その怒りを1票に込めろ
2021年のロッキンが中止になったという。
楽しみにしていた人々の怒りがTwitterにあふれる。
「なぜオリンピックは許されるのか」
ここ最近の常套句である。
このニュースを見たとき、先の都議会議員選挙の投票率と、投票率向上を訴える人たちの愚直さが真っ先に思い出された。
オリンピックばかりが優先されることに疑問や怒りを持つ人が多ければ、そして投票率向上を訴える活動のスマートさがあれば、投票率はもっと高かっただろう。
オリンピックばかりが優先されて、
自分の楽しみにしていた学校行事はなくなり、
ロッキンをはじめとするイベントは中止となり、
大学で友人と友好を深めることもできず、
街に繰り出しても店は20時で閉まり酒は飲めない。
このことに疑問を持つのであれば、選挙に行くべきだ。
前にも書いたが、今の世の中は「税金という支払いに対して、自分たちが選んだ政治家が提供した答えやサービス」である。
そのサービス内容や提供されたものが満足できないものであれば、返金してもらうか提供者を変えてもらうしかない。
でも政治は“返金”してもらえないのだから、提供者を変えるしかない。
レストランに行けば、注文したものが出てくる。それに対してお客さんは対価を払う。
家電量販店に行けば、欲しいものを手に取れる。それに対してお金を払って自分のものにする。
政治はどうだろう?
お金は先払いだ。
「今の世の中が良くなったので、お金払いますねー」ができない世界である。
我々ができることは「お金を払うので、世の中をよくしてくださいね」ということだけだ。
だとすれば、そしてロッキンや学校行事が中止になり、友人には会えず、酒も窘めない今の世の中に、お金を先払いしたい意味はあるのだろうか?
お金を払った意味がない、そう感じるのであれば、提供者を変えるしかない。
その提供者を合法に交代させることができるのが、選挙である。
だから選挙に行って「お前のやってることに金を払う意味などないから出ていけ」と意思を投じることはとても大事だ。
そうしないと、「そしてロッキンや学校行事が中止になり、友人には会えず、酒も窘めない」ような、悪夢が繰り返されることになる。
もし選びたい交代者がいなければ?
その場合は自分が交代要員として名乗り出ればよい。
これは、会社やお店では簡単にはできないことであるが、選挙では認められている。
乱暴な言い方をすれば、合法的にムカつくやつを表舞台から引きずり下ろすことができる。
自分が交代要員として表舞台に立つには、仲間が必要だ。
だから選挙の世界には支援者や政党の概念がある。
同じ怒りを持った人から支援を受けて、自分が代表者となってその怒りを他の連中にぶつけることができるのだ。
繰り返すが、これがしっかりと認められているのが、民主主義における選挙である。
投票率向上に、「未来」とか「若者のため」とか、そういった“こそばゆい”言葉はいらない。
投票率向上を望む人たちと、投票に行かない人たちの間には、どこかこういった意識の乖離がある気がするのだ。
難しいことを言ったところで、現実味がないことを書いたところで、投票率は上がらない。
単純なメッセージを発信すればいい。
「今のお酒が飲めない世の中は、選挙の結果です」
「ロッキンや学校行事よりもオリンピックが優先されるのは、選挙の結果です」
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