵がいて、堅信仰を実践する司祭がいます。そして実直な家令も、淫猥な医師も、そしてこの物語の語り手である教師も権力をいかんなく発揮するものとして登場します。圧せられる村人も子供たちも、従順さをとりつくろいながらも、行き場のないいらだちと悪意を募らせるのです。
 不慮の事故で母親を失った息子は領主のキャベツ畑を荒らします。端正込めたキャベツを鎌で切り刻んでいく、それがのちにキャベツではなくユダヤ人の頭となることを私たちは知っています。

 語り手である年老いた元教師は、それを「話しておかなければならない」物語として、「すべてが事実ではない」かもしれないと注釈をつけながらも滔々と話し続けます。それはもはやその注釈通り、大半が推量でしかない物語のかけらでしかありません。しかしその主観性がこのうえなく見事であります。
 彼の無責任ともいえる語りにおいては、村で起こる残虐な虐待事件と、のちに妻となる恋人の愛くるしさが、なんの矛盾もなく同居しています。少しのてらいもなく呼ばれるその名前がエヴァであることで、ドイツ人でなくとも自然と想起されるもうひとりの女性の影を感じてしまうのは避けられません。
 厳格さが支配する圧政下で育った子供たちは、のちにさらなる弱者を圧する側へと転身します。

 「白いリボン」はなにかを告発する映画ではないでしょう。第一次世界大戦の前夜に、オーストリアのとある村で起こった出来事を話しているにすぎません。物語のかけらはなにひとつカタルシスを迎えることはありません。なぜならひとりの老人のなかば妄想と推量に満ちた回想でしかないからです。
 にもかかわらずその最初から最後まで、呼吸もできないほどに引きつけられてしまうのは、きっと、「立ち上がった映画」という迷宮に、足を踏み入れてしまったからにほかなりません。

 そして「ボヴァリー夫人は私だ。」といったフローベールを想います。「ブヴァールとペキシュ」の冒頭、語り手の話法から直接法へと転換した瞬間、私は彼らふたりとともに、同じ道をくだっていったのです。「ナチスは私だ。」と、心のどこか遠くで叫ぶ声が聞こえたのかもしれません。

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