「集客に困らない」モノの末路
コンテンツが良くないと、人は集まらないし、モノは売れない。
今までは、機能とかサービスとか品質とか、そういったものを磨くことで、人は集まりモノが売れてきたが、
最近ではそれだけだと不十分で、ユーザーエクスペリエンスの重要性も説かれている。
これは、従来そういうことを考えなくてもよかった領域にも、着実に広がっていると感じる。
人口減と戦う自治体も、ありとあらゆるコンテンツを用意して移住者を待っているし、
首都圏の鉄道会社も、将来の人口減を見据え様々なコンテンツを用意し始めている(後者については、改めて書きたいと思っている)。
従来の思想に囚われない、大胆なサービス展開の重要性に、多くの業種が気づいている。
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最近よく目にする、以下のニュース。
正直、胸糞すぎて全く目を通していない。
ただ見出しを読むだけで、「公立小学校が組織ぐるみでナニかやらかした」ことはわかる。
このニュースに限った話ではないが、公立学校が絡んだこの手の問題は、絶えない。
路上で起きたらタダの暴力事件としか言えないようなことも、教育という大義名分の下で、無かったことにされる。
学校が「聖域」と揶揄されるのも、こうした事例があまりにも多いからであろう。
このような隠蔽体質が昔から変わらないのは、特に公立学校が「集客に困らないから」ではないだろうか。
魅力的なコンテンツを発信するどころか、あらゆるアップデートさえサボり胡座をかいている。
何もしなくても人は来るし、そもそも人が来ようが来まいが、生徒数によって経営状態が変わるわけではないので、労力をかける必要がないのである。
そのせいか、戦後に確立された時代遅れな部分が、ゾンビのように生き残っている。
PTAなんてのも、その一つだろう。
この傾向は、生徒が進路の選択肢を限られる場合に顕著になる。
地方だと、私立の学校に進学するという選択肢はなかなか選びにくいだろうし、
上のニュースにように、そもそも私立に行くための経済力などが整っていなかったら、公立学校に行くしか選択肢がない。
向こうが人を迎えるための魅力的なコンテンツを発信しているわけでもないのに、そこを選ばざるを得ないのである。
カスタマーにとっての1番の悲劇である。
公立学校に蔓延る問題には、教員の激務やブラック部活動など、他にも問題が山積している。
これらも、結局はコンテンツの用意やアップデートをサボった結果だろう。
今回取り上げたニュースで最後にするくらいの気持ちで改善位取り組まない限り、公立学校の制度が崩壊する日は遠くないと思う。
公立学校以外にも、魅力的なコンテンツを提供する安価なサービスは、山ほどあるわけで。
(まだ記事にしてないけど、自分は小学校が嫌いだった。そういう過去の感情が、今の公立学校嫌いにつながっているのかもしれない)
(朝の移動だけで記事を書きあげようとすると、なんだか雑になる気がする。前も言ったような気がするが…)
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