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『ダブドリ Vol.8』インタビュー02 安藤周人(名古屋ダイヤモンドドルフィンズ)

2020年2月15日刊行(現在も発売中)の『ダブドリ Vol.8』(ダブドリ:旧旺史社)より、安藤周人選手のインタビューの冒頭部分を無料公開いたします。インタビュアーは渡邉拓馬氏。なお、所属・肩書等は刊行当時のものです。

兄のプレーを見たり、インターハイやウインターカップのビデオを見直したり、特別なことはなく、人の見よう見まねでやっていました

渡邉 まずは、安藤選手が、小さい頃にどんなふうにバスケットに取り組んでいたのか興味があります。バスケット一家で育ったと聞いているのですが。
安藤 はい、両親がバスケをやっていて、兄と姉もバスケをやっていました。
渡邉 バスケファミリーという環境の中で今のプレースタイルや細かいセンスなどが養われたのだろうというイメージがあるのですが、実際、どうやって始めて、どう過ごしていたんですか?
安藤 家の前にバスケットゴールがあって、兄が父と一緒に練習しているのを邪魔していました(笑)。ずーっと兄を追いかけてて、それで自分もやりたいと思って始めたのがきっかけでした。ミニバス自体はそこまで強くなくて、練習ではスリーメンのようなメニューでずっと走っていたので、いま思うと、あの頃にもうちょっとミートの練習とかしていたら変わったのかなって。なので、小さい頃に特別なことはしていなくて、人の見よう見まねで全部やっていましたね。
渡邉 先輩のプレーとかお兄さんのプレーとかお父さんのプレーとか。
安藤 ずっと見てましたね。特に兄のプレーはずっと。あと、両親がウインターカップとかインターハイに全部連れていってくれて、全部の試合をビデオで撮ってそれを見直したりしていたので、自分で何かをやっていたというより、人の真似をやってきた感じです。
渡邉 自分の試合やプレーについて、お父さんやお母さんから指摘を受けたり、怒られたりとかは?
安藤 ありましたけど、僕が全然話を聞かなかったんです。
一同 (爆笑)
安藤 僕は覚えていないんですけど、お父さんからアドバイスをもらったときに、「いや、監督はこう言ってるから」みたいなことをポロっと言ったらしくて。そこからお父さんは、あまり言わないようにしたそうです。今では、あの頃もう少しちゃんと聞いておけばよかったなと思いますけどね。
渡邉 じゃあ、昔ながらの、いろいろと指摘してくるお父さんっていう感じではなかったわけですね。
安藤 はい、何かを押しつけたりとかはせずに、こちらの気持ちを尊重してくれていたと思います。
渡邉 なるほど。僕は逆で、ものすごく厳しかったので、バスケットが好きじゃなくて、やらされている感じもありました。だから、今の子どもたちには楽しんでほしいなって思いがありますね。それで、ミニバス時代からそうやってプレーして、中学校でも同じような感じですか?
安藤 そうですね。ただ自分がやりたいように真似をして。人のプレー見て、あれやりたい、ってときがあるじゃないですか。それでスリーポイントが打ちたくて、バカみたいな打ち方をしていたら、変なフォームになっていってしまって。
渡邉 そういう時期もあったんですか。
安藤 ありました。本当に変なフォームになって、そこで父からは、あまり無理しないほうがいいんじゃないかと言われました。でも、7つ離れている兄が高校生でスリーポイント打ってる姿がすごくかっこよく見えたので、やっぱり真似したい自分がいて、何としてでも打ちたいって思っちゃったんですよね。だから、中学1年のときは変なフォームで打っていたのを覚えていますし、中学3年ぐらいになって力がついて、やっとフォームが固まった感じでしたね。
渡邉 自分としては、シュートの感覚とかタッチとか、人よりよかったとか、そういう自信みたいのはありましたか?
安藤 いえ、全然なかったですね、ジュニアオールスターに選ばれることもなく、身長も今みたいに大きくなくて、中3の終わりぐらいに175あるかないかぐらいだったので、本当に普通の子でした。僕の地区では、僕が一番大きいくらいで、ドライブしたら点が取れるような感じだったので、外のシュートをバンバン打っていたわけでもないし、入っていたイメージもないですね。
渡邉 所属していた中学校では、背が大きいからインサイドでプレーしてくれといったこともなく、結構自由にプレーしていた感じですか?
安藤 もう好き勝手にやらせてもらいました。というより、その頃は、センターってどんな役割なのかがあまり分かっていませんでした。ポジションの概念がなくて、常にアウトサイドでバスケットをするという頭だったので、そこまで深く考えたことがなかったと思います。
渡邉 ヨーロッパのほうは、まさにそういう感じらしいんです。高校くらいまではポジションを決めずに、どのポジションでもプレーさせたり、ピック&ロールとかも使わせずにやったりするそうです。今の安藤選手のプレーを見ていると、型にはまっていなくて、毎シーズン、いろいろなスキルがプラスされている印象があります。自然とではあるけど、ポジションの概念なくプレーしたのがよかったのかもしれないですね。

実は土木士になりたくて、就職のために高校に入りました。だから大学、プロという考えはなかったんです

渡邉 最初はうまくなりたくて、無我夢中でお兄さんを追いかけていたと思うんですけど、高校、大学、プロとバスケを続けようと思っていたんですか?
安藤 いえ、高校に入るときは、土木系の仕事に就きたいと思っていたんです。だから、とりあえず就職するために高校に入りたいという考えでした。
大柴 え、土木系ですか?
安藤 そうです。実は僕、土木士になりたかったんです。ショベルカーとか扱う工事現場があるじゃないですか、ああいう職業に就きたかったんです。今でも大好きなんですけど。
大柴 小さい頃からの夢?
安藤 たぶん、物心ついたときからです。近くの工事現場を見に行って、とにかくずっと見続けていたので、そこのおじちゃんと仲良くなるとか(笑)。あと、実家に本とか模型とかめっちゃあるんです。ゲームも持っていましたね。
大柴 そんなゲームがあるんですね。
渡邉 それは資格とかあるんですか?
安藤 あります。僕は持ってないですけど。だから、次のオフシーズンに取りに行こうかなと思って。
一同 (笑)
安藤 そんな夢があったこともあって、まずは県で就職率が一番いい高校に行きたいと思って。それで、父も兄も卒業した高校に行って、同じ道を歩んで、ゆくゆくは父と同じ会社で働きたいなと思ったので……まあ、父が働いているところは土木と関係ないんですけど。
渡邉 関係ないの!?
安藤 関係ないです。普通のサラリーマンなんです(笑)。
渡邉 ハハハハ。
安藤 まさか高校に入ってから、190センチまで背が伸びると思ってなくて、高校2年の冬ぐらいに190になって、そこからU18日本代表とかいろいろと呼ばれるようになって。進路相談のときは、まだ就職するつもりだったので、その希望を出したら、顧問の先生にダメだと言われて却下されたんです。
渡邉 ハハハハ。
安藤 本当に大学っていう考えがなかったので、このままニートになっちゃうのかなって思っていたら、たまたま青学(青山学院大学)の、当時監督だった長谷川(健志)さんから声をかけていただきました。親ともいろいろ話をしたら、せっかくだから行っておいでと後押ししてくれて、それで青学に行くことに決めました。ただ、大学に入ったからといって、すぐにプロを意識したわけではなく、1年の夏に青学で試合があったときに、カジさん(梶山信吾/現名古屋ダイヤモンドドルフィンズHC)から「ウチ、どう?」とお声がけいただいたんです。
渡邉 1年の夏! 早いな、カジさん。
安藤 めちゃくちゃ早かったです。たまたま見ていたらしく、帰り際に僕を追いかけてきて、「惚れちゃった」って言ってくださって。それが2年生になっても3年生になっても、毎年のようにアプローチしてくださったんです。3年生のときに李相佰(李相佰杯争奪日韓学生バスケットボール競技大会)の試合のときに初めて代表に入って、韓国と試合をして上のレベルを知ったときに、「上でやってみたいな」と思ったのもあって、監督に相談しつつ、ドルフィンズに行きたいという自分の意志を伝えて、それで決めた感じです。
渡邉 1年生のときなら、カジさんはまだアシスタントコーチのときかな。
安藤 おそらくそうだったと思います。他チームからオファーが来たかどうかは分からないですけど、早い段階でドルフィンズに決めました。最初に声をかけてくださって、それから毎年誘っていただいていたので、カジさんの情熱みたいなのを感じて、恩返しのような気持ちがあり、このチームで結果を残したいと思ったので、迷いなく決めましたね。
渡邉 そういう経緯があったんですね。U18日本代表に入って、大学バスケを経験して、ドルフィンズでステップアップして、それより上の日本代表はまったく意識していなかった?
安藤 まったく思っていなかったです。プロの世界で何とか生き残ろうという考えで入ったので。アーリーエントリー(編集部注:特別指定選手のこと。満22歳以下の大学生および高校生を各チーム2名まで登録できる制度。現在は年齢枠が撤廃され中学生も対象)で入った翌年ぐらいにユニバーシアード(編集部注:国際大学スポーツ連盟が主催する学生を対象にした国際総合競技大会で、2年ごとに開催される)に呼ばれて、そのときにヨーロッパのチームと初めて戦って、もっともっと上のレベルを知って、このままでいいのかなと感じたことはありました。けど、本当にA代表のことを考え出したのは、ユニバーシアードが終わって、シーズンに入ってからです。(張本)天傑さん(名古屋ダイヤモンドドルフィンズ)が何回も代表に行って帰ってを繰り返していて、それを間近で見ていたので、大変だなと思いながらも、上のレベルを知っている天傑さんをすごいなと思いましたし、そのレベルを自分も体感してみたいなって思ったのはありますね。

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このあとも、代表活動や世界基準で戦うための気づきなどを語ってくださっています。続きは本書をご覧ください。

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