五輪 まだ縺れているのか?
ちょっとおもしろい記事があったのでそちらを。
・・・とはいえ、まだこの問題引きずっているのか、と、
この問題単体で余り記事にしたくなくて触れなかったんですけどね。
基本的にはそんなに関心が無いから・・・そして、
答えも決まっているので・・・。
(言うなら言うで出来ればサラッと言いたいという所も...。)
五輪が記録を出す為の大会になっている感があることは、
或いは各地の大きな大会がそうであるのは、喜ばしくなく、
そもそもスポーツにそんなに関心のない身としては
その開催の動向というのは
日本でやるかやらないかの状況時の方が遥かに重要だった。
それはつまり反対だったという事ですが、
やる以上いかなる問題があろうとやればいい、
IOCだって昨年
「歴史上戦争以外で中止になったことはない」と言っていたんだから、
中止するという事は戦時下であるという事になる。
この状況下において、
参加出来ない、したくない、しないというのは仕方ないことであり、
それを押して、更には場合によっては帰国しない覚悟、
そのサポートを主催者として確約して、やればいい。
以前ちょっと言ったように昨年開会しておけば一番良かったよ、本当に。
それで出来る種目、又は伝統種目を優先して開催期間を延長、
開催規模を縮小することがベターだったろうと。
(チケットは一旦払い戻しが常識?)
大体規模が巨大化しているというのは
2000年代以降結構言われていたらしいし、
黒字だったのはロサンゼルス五輪だけであとは赤字、
それは徹底的にボランティアに拘ったとかどうとか、
それでアメリカは二度とオリンピック開催国にならないんだという
本当かどうかは知らない話もあることでね、
その意味で誰本位かなんてのはある意味終わっている議論かもしれず、
日本の招致の最大意図は感動と復興だった…んだっけ?
ただ遠くから見る側にとっての感動とは・・・
(リンク動画修正):修正前 https://youtu.be/XIy0c7FV-6k
いい場所(点火)がカットされてるので残念ですがこういう雰囲気の醸成、
(*非カット版に貼り替え 修正日7/27)
こうした演出(力)あって、或いは相まってで、
(*聖火台からはガスが出ていると映像の最後に解説有)
そのいずれもが揃わない・・・なんて事は本質的には許されないけども、
一番の中身は競技だと立ち返れば、体裁とか観客とかどうでもいい、
ただ、淡々とした中では感動が無い、薄いのは確かで、
今年の天皇賞春は27年ぶりに京都ではなく阪神で行われた一戦で
メンバーはそれ程ではなかったにしても、
(特に2着馬の走りから)多くが非常に良いレースだったと、
最後の20~30秒だけでも死力を尽くした感が伝わってくるもので、
それに引き換えマラソンの開催時間変更とか結局札幌で走るとか、
そういうランナー本位、記録更新の期待、お膳立てを大会運営側がする、
そういう姿勢、流れを見せられてどこに感動があるのか?
タイムが出なくても、リタイアが続出してもそれでいい。
(走るのは自分じゃないからという事も多少あるけど...?)
仮にで言えば
そんな過酷な東京オリンピックのマラソンを完走した、上位入賞した、
単純に言えばそういう方が遥かに意義がある、あったろうと、
本当に過酷なコンディションになったか、それは分からないとして、
内の感動ではなく外の感動は映像的には限界に近い姿、
常識を超えるパフォーマンスから得られるもので、
また長く語られるものであることは
多くが体感する所ではないか...という訳です。
要するに応援したくなるかどうか、
姿を何かに重ねることで記憶に刻まれる部分が、
演出的でも、それはあると、認める方が多いんじゃないかという事です。
・・・で、結局開催するのかしないのか?
雰囲気からしたら偶数年に延期すればいいぐらいに迫ってるものの、
G7での話題の中で賛意を得たとか言っていたので
まあ現状開催の方向でしょう。
少し前、公園の枝を切っていたことにも何か言っていましたが、
準備と当日は別の話だろうと思うし、木を切るとはいえ枝なら
伐採している訳じゃないならまあ別にいいだろうと、
ここら辺になってくるとマスコミ側にもちょっと…という部分を感じます。
まあ、適当に言いましたが、近場の意見と遠くの意見は違うので、
東京になお熱量があれば
都や運営としては開催の根拠にそのまま通じると思いますよ。
(迎えたい/終わらせたい どっち?…みたいなところかも知れませんが。)
中止を宣言する為だったのか…になる可能性も
まだある気もしますけけどね。
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4年前のある意味杞憂の…その後の都市像の一端