急病人という免罪符
「急病人救護の影響で…」「車内に具合の悪いお客様がいたため」
この車内アナウンスを聞いて、イラッとする人はどれくらいいるだろうか。
大都会東京のラッシュアワーにおいて、急病人が発生しない日は、まず、ない。
正直にいうと、自分はこの手のアナウンスを聞いて、イラッとする。
もう少し正確にいうと、「急病人」という漠然とした情報にイラッとする。
これだけ「急病人」が毎日のように出るのだから、自分もその場面に遭遇したことがある。
いくつか例を挙げてみる。
・車内で女性が貧血を起こした。車内で救急車を手配し、駅で非常ボタンを押さずに対応した。
・車内で女性が貧血を起こし倒れる。車内の非常ボタンで車掌に連絡し次の駅で救護(私鉄なので車内の非常ボタンを押しても、電車はその場で止まらない)
・乗客がホームで転倒。車掌が気付くも駅員が気付くのに時間がかかり、4分の遅れが発生
・乗客がホームに降りるときに転倒。非常ボタンが押される
・非常ボタンが押されるが、ホーム上で異常なし。何ごともなく遅れて発車したが、アナウンスは「急病人救護のため」
・先行列車で急病人救護が発生。その後、駅のホームで救急隊が心臓マッサージを実施している様子を目撃
・急病人が発生というアナウンスが入るも、実際にはチカンか何かが車内から引きずり出される
他にも遭遇履歴があるのだが、ざっとこんな感じである。
一括りに「急病人」と言っても、ことの重大さがまるで違う。
電車に乗ってしまえば、命の危機に晒されようが、飲み過ぎてグデグデになろうが、ホームでコケようが、「急病人」なのである。
こういう曖昧さが、イライラを募らせる。
プライバシーの観点もあろうが、曖昧な理由で電車が遅れても、正直困る。
この曖昧さのせいか、TwitterなどのSNSでは「体調が悪いなら電車に乗るな」「急病人なんて放射能のせいじゃないの」と、ひどい書かれようである。
もっと穿った見方をすれば、「急病人」という言葉は、鉄道会社が軽微な遅延を他人のせいにするには、とても都合が良い。
例えば、ホームでコケた乗客に対して非常停止ボタンが押された場合、
「ホーム上の安全確認」というと、なんとなく遅延発生源の主語が安全確認をした側にあるような印象を受けるが、
「急病人」と言ってしまえば、遅延発生源の主語を第三者にしてしまうことができる。
ある意味で、「急病人」は遅延の免罪符になるのである。
「急病人」による急停車でたまたま電気が流れていないところに止まってしまって車両点検が生じ大規模遅が発生しても、
「急病人」を主語にしてしまえば、そういう設備にしていた鉄道会社の責任にはならない。
実は(脱線事故を起こした福知山線並みに)余裕のないダイヤで、少しの遅れも許されない危険な状態であったとしても、
遅れの原因がダイヤではなく(もしくはそういうダイヤを作った鉄道会社のせいではなく)、「急病人」のせいである。
ちょっと大げさであるが、今日の「急病人」という言葉には、それくらいの“隠蔽力”があるんじゃないかって思う。
ただし。
「急病人」は減らせなくとも、「急病人救護による遅延」は、乗客が率先して声かけや救護、また適切な乗務員・駅員への通達手順を踏めば、大幅に減らせると思っている。
鉄道会社による「声かけサポート運動」には、そう言った良い裏の意味が込められていると信じたい。
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