見出し画像

中国で犬たちが無差別毒殺される事件を知って思うこと

おはようございます!年齢を経るごとに就寝開始時刻と起床時刻が早くなり、そして夜間の覚醒頻度が高くなっているだっくです。総睡眠時間は平均7時間程度なので足りていますが、問題は睡眠の質なのだろうと思います。

皆さんはよく寝られていますか?秋の夜長と言いますが、いい加減冬に足を突っ込んでいるので出来れば仕事などAIに任せて冬眠をかましたいものですが、どうもそこまでは進んでくれる気配はまだありませんね。

ところで、枕を高く出来ないと言えば、トランプ閣僚候補さん達です。我が世の春とばかりに気勢をを上げて、これから「頑張るぞい」というところで爆弾テロ予告をされているそうです。因果は巡るというか出る杭は打たれるのです。他人事ながら、ご愁傷様です(にやにや)。

さて、今日は中国のわんこの受難のお話をします。こちらは因果も何もなさそうでひたすら可哀想なのです。

最近犬が毒殺される事件が大量発生する中国

中国で不気味な事件が発生しています。

公園を飼い主と一緒に散歩したりしていた犬達が、そこに撒かれていた有毒な液体を飲んだり、粉末を嗅いだりして死亡したそうです。複数形なのは1件や2件では無く、大量発生しているのです。最初は広州市内のさまざまな地区で報告が上がり、その後に仏山、東莞、珠海など近隣のいくつかの都市でも発生するようになっています。

単発の事件は過去にもあったが

SIXTONEでの報道では、中国ではここ数年、ペットが毒殺される事件が数件発生しているが、その多くは飼い主が犬の排泄物を片付けなかったり、犬を放し飼いにしたりしたことに腹を立てた近隣住民によるものとされています。

単発の事件としては2022年9月14日李易涵さんの飼い犬の白いウエストハイランドテリアであるパピが、張姓の65歳の男性が子供の遊び場にネズミ毒を混ぜた鶏肉をまいたことにより死亡しました。

犯人は「自分の三輪車に小便をした犬たちへの報復として行った」と主張していましたが、パピは亡くなるまで7時間以上も苦しんでいたとのことです。(より詳細は元記事のHer Dog Was Poisoned. Now She’s Fighting to Reform Pet Laws in China.を読んで欲しい。生々しく、そして壮絶過ぎる)

李易涵さんは、仕事を辞め、勉強のために法律書を購入し、弁護士と協力して証拠を集め、遂には相手取り訴訟を起こし、医療費や精神的損害に対する賠償を求めたそうです。中国では、中毒により20万元(2万8000米ドル)以上の損害が発生した場合、加害者は終身刑に処される可能性があるため訴えを認められれば中国で過去に無いペット関連での刑事事件となります。

今回は規模が異なるし、犯人も不明

しかし、今回は多発しその範囲は広い。犯人も理由も不明だし、そもそも一人で実行したようには見えないため、先の例とは一線を画するように見えます。

広東ペット産業協会(GPIA)によると、毒物を投与されて死亡した犬の事件が40件以上確認され、広州で殺された犬のほとんどは、有毒な液体を飲んだり、有毒な粉末を嗅いだりして死亡したそうです。

このニュースは中国のSNS「微博」(日本で言うとXとかThreadsとか)上で激しい怒りを引き起こし、多くのコメント投稿者は被害を受けたペットの飼い主への同情とこの毒物が地元の子供たちにも病気をもたらす可能性があるという懸念が共有されました。

中国ではペットを保護する法律はほぼ存在しない

意外かも知れませんが、中国では自然に生息する動物は保護する法律がある一方ペットは何も法律上の保護が存在しません。

一連の事件を受け、中国ではペット殺しにまつわる法律が、国民のあいだで激しい議論を呼んでいる。というのも、同国には野生動物や家畜、実験動物を保護する法律はあるが、ペットに関してはそういった法律が存在しない。

「他人のペットを毒殺した罪で有罪となった者はこれまで、民事罰を受ける傾向にあった。だがここ数ヵ月、こうした事件を刑事犯罪として扱うよう政府に求める声が高まっている」とシックス・トーンは報じている

国民も激怒 中国じゅうで「犬が毒殺される」事件が激増している クーリエジャポン

あえて言うならば「現行法ではペットは私有財産の一種とみなされており、したがってペットを殺すことは財産の侵害に等しい」と陝西恒大法律事務所の弁護士、趙良山氏は語っています。

パウ・フォー・ヒールの創設者であるウー氏は、政府は新たな法律を導入し、法執行を強化することで動物を保護する取り組みを強化すべきだとコメントし、政府に対してはここ数カ月、こうした事件を刑事犯罪として扱うよう求める声が増えつつあるようです。

自衛する飼い主達

そんなわけで中国では法律はペットを守ってくれない状況なので飼い主達は自衛をするようになっています。具体的には犬にフェイスマスク、口輪、吸入補助具などを装着し、自由勝手にそこらのものを食べたり舐めたり出来なくしています。

フェイスマスク装着の図

正直見栄えは酷いし、付けられた犬も可哀想ですが苦しみまくって死ぬよりはマシというのは分かります。苦肉の策です。

Another Xiaohongshu user in Guangzhou, with a border collie named Rice Ball, said he decided to muzzle Rice Ball (while out on walks) to “prevent tragedy from happening”.
“This muzzle is really uncomfortable to put on,” he said, adding that he was worried after reading multiple poisoning reports. “I never thought I would make my fur kid wear such a thing but the environment for dogs in Guangzhou is really terrible.”
(広州でボーダーコリーのライスボール君を飼っている別の小紅書使用者は、「悲劇が起きないように」ライスボール君に(散歩中に)口輪をつけることにしたと語った。

「この口輪は本当に着け心地が悪い」と彼は言い、複数の中毒報告を読んで心配になったと付け加えた。「自分の毛皮の子供にこんなものを着けるなんて考えたこともなかったが、広州の犬を取り巻く環境は本当にひどい」。)

‘I pity those little lives’: Worried pet owners mask up dogs after suspected poisoning cases in China CNA

一番悪いのは毒を撒く人なのですが、どういう事件でも被害者側が色々と重荷を強いられてしまうことは洋の東西を問わないですね。

これも「献忠」と「冷漠」だろうか?

中国では最近深圳の日本人の子どもの殺傷事件に留まらず突発的な無差別殺傷事件が連続で発生しています。

その原因は中国政府は明らかにせず、個別の事件として表明しつつも習近平が危機感を露わにするなど非常に問題となっています。まあ、彼の場合は国内安保と海外向けの体面というのが中心なことは、一連の事件のSNS上データの抹消や海外メディアの取材排除などから明らかで、国民のことなど二の次ではありますが。

社会的復讐ではないかとも、他人に酷いことをして平気な冷血人間が増えたとも考えられます。関連投稿で以下を書いていますのでよければどうぞ。

「献忠」と「冷漠」特に後者の冷血で他者を玩具のように扱う精神性がこの犬たちの受難に近しいのではないかでしょうか?薄ら寒いものを感じます。

分からないということの恐ろしさとそれを自認し把握することの大事さ

物事が何故どのように起きているのかが分からないというのは実に恐ろしいことだと僕は思います。誰だって事の次第を白日の下に晒したいし、そのことによって安心することを望みます。

ただ、この欲求は非常に危険な側面があります。目の前の不快や不安を解消するがために、安易な結論を与えられたときに飛びついてしまいその判断を固定してしまうことに結びついてしまうからです。

今月になって、兵庫県県知事選挙で斎藤元彦氏が再選されることになったのは記憶に新しいことと思います。この際に斎藤氏への投票者の多くはYoutubeやSNS(恐らくはX)を頼りにしたそうです。

そして、彼らは口々に「オールドメディアはデマばかり」「斎藤さんはいじめれらて可哀想だった」「これは民意の勝利だ」と誇らしげに叫びました。

その斎藤氏は一転して、陣営のSNS運用に関して、PR会社の代表がウェブサイトに投稿した内容をめぐり、公職選挙法などに違反しているのではないかという指摘を受け疑惑の最中にあります。

ここで言いたいのは別にオールドメディアの擁護でも、彼ら選挙民の判断の正誤でもありません。正直そんなことはどうでもよろしい

大事なことは、分からないことは分からないと認めて、そういった状況を自認することです。問題解決というのはすべからくそうするべきなのです。

何が起こっているか分からず不安になり姿勢をどこかに固めて縋ろうという姿勢やサンクコストを過大に見積もってしまう姿勢を取る。その途端に、一次的に心は落ち着くかも知れませんが、最も大事な思考と信条を手放すことになってしまいます。

自分の行動や思考を疑うことを捨てるのは、潔いことでも絶対の正解でもなくただの依存です。

結果的に何が正しいか間違っているかというのは勿論あると思います。しかし、それはそれ、これはこれです。僕は、分からないことや不安なことは現実として認めつつ、それでも分かることや正しいであろう事を手繰り寄せ積み重ねていくプロセスこそが大事なのだと信じています。

我田引水で強引な論運びではありますが、こういった考えもあるんだなと思って頂ければ幸いです。ではまた

ここから先は

0字

¥ 200

日経電子版、Foreign Affairs Magazine等の有償情報ソース、書籍に使わせていただきます!なかなかお小遣いでは購読が難しいのですけど、ここらへん充実できると記事に是非反映してお返し出来ればと思います。