日本バスケを世界10位に導いた男たち〜 杉本天昇 ムードーメーカーが見た初めての世界 前編〜
2017年FIBAU19バスケットボールワールドカップメンバー(当時の所属)
ヘッドコーチ トーステン・ロイブル
#4 三上 侑希 (中央大学 2年)
#5 増田 啓介 (筑波大学 2年)
#6 シェーファー アヴィ幸樹 (ブリュースターアカデミー)
#7 水野 幹太 (法政大学 1年)
#8 八村 塁 (ゴンザガ大学 1年)
#9 榎本 新作 (ピマ・コミュニティ・カレッジ)
#10 津屋 一球 (東海大学 1年)
#11 重冨 周希 (専修大学 1年)
#12 杉本 天昇 (日本大学 1年)
#13 鍵冨 太雅 (セント・トーマス・モア・スクール)
#14 西田 優大 (東海大学 1年)
#15 中田 嵩基 (福岡大学附属大濠高校 2年)
前回までのインタビューはこちらからお読みください。
松脇圭志に憧れて、今もプレーしている
宮本 この企画は、FIBA U19バスケットボールワールドカップ2017(以下U19W杯)で世界10位になった選手たちに話を聞いていきます。前回、三上侑希選手(FUz HOKKAIDO)に話を伺いました。そのときに杉本選手の話がたくさん出てきたんです。
杉本 三上さん元気ですか? 僕は全然会ってないんですけど(笑)。
宮本 元気です!
杉本 あ、よかったです(笑)!
宮本 今の男子日本代表は日本バスケの夜明けと言われることがあるけど、僕はここ10年で男子の日本バスケが世界で通用するんだと証明したのは、2017年のU19W杯が一番最初だったと思っています。エジプトのカイロで戦ったアンダー世代の日本代表。そのメンバーたちが当時何を思っていたのか、そして今は何を考えてバスケットボールと向き合っているのかを聞いてみたいと思いました。ということで、今回は杉本選手にお話伺っていきます。三上選手のインタビューでは、全中で杉本選手と対戦したっていう話で盛り上がりました。「天昇にボコスカやられて負けました」って(笑)。そのときの記憶はあったりします?
杉本 もちろん覚えています。当時は、三上さんがまだシューターっていうキャラではなかった。僕も中学2年生だったんで、ただがむしゃらにやっていた記憶があります。
宮本 その試合に勝った方が奥田中と試合をする。結果的には杉本選手の山王中が勝利して、奥田中と試合をしました。奥田中には八村塁選手(ロサンゼルス・レイカーズ)、笹倉怜寿選手(越谷アルファーズ)がいました。
杉本 そうですね。あの大会は、西福岡中と奥田中が優勝候補でした。すごく楽しみにしていたんですけど、実際に試合をしたら手も足も出ませんでした(笑)。八村塁は選手として発展途上だったのにインサイドも強いし、外のシュートも決めてましたね(笑)。
宮本 そんな奥田中が、決勝で西福岡中に負けるじゃないですか。決勝は現地で見たんですか?
杉本 いや、自分たちが負けたところで帰ってしまったので、映像で見ました。見たときに、「え……?」みたいな(笑)。西福岡中の松脇圭志さん(琉球ゴールデンキングス)が異次元すぎて(笑)。当時、ビッグスリーみたいに言われていたじゃないですか。酒井達也さん(湘南ユナイテッドBC)と山崎純さんと松脇さんがいて、あの3人で完結しちゃう。かっこいいなと思って、そこから今も松脇さんに憧れを持ってやっています。マジですごかったですから! プロになってからも、あの試合を見ることがありますね。
宮本 改めてみると、どう感じるんですか?
杉本 ただただファンみたいな感じで、すげぇなって(笑)。松脇さんのオフェンスの嗅覚っていうんですか。持ったら全部決めてくるみたいな。トニー八十吉(卒業後、シンガポールの高校に進学)ってビッグマンがいたじゃないですか。彼が僕と同級生だったんですよ。
宮本 あ、あの子はビッグスリーの1個下なんだ。
杉本 はい。ディフェンスを頑張れ、八村塁を止めてこいって感じで戦っていましたね。同級生ながら、あの舞台に立っていたっていうのもすごく印象が強かったです。
宮本 ちなみに、バスケットボールはどういうきっかけで始めたんですか?
杉本 3つ上に姉がいるんですけど、姉の送り迎えついでに端っこでバスケットをして遊んでいたんです。僕は秋田出身なんですけど、当時通っていた小学校は男子と女子のチームがありました。楽しく遊んでいたら、男子の監督に声をかけてもらったりして、自分もやりたいって感じで始めたんです。同級生と一緒に始めたんですけど、そこからはのめり込んで、バスケットしかやってこなかったです。
宮本 秋田には能代工業(現能代科技)があって、秋田といえばバスケみたいな。
杉本 そうですね。小学校のときから、能代カップは見に行っていました。高いレベルの試合を見れたので、勝手に憧れは抱いてましたね。
宮本 山王中(秋田市)だから能代は結構遠いと思うけど、やっぱりゴールデンウィークには能代カップを見にいくの?
杉本 行ってましたね。印象深かったのは、僕が小学校2年生のときに満原優樹さん(佐賀バルーナーズ)を見たときですね。
宮本 最後の全国優勝をした世代。佐賀の満原、川崎の長谷川技。
杉本 あ、そうです。あれはすごかったですね。今もすごいですけど、体格も全然違いました。あとはスラムダンクも読んでいたんで、あのままだと思って(笑)。僕が通っていた中学が山王中っていうところだったんですけど、中学2年生まではユニフォームが、スラムダンクの山王工業みたいなやつだったんですよ(笑)。
決め手は佐藤豊先生に出会ったこと
宮本 高校は茨城の土浦日大に進学します。当時、秋田ノーザンハピネッツのヘッドコーチをしていた中村和雄さんに、「プロに来ないか」って声をかけられたって。
杉本 ちらっとですけどね。まあ、流石にちゃんと進学しないと(笑)。
宮本 それこそ能代工業に進むとか、近くなら明成に行く選択肢もありながら、土浦日大を選んだ理由はなんだったんですか?
杉本 中学の1個上の先輩が土浦日大に進学するって言ってたんです。そのときの僕は何も考えていなかったんで、土浦日大に行くって言ってたなーと思って土浦日大を見たんですよ。そしたら憧れを抱いていた松脇さんだったり、山崎純さん、あとは本村亮輔さん(熊本ヴォルターズ)もいて、「すごいメンバーがいる」って。なんかもう興味を持っちゃって! ずっと憧れてた人と同じ学校でプレーできるし、たくさん学べるだろうし、僕も行きたいって思ったんですよね。と同時にやっぱり秋田は地元だから、能代工業の練習会にも行きました。僕が参加したときに津屋一球(三遠ネオフェニックス)もいましたね。当時は佐藤信長さん(東洋大学男子バスケ部監督)が監督で、多分Bチームと練習試合をしたのかな。でも、やっぱり松脇さんに憧れがあったし、本村さんも本当にすごかった。プラスして、最終的な決め手は佐藤豊先生に出会ったことですね。僕のバスケットが豹変したというか(笑)。この3人との出会いは、僕の中でめちゃくちゃ大きかったです。
宮本 それこそ本村亮輔選手をインタビューしたときに、「松脇も天昇もとりあえず俺の言うことは聞くんで」って言ってました(笑)。(ダブドリVol.19にて)
杉本 めちゃくちゃ聞いてました(笑)! やっぱり当時の2個上の先輩は絶対なんで(笑)!
宮本 ハハハハハ!
杉本 厳しい指導もされましたけど、それ以上に本村さんはお兄ちゃんって感じで、面倒も見てくれてすごく良い人です!
宮本 本村亮輔と言えば、いい人だもんね!
杉本 はい! まー、でも当時はちょっと怖かったですけどね(笑)。
宮本 大学時代はヤバかったって誰かが言ってたな(笑)。駒沢颯選手(茨城ロボッツ)が言ってたのかな。
杉本 あ、颯は結構やられてましたね(笑)!
宮本 ハハハ! それこそ佐藤豊先生は本村選手に会いに佐賀まで来てくれたっていう話をしてたけど、杉本選手のときも密にやりとりはあった?
杉本 そうですね。僕が土浦日大に行きたいの一点張りだったんで、だったら面倒みるよって言ってくれたんです。あとはてる(菅原暉/群馬クレインサンダーズ)の存在も大きくて、中学3年の全中の開会式で隣が岩手県代表だったんですよ。そこでてると高校進学の話になったんです。そのときにてるも土浦日大に行きたいと思ってるって知ったんです。
宮本 へー!
杉本 東北大会とかでよく試合をしていたから、すごいプレーヤーだってことはわかっていました。それで高校は一緒に行こうぜってなったのも大きかったです。
宮本 菅原選手も今週末にインタビューする予定なんだよね。昨シーズンから群馬さんのシーズンガイドブックを作らせてもらっていて。
杉本 え、そうなんですか? ちょっとファイティングイーグルス名古屋もお願いします!
宮本 ハハハ! それはぜひお願いします!
杉本 はい、いつでもなんでも参加します!
宮本 それこそ、今名前が出てきたメンバーで対談とかもしたいね!
杉本 はい! 本村さんとはSNS上だったらなんでもいけるんで! やり返されないから(笑)!
一同 ハハハハハ!
宮本 土浦日大に入学してから、価値観が変わったところはあったりしました?
杉本 それは全てですね。バスケットもそうですけど、心技体が凄まじく鍛えられました。バスケットに対する姿勢もそうだし、そもそもバスケをやる前の礼儀だったり、バスケができることは当たり前じゃねえぞって。高校ではメンタルも強くなったと思うし、佐藤豊先生がよくマンツーマンで指導してくれました。中学のときから外のシュートが好きだったんですけど、豊先生にいちからシュートを見てもらいました。気づいたらシューターみたいになっていて、一日何百本とか、下手したら1000本ぐらい打った記憶もありますね。
宮本 じゃあ、今のスタイルを確立したのは、佐藤豊先生のおかげと言って間違いない?
杉本 はい! 作り上げてくれたのは、佐藤豊先生ですね!
アヴィが「財布を落とした」って(笑)!
宮本 FIBA ASIA U-18男子バスケットボール選手権大会(U18アジア選手権)では2位になりました。あの代表は西田優大選手(シーホース三河)と杉本選手が2大エースみたいな感じでしたよね。何か印象に残っていることはありますか?
杉本 西田がスタートで出て、後から僕とか津屋が出ていたんで、ゲームチェンジャーっていうんですかね。まずはディフェンスで前から当たること。流れがいいときはそれを加速させるし、流れが悪いときはトーステン・ロイブル(当時のヘッドコーチ)からも、「アグレッシブにいけ」ってよく言われていました。太雅(鍵冨太雅/青森ワッツ)もそうですね。
宮本 この世代は、ビッグマンも結構走れるタイプが揃っていたよね。三森啓右選手(バンビシャス奈良)とか。
杉本 そうですね。西野(西野曜/福井ブローウィンズ)もいました。あと増田啓介さん(ベルテックス静岡)もいて、いいメンバーでしたよね。
宮本 あのときはBリーグも始まったばかりで、トップリーグがこうなっているから、こういうスキルが必要みたいな時代ではなかった。ロイブルヘッドコーチが日本代表をチームとして作っていく。オーガナイズされたバスケットで、高校バスケのクオリティを上げていくイメージというのかな。サイドに展開してのピックアンドロールとかも個人的には初めて見たし、アンダーの代表としてチームの形がありました。
杉本 本当にその通りです。選手としてもすごくやりやすかったし、自分には合ってました。あ、アヴィ(シェーファー アヴィ幸樹/シーホース三河)もいました!
宮本 シェーファー選手の登場は衝撃的だった! 彼を初めて見たときの印象とか覚えてます?
杉本 えっ、アヴィの印象ですか(笑)? いや、マジで申し訳ないですけど、コートの印象よりもオフコートがめちゃくちゃ面白くて(笑)。あの顔で関西弁を喋るから(笑)。あのときはバスケを始めて2年とかだったと思うんですけど、プレをーしたら意外と賢いんですよ。バンバン意見を言ってくるんで、結構言い合いとかもしましたね(笑)。
宮本 言い合い(笑)。当時の合宿中にこんな事件があったとか、今だから言えることってあります?
杉本 僕は西野とすごく仲が良いんですけど、海外遠征に行く前に日本食を買いに行こうってなったんです。アヴィも行くってなったんで、合宿所からバスに乗ってスーパーに行ったんですよ。いろいろ買って帰ろうってなったら、アヴィが一人で騒ぎ出して、「財布を落とした!」って(笑)。そこら中を探して、結局出てきたんですけど、その騒ぎ方がすごくて(笑)。僕と西野は探しながら、ずっと動画を撮って笑ってました(笑)。
※後編に続く
日本バスケを世界10位に導いた男たち
初回は三上侑希にインタビュー
三上侑希選手は3x3で現役復帰を果たしました。
ダブドリVol.21 10月30日発売!杉本天昇選手のチームメイト、内尾聡理選手と神田壮一郎選手が14ページインタビューに登場!
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