戦争がいけないことなのは小学生でもわかる
終戦記念日の前後や太平洋戦争の開戦日が近づいてくると、自分の小学生時代を思い出すことがある。
自分の小学校は、いわゆる「日教組」の方が多くいらっしゃったようで(その事実を知るのは大人になってからであったが)、戦中期否定が凄まじかった。
国語の教科書にやたら戦争関連の物語が出てくるし、音楽の授業で君が代は扱わないし、卒業式で国旗は掲揚しないし、お遊戯会も反戦モノをやるし、先生は君が代・天皇陛下嫌いを公言するし、今考えたら割とメチャクチャである。
ただかくいう自分はというと、今でさえ近代史に興味を持っているものの、歴史には対して興味を持てなかったし、強烈な反戦主義者になることもなかった。
ある意味で、小学校の教育方針とは違う思想が植え付けられたようだ。
はっきりいって、戦争がいけないことなんて大人に限らず小学生でもわかる。
大事なのは、「いろいろな思惑が交錯する中で、どういうプロセスで開戦という意思決定がなされたのか」を検証することだろう。
日本の歴史教育、とりわけ戦中から戦後を取り扱う場面において、この視点がゴッソリ抜け落ちていると思う。
あの時、内閣関係者や政治家や軍人全員が戦争に賛成したわけではない。
開戦時の総理大臣、東條英機の2代前は、どちらかと言うと親米派だった米内光政だったし、
米内と同じ海軍の井上成美は日本が負けることを開戦前から悟っていた。
終戦処理に奔走した、岡田啓介や鈴木貫太郎だって、全面的に戦争賛成だったとは言い難いだろう。
こういう歴史背景を知らずに、自分はやれ「東條英機が悪い」「昭和天皇にも戦争責任がある」「日本はアジアを侵略した」と教えられた。
米内や井上の存在は反戦教育の徹底には不要だったのかもしれないが、そういった刷り込みが日本の教育の質を下げていると感じてならない。
いっそのこと、教育の場において戦争推進派と反対派に分かれて議論をさせて、聴衆はどちらに靡くかという議論をやらせてみたらいいと思う。
先生は登場人物の思想というエッセンスを与えてそれぞれの派閥が考える材料を与えるだけでよい。
あとは学生自身の言葉で、なぜ自分はこう思うかを発表して、クラス全員がどちらに傾くかやってみれば良いのだ。
効果のほどはわからないが、壊れてイカれたロボットのように、戦争反対だけを騒ぐだけの教育よりはマシだと思う。
もっと言えば、歴史に「かもしれない」が禁物だとしても、「なぜそうなったのか」のプロセスや人物の思惑を考えることは大切なことだ。
そこを鑑みずに語呂合わせとかで暗記科目にしてしまっているから、歴史の授業が面白くなくなってしまう。
歴史はリアルなストーリーだ。
連綿と続く流れをぶった切って教えたら何も面白くない。
いくつかのターニングポイントは、必ず過去の出来事から繋がっている。
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