大統領選挙の行方とその民主主義的正当性について
投票直前に際して
本日日本時間の夜に米国大統領選挙の投票が行われます。この3ヵ月の選挙戦はとても長く感じられるものでした。
ハリスとトランプ、いかにもリベラルと保守を体現したような候補、それによって国を二分しもはや一つの国土に二つの国があると言えるくらいに、議論も成り立たないくらいの分断を、アメリカという国の現在の不安定を見せつけられ続けました。
我らが国日本は、敗戦後は安全保障でも国の設計でも経済でも一切においてアメリカを宗主国のようにして成長し今に辿り着いています。自律的に出来ることは増えたとはいえ、単独で周囲の国と相対するだけの国力も資産も国民性も最早持ち合わせていません。
だからこそ、自国の選挙以上にアメリカの不安定さと変貌には期待よりも恐怖を従って見守ることになっています。
選挙結果をどう見るか?
いずれにせよ選挙結果は、開票と選挙人の人数によって確定します。時間の問題です。
しかし、あまりに分断は深い。
トランプ支持者への「もしトランプ候補ではなくハリスが大統領だったらどうする?」の問いに対し「NOだ。そんなことは認められない。黙ってられるわけが無い」「選挙に不正があるかどうかを検め、正しい結果を求める」と答えていた。
ハリス支持者への「もしトランプ候補ではなくハリスが大統領だったらどうする?」の問いに対し「認める。しかし、トランプ支持者はそうではないだろう」「2000年と同じ事が起きるはずだ。怖い」と答えていた。
片や必ずトランプ以外の結果は不正であると断じ、片や相手は必ずそれを暴力行動によって対応すると断じた。救いようが無いほどに対立する相手に対して不信しか存在しない。
彼らの頭にあるのは、連邦議会議事堂占拠でしょう。2000年のバイデン現大統領とトランプが選挙の結果バイデンが勝ったことに、選挙に不正があったとして共和党支持者が議事堂を襲撃し、政治が継続不能になりました。死者は5人に上りました。
最早そこには民主主義の模範となるアメリカは存在していませんでした。相手を信用せずいがみ合い、言葉を聞かず、嘘つきで犯罪的なことを辞さない存在と断じ、自らの正義にだけ依存する、そんな悲惨ななれの果てを世界に見せつけたのです。
モルドバとジョージア
モルドバとジョージアはいずれも旧ソ連を構成していた共和国です。複雑な曲節を省くので不正確ではありますが、さっくり適当な感じで言うとソ連からロシアになったときに別の国として独立する形になりました。今、ロシアから侵略され戦争状態を続けているウクライナと同じような位置づけです。
そのモルドバとジョージアはロシアの属国のような状態からどうこれからその身を振るかで大きな判断をすることになりました。EUに加入し西側として自由主義的国家として自立するか、ロシアの庇護下にあり続けるかの選択です。
判断の方法は国民による投票です。しかし、その結果はモルドバとジョージアでは逆のものとなりました。モルドバは、EU化を推進する大統領が親ロシア候補を下しました。一方、ジョージアはロシアの影響圏に戻そうとする政権与党「ジョージアの夢」が10月26日の議会選で勝利しました。
いずれの国の選挙でもロシアが、国民の投票に工作をした可能性が疑われています。もちろんロシアは関与を否定していますが、衛星国という名の属国が逃げ出すなどを許すわけが無いというのが本音でしょう。
ジョージア国民のEU化推進派は、公然と選挙の不正を指摘し改めるよう動きを始めました。
松屋のシュクメルリ応援で一躍有名になったジョージアの日本駐在大使ティムラズ・レジャバさんはXでブラックジョークを発しました。
面白いけど笑えません。
民主主義はどうあるべきなのでしょうか?
ここで難しい話が出てきます。
トランプ支持者が行う不正を疑う行為は民主主義的なのでしょうか?
ジョージアでロシアが行ったかもしれない不正を疑う行為が民主主義的なのでしょうか?
リベラル的であるならば、トランプ支持者は間違いでEU支持者は正しいと思うかも知れませんが、それは矛盾していますよね。選挙に不正が紛れ込む可能性はどんなときにでもあります。
あるときはそれを疑い、あるときは信じよというのはダブルスタンダードです。その姿勢自体が民主主義を否定することになります。
どうあるべきかはわかりません。正しくあるべき選挙に疑念を持ち込ませるような奴らが悪いと言えばそうでしょうが、腹水は盆に返らず、この世界は既にそうなっています。
もうすぐ審判は下ります。でも、民主主義は今もこれからも存在出きるのでしょうか?
そんなこと知るかと冷笑し正面から見ることを諦めた結果が今の平和の喪失とならないことを祈ります。