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趣味は読書かもしれない

昔から「考えすぎだよ」と言われることが多かった。過去の嫌な思い出、将来の不安を考えすぎるのは良くないのは分かっている。今に集中なんてもう聞き飽きた。大事ではあるけど、自分にはあんまり合わないなぁとも再確認した。

本は楽しい!!

人に話せることと、話せないand話すという形式に相応しくないことがあるとおもう。自分の中で、自分が生きてきて思っていることや感じたこと、残酷な想像や不道徳な妄想を含めて、思念😇空想というか、言葉になるまえの、モヤモヤドロドロとした、すこし臓物のようなグロテスクでエネルギーが詰まっている何か。それはやっぱり、自分の中に溜まっていっているコンピュータのキャッシュのような一時的な記憶の集積というか、たまーに吐き出したり、何らかの形で外に出した方が便秘にならない(精神的な意味で)。

ハナマサのカレーと共に

本は向こうから話しかけないし、主張してこない。こちらが読みたい、話したい、考えたいというときには応えてくれる植物のような優しい存在。(誰かがそう言っていた気がする)

本屋にいくとありとあらゆることが本という形でまとめられている。大抵の疑問は、学問や新書の解説書があるし、それはすごくありがたいことだし、楽しい。変に情報ばかり食べて、自分の頭で考えなくなるということは、本においてはあまり無い気がする。文字がたくさん並んでいて、読まないといけないし、タイムパフォーマンスは良くない。でもやっぱり時間は必要だし、頭の中で本を通じで、もやもやしたことを考えられるのは楽しい。

🐈
嘔吐なんていう非常識なタイトルも、哲学書という権威がかぶさるとなんだから許されるのも、いやそもそも生きることの苦痛を人間がみんな抱えているから「あるある」として、
しかも日記形式の小説としても残しているからお金だして買いたくなった。

主人公の男は喫茶店か、バーで音楽がかかっている一時はその吐き気という不快感を忘れられるらしい。
音楽という始まりと終わりのあることが、関係しているらしい。

本の魅力も、一冊という単位で、区切られていることもある気がする。生きている間はいろいろな区切りを便宜上設けているけど、基本的には区切りがない。いつ始まったのか、いつ終わるのかもわからない。

多分75歳とか90歳になっていたら、
(例えば今から30年とか経過したら)当たり前だけど、今握りしめているもののほとんどは手放しているのだろうなぁと、逆にもっとつよく握りしめているのかもしれないとも想像する。

季節の変わり目でおセンチな気持ちでした!!!!!!!!!!!!!!

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