見出し画像

補償ってどこまですることが必要なんだろう?

僕もNHKスペシャルの「ジャニーとメリー」を見た。

新規情報はそんなに無かったけれど、二人のアメリカでの馴染めない生活、ウェストサイドストーリーで少年アイドルグループに繋げていった流れには、スタートアップ的なバックストーリーとして知ることが出来た。

確かに件の初代ジャニーズメンバーの姉の気持ちも分かる。墓前の弟の無念を思えば、せめて誠意ある対応をスマイルアップにして欲しかったのだろう。

しかし、補償部長の言い分も分かるのだ。彼ら自身は補償をするための後継会社ではあるけど、当事者はいずれも亡くなっている。代理で謝ることに実感がないのは理屈上、当然のことだ。

ただ、どこにもぶつけることができなかった悲しみや怒りを考慮して、とりあえず逆撫でせずに話を預かるのが組織としては正しい。

番組の言葉が仮に実録音声だったとしても、僕はその行き違いに一方的な処罰感情に乗せるのは間違えだと思う。恐らくは会社としては、大量の第三者の義憤に晒されたのだろうが、僕はその硬直した不寛容に恐怖を感じる。

あえて白状しよう。

番組を見ていて、僕自身、補償部長の電話のやり取りに「人の気持ちを分からなすぎだろ!どういう神経してるんだ!?」確かにそういう怒りの感情は持った。

しかし、第三者の僕としては姉の気持ちは分かるけれど、それをどこまで汲み取れるかというのはなかなか難しい。受け答えも業務である以上は感情とは別にフレームワークとして境界は引かなければいけない。被害者は確かに補償されなければならない。

しかし、それが無制限な訳ではない。罪を犯したら死刑になるか死ぬまで償えという処罰感情とは別に、法的にも商業的にも加害者としてもそれを全て受け入れるというのは出来ない。

まして、第三者が義憤をもって、踏み越えてはならない。SNSはそういう無制限な勢いを相互に助長し、有り得ないほどの過剰要求を行動に繋げてしまう。そこには自制も自省も存在しない。集合知ならぬ集合憎悪という制御不能な化け物が生まれる。

僕はそれが恐ろしいし、それを嫌悪している。

いいなと思ったら応援しよう!

だっく@ニュース評論ホリック
日経電子版、Foreign Affairs Magazine等の有償情報ソース、書籍に使わせていただきます!なかなかお小遣いでは購読が難しいのですけど、ここらへん充実できると記事に是非反映してお返し出来ればと思います。